第16話 天使みたいだ

 オトゥリアの秘策とは、魔獣の使役テイムであった。

 例えば、冰黒狼ダイアウルフの長である戦狂狼フレンジーウルフを例にとってみると、その魔獣は人を乗せた状態のまま、時速40マイルで数時間は走ることが出来るという。


 迷宮攻略においては、一般的な冒険者の歩行時速は4マイル程度。

 戦狂狼フレンジーウルフ一匹だけで、迷宮の突破速度が10倍にもなるのである。


 オトゥリアが狙うのは、その戦狂狼フレンジーウルフ等のオオカミ系統の種が長い年月を経て研鑽を積んだ上位の存在、白仙狼フェンリルである。

 速さは戦狂狼フレンジーウルフと大して変わらぬものの、持久力や戦闘力は遥かに高いと言われている。


 オオカミ系統の種はどの種であれ、歴戦の群れの長はいずれ白仙狼フェンリルという高みへと到達する。

 そんな群れの長たる戦狂狼フレンジーウルフですら平伏し、崇めるような山の主。


 冒険者ギルドでは、白仙狼フェンリルの討伐に必要なものとして上級冒険者の資格かつ、竜種を相当数倒している実績があげられる。

 上級冒険者であっても、実績が無い限り討伐の許可は降りることがない上、討伐を成功させて帰還した冒険者も少ないという危険な魔獣である。

 使役の難易度は高そうであるが、成功すれば持久力や戦闘力で大いに役立つことは間違いないだろう。


 オトゥリアは、この日のために大金を叩き、使役テイム用のアイテムを2枚購入していた。

 そのアイテムとは、魔法紙スクロール

 魔力を流せば、紙に書かれた魔法陣が発動するという、近年開発された最新鋭の技術の代物である。


 魔法の才がない者でも、魔力を通すだけで魔法が行使できるようになったために、この魔法紙スクロールの技術は未だに開発中の物の中でも革新的なものであった。


 ただし、魔法紙スクロールは致命的な欠点も孕んでいる。

 誰でも魔力を流せば擬似的に魔法が使えるようになる代わりに、発動された魔法紙スクロールは燃え尽きてしまう。


 魔法紙スクロール1枚あたり、使用は1度きり。

 その上、魔法陣を描ける人物しか描けないものであるため値段は高価である。


 今回、オトゥリアが持ってきているのは2枚。それら全ては魔獣を手懐けるための魔法である。

 乗ることができそうな魔獣を探しておけば、ここから先は苦労しない。

 そうして、適当な魔獣は何だろうかと調べた結果、彼女は白仙狼フェンリルという結論に行き着いたのだ。




 アルウィンたちは13層と14層を繋ぐ洞窟の廻廊を下って、14層へ足を運んでいた。

 地底湖のような雄大な景色はなく、あるのは時折ヒカリゴケの光があるだけの洞窟のみである。


 14層は1層と異なり、暗闇から幾度となく魔獣が襲いかかってきていた。

 襲ってくる魔獣の殆どはアルウィンの身ほどありそうな大きさの巨大グモやサソリ、そして、巨大なカエルなどだ。


 それらはアルウィンとオトゥリアの苦戦するような敵ではなかった。

 ただただ剣を振るだけで、クモやサソリの外骨格をいとも容易く斬り裂いていく2人。

 走るように斬り伏せながら、14層の最短ルートを突っ切るのだ。


 けれども、そんなときに。

 天井からぴとんと垂れ下がってきた、一滴の粘液。


「クソっ、何だこれ!

