第2話
佐紀はアルバイトをしてお金を稼ぐようになっても、身につけた癖を治すことはなかった。
そんな佐紀の趣味のひとつが読書であることは、周囲の人間にも知られていた。「貸してくれない?」とお願いしても、傷物にされたらいやだからと絶対に貸してくれない人、という認識もまた、広がっていた。
「貸すのは嫌でも、借りるのは平気でしょ?」
ある日、翔太にそう声をかけられて、佐紀は〝借りるのは平気なのだろうか〟と考えた。本へのこだわりが強くなった頃からめっきり行かなくなってしまったが、図書館や図書室でくたびれた本を借りて読んだ経験は、両手の指が何度折りたたまれ、開かれるかわからないほどにある。
「まぁ、うん。そうかも」
「じゃあ、これ、読んでみてくれない? それで、感想を聞かせて」
「……なんで?」
「そりゃあ、佐紀がどんな感想を持つのか、興味があるから、かな? 嫌なら別にいいんだ。だけど、お願い。数ページだけ読んで『合わない』でもいいから。ね?」
両手を合わせてお願いをされて、それでも「嫌です」と言うほどに薄情ではない。
「あぁ、うん。わかった」
「全然急いでないから。何日かかってもいいからね」
久しぶりにくたびれた本と向き合った佐紀は、テーブルに置いた本を見つめ、オロオロと落ち着きなく動き回りながら考えた。
もうすでにくたびれているのだから、ブックカバーをつけなくてもいいように思うけれど、借り物なのだからつけた方がいいだろうか。しかし、借り物にカバーをつけたなら、以後このカバーを宝物には使えないような気がする。
もうすでにくたびれているのだから少し汚れたところで大した影響などないように思うけれど、いつも通りに手を洗い、指が汚れるものをお供にすることなく、ひたすらに読み耽った方がいいだろうか。
二十ページは読み進められただろう時間をかけて考えた結果、神聖なるブックカバーを使わず、百円均一で手に入れた、読み終わり次第捨ててしまってもいいだろう思い入れゼロのカバーをかけることにした。読書のルーティンは崩さず、宝物を扱う時と同じように読むことにした。
「……え、いやいやいや」
その本を開く前から、状態が良くないことはわかっていた。折られたことがあるからだろう膨らみが上辺から見て取れたのだ。その点、覚悟はできていた。しかし、内部に大量の汚れがあることは、ページを捲り出すまで佐紀は気づいていなかった。
翔太が本をこんなふうに扱う人だとは思っていなかった。佐紀の彼に対する評価が、バケツに大穴が開いてザーザーとためたものが消えていくかのように、急降下した。
ひでぇ奴だと気づけてよかったな、と佐紀の心の中で悪魔が笑う。
彼が本をこんな状態にしたという証拠はないのだから、彼一人のせいにすべきではない、と佐紀の心の中の天使が諭す。
このような状態で物語に没入できる気がしないが、『合わない』と伝えるために、冒頭を強引に読もうとした。
ポテトチップでも食べながら読んだのやら、油シミがいち、にぃ。文字の脇には黒い線、人物名には丸印。
――この丸印の人が黒幕とかだったら最悪。
読み進めるには、気合いが必要だった。
普段は文字たちに誘われて物語の中へ入り込んでいた。力みながら文字を追い、自ら物語の中へ飛び込んでいったことは、佐紀にとって、はじめてのことだった。
本の状態は最悪と言っていいし、そんな状態にした誰かを許せない。しかし、そんな状態の本に目を通したからこそ、新しい〝落ち方〟を知ることができた。
翔太に本を返すときには、まず真っ先に「ありがとう」と言おうと、佐紀は心に決めた。
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