第2話 迷宮協会と依頼

 また僕は空を見上げていた。


 車窓から眺める空は星の天蓋に覆われていた。その中でも満月は一際に輪郭を鮮明にさせて、水面に鏡写しになっている。その水面は大きな湖だった。僕はこれを"海"と呼んでいた気がする。車は僕を乗せて、海に向かっていた。潮の香りがして、懐かしさを感じる。


「レギ、おそら、きれいだねぇ」


 優しく心が安らぐ女性の声が聞こえる。かつて何度も聞いた声のような気がする。カーステレオからはサティのジムノペティが流れている。


 僕は……僕は誰だっけ? なにもかもが朧げな映像になり消える。いつも走馬灯のようなこの映像はやがて終わりを迎える。唐突に。


 身体がぐらりと揺れる。ああ、始まる。暗闇になる。痛みは終わることがない。どこまでも沈む沼のように果てしのない痛み。僕はそれに落ちていく。


「父さん、僕を殺して」


――そうだ。これはいつか僕が言った言葉だった。




 ずるり。顔を支えていた手のひらが頬を滑る。その瞬間、体が前に崩れて、バランスを失った勢いで座っていた机の天板にしたたかに額をぶつける。目が覚めた。いつの間にか机に頬杖をついて眠ってしまっていたようだ。まだ夢と現実の境目がぼんやりと混ざり合っていた感覚が残る。また、あの夢か。いつもよく見る夢。あれはどこなのだろうか。果てしないほどに大きな湖。馬のいない馬車のような乗り物。なぜかこれらの名前を俺は知っている気がする。まるで脈絡のない、この世にはありもしないものばかりが出てくる不思議な夢。それなのに暖かさと絶望が同時に訪れる、そんな夢だった。


「迷宮はこの国との歴史に密接に関わっており、かつ、まだ分かっていないことも多いのです」


 この陽光が差し込む聖ヴァリス教会の一室で講義を受けている最中だった。迷宮探索資格の更新の講義だ。部屋には数十人の冒険者たちが詰め込まれている。皆一様に眠そうな顔で、時が過ぎるのをただ待っているようだ。相反して、講台に立つ迷宮教会の雑務担当、アナ・モンドベルは意気揚々と話をしている。


「およそ、120年前ほどに群発的に発生した"霧限迷宮"は、皆さんもご存知の通り、この国が建国した理由の大部分を占めるのです」

 アナは得意げにふふんと鼻を鳴らす。冒険者たちは毎年聞くこの講義に飽き飽きしているようだった。 


「迷宮は、鉱物、植物、モンスターの戦利品など様々な利益を生み出します。よってその周囲に人が集まり、リヴァリス教の聖地、ここ神権国家グリシェラが建国したのです」


「迷宮は、この地域一帯に現れては消えてを繰り返しています。数ヶ月存在するものや数日で消えてしまうものなど様々で、内部構造も千差万別です。ただ一つだけ、変わらないことがあります。最奥には財宝があり、それを手に入れると、入り口に戻されて迷宮は霧のように消え去る、ということです」


 アナは一度言葉を切ると、ここが重要と言わんばかりに声を張り上げた。


「迷宮は、多くの富を産みますが、その陰で危険も潜んでいるのです! それが故にこの迷宮協会が発行している迷宮探査資格の所持が求められるのです。皆さんの節度ある行動が認められて、初めて取得できているのです。それをお忘れなきようお願いします」


 アナはそれに続いて「では以上です」と満足げに言って、講義は終了した。一年に一度だからと言っても結構面倒な時間だった。軽くため息をついて立ちあがろうとすると、アナがこちらに駆け寄ってきた。


「どうでした? 今回の講義は」


 オレンジ色の髪が特徴的な彼女は、田舎出身の気取らない素朴さを漂わせている。歳は俺より一つ下の十七歳で、毛先がくるんと跳ねたその髪は、無邪気で元気な印象を与える。まるで村から出てきたばかりの娘のような雰囲気を持ちながらも、彼女の瞳には強い意志と自信が宿っていた。俺より頭ひとつ背が低く、上目遣いに見上げてくる。