 いくら拭いてもぬめり気がこびりついて取れねぇ」


 アルウィンの鼻先に落ちたそれは、アンモニアのような強烈な臭気を放っていた。

 鼻腔を侵食する苦痛なほどの悪臭に、顔を歪めるアルウィン。


「アルウィン、この手のカエルの粘液には、氷魔法が有効だよ」


 アルウィンから急いで離れたオトゥリアが、彼に対して鼻が詰まったような声でそう伝える。

 更に、彼女の声は僅かに遠くなっていた。

 アルウィンが振り返ると、彼女の立つ位置は、彼から15ヤードほど離れた場所にまで後退していたのである。

 彼女は彼から発せられる堪らない臭気に、鼻を押さえながら急いで距離を取っていた。


「ああクソっ!〝氷結フリーズ〟」


 アルウィンは氷の初級魔法の出力を下げながら鼻先へ吹きかけた。

 途端、粘液は白く凍りついて砕け散る。


 アルウィンがふぅと深いため息をつくと、漸く戻ってきたオトゥリアがお疲れ様と一言。


「近くに居るよね。その粘液の主が」


「そうだな。間違いねぇ」


 アルウィンは剣を片手に周囲を見回した。

 けれど、周辺の魔力の動きも特に異常はない。


「ここの層から19層かけての道のりには、何種類かの巨大カエルがひしめいてるって話なんだけど…

 一番危険なのは、洞蝦蟇ヤーガーグローダだって」


「なんだそれ?聞いたことがないな」


洞蝦蟇ヤーガーグローダはね、エヴィゲゥルド王国には生息していない種なんだ。

 私も戦ったことはない。

 アルウィンが知らないのも無理はないよ」


「えっ、それはどういうこと?

 何で……そんな種がここにいるんだ?」


「恐らく、〝地脈〟の干渉だろうね」


「なるほど……じゃ、この迷宮は……」


「そういう事だよ。

 冒険者たちには洞蝦蟇ヤーガーグローダを攻略法なしじゃ初見で倒せないんだ。

 ただのカエルなら氷魔法で粘膜を凍らせて斬ればいいけど、洞蝦蟇ヤーガーグローダは氷魔法を無効化するんだ。

 あと、知性が高いらしい」


「じゃあ……どうやって倒すんだ?

