霧限迷宮の納棺師《フネラリウス》

佐倉遼

第1話 Prologue 霧限迷宮

 納棺師フネラリウス――それは、冒険者が命を落とした場所へと赴き、その遺体を回収する仕事だ。道半ばで命が絶えた遺体を運び出す。それのみを目的として、単独あるいは2人1組でダンジョンに挑むものを人は納棺師フネラリウスと呼ぶ。




 俺は湿った空気を感じながら、先を行く師匠、ローゼンの背中を見つめていた。納棺師としての仕事は十六歳の俺の日常の一部となっていた。十二歳の頃からローゼンの手伝いを続け、死者の回収にはもう慣れ切っているが、今日の迷宮はどこか不穏な空気をまとっていた。洞窟型の迷宮で松明の灯りを頼りに進んでいた。


「レギ、油断するな。ここじゃお前を助ける者などいない」


 ローゼンの声が静かに迷宮に響いた。年老いてもなお、堅牢な体躯を持っている。動きやすいように部分的につけたプレートアーマーの傷跡の数々がその老練さを物語っている。腰に下げたロングソードは切るというより叩く用途に使用されるほどに重く、鈍い衝撃を放つ。


 彼の声はいつものように冷徹だった。今日も、依頼を受けて迷宮の奥にいる冒険者の遺体を回収しに来ていた。


「回収対象は、かなり迷宮の深くまで進んでいたらしい形骸化モルグヴィアする前になんとしてでも回収するぞ」


 迷宮とは、この世界で突然現れ、また消える不思議なダンジョンのことである。人々はこの危険な領域に挑み、富や名誉を求めるが、その代償は時に大きい。命を落とした冒険者は、そこで冷たく横たわり、納棺師フネラリウスたちの手を待つか、死体が変容しモンスターに堕ちるという、いわゆる形骸化モルグヴィアしてしまうかの2択である。


 二人は静かにダンジョンの奥へと進んでいく。壁には苔が生い茂り、足元には瓦礫が散らばっている。


 依頼によると、踏破を目的にダンジョンへと潜った冒険者のチームのうち、前衛の戦士が迷宮深部で死角からモンスターの攻撃を受け、迷宮の崩落に巻き込まれたということだった。他のチームメンバーは命からがら逃げ出してきたらしく、戦士を助けることはできなかったらしい。

 

 彼らはレベル4の迷宮を踏破するほどの力の持ち主だと聞いたが、それでも失敗するときは来る。それがこの迷宮の恐ろしいところだった。俺もいつかは……と言いようのない不安が胸によぎる。


「ローゼン。この迷宮は何かがおかしい」

 迷宮に入ってからずっと感じていた違和感を口にした。

「ああ、レベル3のわりにはモンスターが少ない。そこまで強力とも思えない」とローゼンは返しながらも周囲を警戒し、目線を走らせた。


 迷宮協会により迷宮は危険度によってレーティングがされている。

レベル0:モンスターの存在は確認されていない

レベル1:害の少ないモンスターの存在を確認

レベル2:致死性の攻撃能力を持つモンスターの存在を確認

レベル3:致死性の攻撃能力を持ち、かつ好戦的なモンスターの存在を確認

レベル4:致死性の攻撃能力を持ち好戦的かつ強靭なモンスターの存在を確認

レベル5:大量殺戮に至る攻撃能力を持つモンスターの存在を確認


 モンスターの脅威度でその迷宮の危険度を判断するのだ。これを参考に人々は迷宮に挑む。腕に覚えのある探索者でなければレベル1までが関の山だろう。レベル2からの迷宮探索にはチームメンバーの1人は資格を保有していなければならない義務があり、容易には挑めないようになっている。