「うん、たぶん百点。かなりね」

 俺は適当に受け流す。

「あ、いま適当に受け流しましたよね」

 バレていた。

「いや、そんなことない。勉強になった」


 アナは俺が納棺師フネラリウスを始めた頃からの知り合いで、何度か迷宮協会を通じて仕事を斡旋してもらったことがあり、それなりに恩がある。とは言え、こう絡まれても返答に困る。


「……なんか用でもあるのか?」

「用がなきゃ話しかけちゃいけないんですか」

 アナは不服そうにふざけて顔を膨らませた。

「協会支部長がお呼びですって伝言を伝えに来たんです」

「わかった。あとで顔を出してみるよ」


 アナに別れを告げて協会の支部に向かうことにした。支部長からの呼び出しとはなんだろうか。面倒なことでなければいいが……。アナは元気よく「またね!」と言って手を振っていたが、その無邪気さに心を癒されるのも束の間。俺は足を速めて迷宮協会へ向かう。




 迷宮協会の支部は、この国グリシェラには七つあり、それぞれの地域の迷宮管理を統括している。聖ヴェリス教会から少し離れた場所にある重厚な石造りの建物が、ここ一帯を管轄とした支部だ。内部はいつも冒険者たちや関係者で混雑しているが、今日はなんとなく落ち着いた空気が漂っていた。俺が入り口をくぐると、受付の職員が目礼し、俺を案内する。


「支部長は2階の執務室でお待ちです。どうぞ」


 案内に従い階段を上がり、広々とした廊下を抜けて支部長の執務室へと向かった。扉の前で軽くノックをすると、すぐに「入りなさい」という重い声が返ってくる。


 中に入ると、そこには支部長であるイグニスタス・ローチェが座っていた。痩身の身にクロークをまとった彼は、歳を重ねてはいるものの、老いさらばえるよりも、風格を増していったように見える。スラリとした体躯にまとったクロークの下にはいまだに戦士として活躍できるであろう筋肉が感じられる。白髪交じりの髭とモノクルが威圧感を与える。油断のない厳格な表情が堂に入っているが、俺が入った瞬間、相貌を崩し満面の笑みになった。


「よく来ましたね、レギ!」


 ローチェは椅子に腰掛けたまま俺に目を向けると、手招きをして俺を呼び寄せた。彼の背後には、巨大な迷宮の油彩画が壁一面に広がっている。俺は座の低いソファに腰掛けた。


「なにかありましたか、支部長」

「まぁ、用がなければ呼び出しはしませんよ。さあ、座りなさい」


 俺が彼の前に腰掛けると、ローチェは「待っていなさい」と言い、部屋を離れた。総長の執務室は華美な装飾はなく、質素な雰囲気を出している。機能的なデスクとチェアー、客用の質の良いソファとローテーブルだけがあった。利便性を正義とする合理主義者であるローチェの考え方を表したかのような部屋だった。


 しばらくしてローチェが小さな盆の上にコーヒーカップとクッキーを持って現れた。


「まあ、ゆっくりしてください」


 そう言うとローチェは、ローテーブルにそれを置いて、デスクに戻り顎に手をつき、こちらを小動物を眺めるような目で見てくる。手で「食べなさい、飲みなさい」と促してくる。


「あの、俺忙しいんですけど……」


 俺がそういうと、ローチェはムッとした顔をする。


「キミが暇なのはすでにアナから聞いています。今は依頼を抱えていないんでしょう?」


 あいつ……。前から口が軽いとは思っていたがここまでとは。なぜかローチェは俺に過剰なもてなしをしてくる。今も嫌々クッキーを食べる俺の姿を見て嬉しそうに微笑んでいる。端的に言って気色が悪い。クッキーを食べる俺を眺めながらやっとローチェが口を開く。


「実はキミにひとつ頼みたいことがあってですね……」


 そう言いながら彼が話を続けようとしたその瞬間、協会のホールから大音声が響き渡った。


「おい! 埒があかねえ!」


 俺は驚き、ローチェも一瞬目を丸くしたが、すぐにその声に思い当たったようで、眉をひそめた。


「またあいつですか……アバナシーですね」


 ローチェが低くそう言った瞬間、扉が乱暴に開かれ、先ほどの大声の主が現れた。アバナシーは、堂々とした態度で部屋に入ってきた。彼の体は鍛え抜かれた筋肉で覆われており、冒険者の中でも特に目立つ存在だが、その横柄な態度が常に彼を嫌われ者にしていた。