 普通に剣が通るとか?」


「いや、粘液に阻まれるよ。

 ただ、その粘液は……油分を含んでいて可燃性なんだ」


 彼女の瞳に映るアルウィンの姿は、少しだけ揺らいでいた。


「オレは火魔法に適性がないんだ。その洞蝦蟇ヤーガーグローダに見つかった時はどうするんだよ」


「その時は……唯一粘液に守られていない目を狙うよ」


 オトゥリアのアクアマリンの色を放つ瞳は柔らかく、微笑む唇からはアルウィンを包み込むような温かさが漂っていた。

 その表情には、無言のうちに「大丈夫だよ」と伝えるような確かな信頼が感じられる。


 その表情を汲み取ったアルウィンは、息を深く吸い込んでいた。


「そっか!行くぞ!」


 勿論、オトゥリアには全幅の信頼を寄せているため彼は落ち着きを取り戻していた。


 そんな中で。

 ドシンと、洞窟全体に振動が伝わってくる。


 アルウィンが魔力感知を発動させると、存在感を放つのは2体の魔獣。

 2人の声に気付いた周辺の巨大カエルが襲いかかってきていたのだった。

 藍色の皮膚の個体と、赤茶色の皮膚の個体だ。


 すぐさま、2人は駆け出していた。

 先頭はアルウィン。

 そのすぐ後ろをオトゥリアが追う。


 剣を弾くカエルの粘液にアルウィンが氷魔法をかけ、すぐさま真二つに叩き割ったオトゥリア。

 2人の間に言葉はない。

 互いを深く理解してるからこその高度な連携である。


 オトゥリアはアルウィンに拳を突き出し、彼もそれに自身のものを合わせた。

 前衛のアルウィンが氷魔法をかけ、後衛のオトゥリアが飛び出しながら叩き割る───そのような連携で、彼らは進んでいく。


 運が良かったのか、14層で洞蝦蟇ヤーガーグローダには出会うことはなかった。

 2人が14層で討伐した巨大カエルは、合計12匹。

 巨大カエルに襲われていたいくつかの冒険者パーティーも救出し、全てオトゥリアの一撃で葬っている。

 その、烈火の如き快進撃に、周辺の冒険者たちは口を大きく開けるだけであった。


「いよっし!14層突破だ!」


 15層の転移盤ワープポイントを踏み抜いたアルウィンが高らかにそう叫ぶ。


「アルウィン、結構魔法を撃ってもらったけど、魔力の方は大丈夫?」


 オトゥリアは上目遣いでアルウィンを眺めていた。

 吸い寄せられるかのような魅力のある長いまつ毛を見、彼は暫くの間は息をすることを忘れていた。

 けれども。

 ハッと正気に戻ったような素振りを見せた彼は、口を開く。


「問題ないな。

 オレの魔力総量は多いし、回復速度も昔に比べれば早くなってるから、初級魔法を一発撃っても30秒くらいでその消費量を回復できるんだ」


 仮に、現在のアルウィンの魔力増量を浴槽の水に例えるならば、初級魔法一発で消費する魔力は一さじ程度の微々たるものである。

 アルウィンの魔力回復の速度も、魔力で永続的に脚力強化をしながらでも少しづつ回復出来るほどの速度にまで達していた。


「流石だね。じゃあ、このまま19層までこんな感じでスピードを上げても魔力は問題なさそうかな?」


「行ける。オレに任せろ」


 アルウィンがそう言った途端であった。

 洞窟の岩の隙間という隙間から、カサコソと嫌な音がしたのである。


 地を這うのは、赤黒い影。

 そしてそれらは、瞬く間にアルウィンとオトゥリアの2人を取り囲んでしまっていた。


 ───サソリだ。


 剣を引き抜いたアルウィンは、すぐさま前方の巨大サソリの群れに突入していった。

 15層に入った途端に囲まれた彼らは、突破口を作るために前方でいちばん薄い箇所を突き抜けていく。


 襲いかかろうとするサソリを5体同時に撃破するアルウィンの鋭い一振り。

 右隣では、オトゥリアの放つ剣閃に吹き飛ばされる十数匹が見えた。


 ───すげぇ膂力だな。オトゥリアって……


 サソリのくすんだ緑の血が、辺り一面に池を作る。

 しかし、サソリたちの連携には目を見張るものがあった。

 薄い場所を抜かれまいと、その箇所を厚くするべくカサコソ蠢いていたのである。

 その連携は、本能に寄るものだろう。

 けれどもそれは、さながら戦場に名軍師でもいるかのような迅速な補填だったのである。


「アルウィン!」


 先に状況に気が付いたのはオトゥリアであった。


「時間の無駄だから、跳んで抜けた方がいいよ。絶対」


 どれだけ進もうと、退路を塞ぐサソリの群れ。

 斬っても斬っても新手が出てくる状況で、キリがない。

 間違いなく、サソリ達は本能的に集団戦法を理解しているような節があった。


「跳ぶしかないな。でも、どうやって距離を稼ぐんだ?」


 サソリの群れは、アルウィンたちを逃すまいと100ヤードほど向こうにまで厚く伸びてしまっていた。

 アルウィンが跳躍で飛べる最大の距離であってもせいぜい60ヤード程度。

 着地したところでサソリに再び囲まれてしまうのだ。


「アルウィン。こうやるんだよ!」


 剣を仕舞ったオトゥリアは、足に魔力を込めて駆け上がった。

 ふわりと、柔らかい金色の長い髪が巻き上がる。

 オトゥリアの飛んだ方向は、真正面でなく斜め右方向だった。


 オトゥリアの飛んだ方向は、右端の洞窟の壁だったのである。


 ───そういう事か!


 そうアルウィンが気付いた途端。

 洞窟の壁の出っ張りに上手に足を乗せて着地したオトゥリアが、その足場から左方向へひらりと舞った。

 広がっていたのは、流れるような金髪とスカート。

 その姿は、〝鈴蘭騎士〟とだけで表現するには物足りないだろう。

 まさに、その姿は。


 ───天使、みたいだ…


 絵本でしか見たことがない天使という存在。

 その羽を伸ばした姿に、優雅に着地するオトゥリアが重なっていた。


「オレって、幸せなんだな…」


 ───口角が上がっていると思う。多分、跳んでいるオレの姿はニヘラ顔なのだろう。

 だけど。

 オトゥリアの背中を見ているだけで何故か幸せだ。

 いつか、追い越してやると思った背中なのに。

 追いかけることが幸せだったのだろうか。

 もし追いついたら、その先に何があるんだろうか。


 着地した途端、「何でニヤけてんの?」と指摘され、耳まで赤く染めてしまったことはアルウィンだけの秘密である。






_____________________


今回の話について、結果的にMy Ha〇r is B〇dの曲みたいなタイトルになってしまったのは内緒です。

偶然、語感が似てしまった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る