 やがて、少しひらけた空間に出た。中央の瓦礫の山に半ば埋もれた冒険者の遺体が視界に入る。彼の鎧は酷く損傷し、剣はその手の中で折れ曲がっていた。


 何度見てもこの光景には慣れない。冒険者は実入りのいい職業だが、下手を打った時の代償はあまりにも重い。


「レギ、手伝え」


 ローゼンの言葉に俺は頷き、背中に背負った遺体回収用のロープを手にして遺体に駆け寄る。まずはこの瓦礫の山からどう回収しようか……。アイアンシルクの袋を近くの地面に広げる。しかし、その瞬間、遺体が微かに動いた。息遣いが聞こえる。


「……生きてる!」


 俺は思わず驚愕の声を漏らした。冒険者はまだ息があり、瀕死の状態で必死に生きようとしていた。彼の目がわずかに開き、虚ろな目で助けを求めているようだった。


「ローゼン……まだこの人……!」


 俺が声を震わせながら告げると、ローゼンは迷う素振りを見せることなく動いた。冒険者に手を伸ばし、その命を救おうとする。


 だが、その瞬間――。

 

「に……げろ……!」

 

 冒険者はそう呟いた。奥からを耳をつんざく羽音が響き、次の瞬間、巨大な影が瓦礫の向こうから現れた。俺はその姿を目にし、息を呑む。


そこには、三メートルほどの大きさの天使がいた。人型で背中からは美しい純白の羽が忙しなく羽ばたいていた。全身は黒い布に纏われており、その肌は白い。腕や足は異様に細く、まるで昆虫のようだ。人智を超えた力が宿っていることは想像に難くなかった。神聖な雰囲気を纏っているが、昆虫と人間のキメラのような不気味さがあった。表情はのっぺりとしていて読めない。人間のそれとは違い、眼球全体が赤く染まり、そこには生き物としての意識や生命の欠片さえ感じられなかった。目はただ存在するだけで、見ているはずの視線さえも空虚に感じられる。その目は闇の中で赤く光り、通常のモンスターとは違う異質さを感じさせた。


――形骸化モルグヴィアした人間だ。逃げるという判断をする間もなく、その天使が手をかざすと、光の矢らしい光線が飛んでくる。罠だ。完全に誘い込まれていた。俺は即時撤退を考えていた。ローゼンの方を見て指示を仰ぐ。


 ローゼンは呆然とその天使を見つめていた。まるで宗教画のように跪き祈るような瞳でただ天使を見上げていた。何かがおかしい。心臓が早鐘を打つ。


「ローゼン、逃げなきゃ!」


 俺が叫んだ瞬間、天使の光の矢が、ローゼンの肩口に貫いた。ローゼンはなおも微動だにしていなかった。


「ウィル……ここにいたのか……」


 ローゼンが呟く声が微かに聞こえた。俺の体は恐怖に凍りついて動けない。目の前で繰り広げられる光景が、まるで現実感を失ったかのように思えた。ローゼンはいまだに呆然としている。深い郷愁に囚われているようだった。


「ローゼン、このままだと全滅する!」


 俺は震える体をなんとか抑えて声を張り上げた。足は根を張ったように動かせない。ローゼンはその叫びで我に帰ったかのようにこちらを見た。俺はその時に気がついてしまった。その瞳には、覚悟の色に染まっていた。


 ローゼンは俺を力強く後方へ突き飛ばした。広がった空間の入り口に押し戻され、ローゼンはその通路を背に塞ぐように立った。


 ローゼンは振り返らずにただ「行け」と言った。俺は「そんなことはできない」と言ったが、それっきり何も言わなかった。俺はローゼンがこういうとき、絶対に引かないのを知っていた。


 涙が滲み、視界がぼやける中、俺はただ出口へと全力で駆けた。


 迷宮の出口を飛び出した瞬間、背後で轟音が響き渡った。そして、迷宮は霧のように消え去っていた。俺はひとり、草原に立ち尽くしていた。


「どうして……」


 俺は振り返ったが、そこにはもう何もなかった。ローゼンも、冒険者も、そしてあの異形の天使も、すべてが消え去った。


 それから2年――あの日以来、あの迷宮は再び姿を現してはいない。俺は、ローゼンを失ったあの日を思い出しながら、新たな仕事へと向かう。

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