「ローチェ! イェナが死んだ。すぐに遺体を回収しといてくれ」


 アバナシーは言い放った後に俺に気がついたようで、片眉をあげ「こりゃあ好都合」という顔をした。


「ちょうどお抱えの葬儀屋アンダーテイカーさんもいるじゃねぇか。よし、話が早い。そいつに行かせてくれ。決まりだな」


 俺は葬儀屋アンダーテイカーと呼ばれるのが好きじゃない。俺はこの仕事を金を稼ぐためにやっているわけではない。それを知ってこいつはわざとそう言っているんだ。ムカムカとする心を押さえつけ、成り行きを見守る。


 ローチェは眉をひそめ、冷静に返答した。


「落ち着け、アバナシー。話を聞こうじゃないか。どういう経緯でイェナが死んだんだ?」


「風切りの迷宮の五層であのクソ猿シンマーダにいきなり首を折られたんだよ。うちの貴重なヒーラーだってのに困るぜ」


 アバナシーは握り拳を振り上げ、激昂していた。彼の話によると、イェナはチームの要であるヒーラーだったが、シンマーダという猿のモンスターの襲撃を受けた際に最悪の事態に陥ったらしい。


「あのクソ猿の群れがいるもんだからイェナの遺体は迷宮に残しちまった。早く回収してくれねぇと、形骸化モルグヴィアしちまうぞ!」


「わかりました。レギ、どうでしょう?」


 ローチェが俺に視線を向ける。俺は無言で立ち上がり、装備を整え始めた。


「……まぁ、仕事だからな。やるしかないだろう」


 アバナシーが俺の動きを横目で見ながら、鼻で笑った。


「さすが葬儀屋アンダーテイカーは違うな。遺体回収だけが得意な小銭稼ぎだ。せいぜい、死なないようにな」


 俺はその言葉に一瞬カッとしたが、すぐに冷静さを取り戻した。アバナシーのような奴は、軽く流しておくのが一番だ。ローチェが横から軽く咳払いをし、話を切り替える。


「アバナシー、感情に任せて行動するのではなく、冷静に事実をしっかりと報告してください。イェナの死は、我々全員にとって大きなだが、それよりも先に形骸化モルグヴィアを防がなければなりません。これは協会と冒険者の掟です」


 アバナシーは舌打ちを一つして、その大きな顔をローチェにずいと近づけた。


「ローチェ、いいか。これはお前のせいでもあるんだからな。お前んとこが手配したリーガ・ルーとかいう何処の馬の骨かわからん女狐の斥候が、イェナが死んだ途端、すぐに逃げ出してどっか行っちまったんだぞ。なのに事実をしっかりと報告しろだと?よくもまあ、偉そうに言えるな」

「そうですか。彼女は逃亡しましたか」


 迷宮の探索は命のやり取りがある。どれだけ覚悟していたとしても、いとも簡単にチームメンバーの首が折られるところを目の当たりにしてしまっては逃げ出すのも無理はないのかもしれない。ローチェは何事かを考え込むように思案顔をして小さく呟く。


「それが最良なのかもしれませんね」


 アバナシーはその言葉を聞いてか聞かずか、腕を組んで立ち去る。その後ろ姿に見えた彼の焦燥感は隠しきれないものだった。仲間を失い、自分だけが生き残ったことでの葛藤が少しだけ垣間見えた。


 俺は軽くため息をついて、装備を確認しながらローチェに最後の確認をした。


「風切りの洞窟か。たしか……レベル3だな」


 ……危険度レベル3。致死性の攻撃能力を持ち、かつ好戦的なモンスターの存在がいる迷宮にあてがわれる危険度だ。


「アバナシーによると、最後にいたのは風切りの迷宮の第五層ですね」

「了解だ。早速、向かう」

「待ってください。まだキミへの依頼について話をしていない。支部長の私から直々に頼みたいことなのです」


 ローチェは再度椅子に座るように促す。ローチェは俺への依頼を口にする。


「君に紹介したいがいるのです。君には彼のパートナーになってほしいんです」

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