第14話 第1層

 風が唸るようなゴオオッという音。

 その音が急に止んだ。

 アルウィンとオトゥリアが目を開けると、視界が徐々にクリアになっていく。


 辺りは鍾乳洞になっていた。

 ぽたぽたと鍾乳石のつららから滴り落ちる雫。

 その中のひと滴がアルウィンの額にぽとりと落ちる。

 辺りは静寂に包まれ、時折つらら石から石筍に落ちるメロディだけが反響していた。


 ───オレはどうやら無事に転移できたみたいだ。


 アルウィンが右隣に目をやると、オトゥリアがニコッと微笑みかけている。彼女も問題なさそうだ。


「ここが第1層だね。

 とりあえず今日は……目標の40層まで頑張ろっか!」


「そうだな。頑張ろう!」


 アルウィンの差し出した拳。

 オトゥリアもコツンと合わせ、暗い洞窟を照らすような笑みを浮かべていた。


 オトゥリアの計画は、迷宮探索をした騎士団の記録を基に、弱い魔獣が多い低階層を消耗なく高速で突破できるようなものになっていた。

 1箇所だけある階層間のショートカットを駆使し、最速で駆け下りる計画である。


 彼らが目指すのは95層以下の深部である。

 そこまでは、無駄な消耗をすることなく突破していかねばなるまい。

 好戦的ではない魔獣は基本的にはスルー。

 襲ってきたら倒すだけだ。

「どう楽に下まで降りるか」が生き残るために重要なのだとオトゥリアは言っていた。


 2人はまだ暗所に慣れきっていないためにあまり使えない視覚の変わりに、壁に手を当てながら前へ前へと進んでいく。

 前を往くのはアルウィンだ。

 シュネル流の技は小回りが効き、彼らのいる狭い洞穴の中でも存分に振るうことが出来るためである。


「そういえば、オレたちみたいに1層から始める人って少ないのかな」


 洞窟内であれば、音はよく響くのだ。

 なのに、聞こえてくる音はアルウィンとオトゥリアから発せられるものだけ。

 冒険者が他にいるのならば、普通であれば戦闘の音は聞こえてきそうなものだ。


「そうだね……大体、みんな途中までクリアしてる人達なんだろうね」


 冒険者であれば転移盤ワープポイントは、登録済の任意の箇所に転移することとが出来る。

 自分の欲しい素材が集められる箇所や、新たに挑戦したい層まで瞬時に移動出来るため、わざわざ低階層へ赴く必要が無いのだろう。


「オレたちはスタートがゆっくりだけど……全力を出そうな」


「うん!もちろんだよ!」


 2人がそんな言葉を交わしていたその時。


 前方から、バサバサという翼の動く音。

 目を凝らしてみると、こちらに向かって飛んでくる幾つかの小さな影が見えた。


「おおっ、あれはコウモリだね!

 アルウィン、任せたよ」


「任せろ!」


 舞うように飛んでくる、3匹のコウモリ。

 羽を広げた大きさは3フィート弱といったところか。

 2人を襲おうとするコウモリは、ズィーア村周辺に生息する個体と比べたら圧倒的に小ぶりだ。

 それに、飛ぶ速さも幾分遅いように感じる。


 アルウィンは剣の柄に手を置いたまま、駆け出していた。

 未だ抜刀はしない。3匹全てが間合いに入るまで待つつもりなのだ。

 コウモリがキィキィと鳴きながらアルウィンの目と鼻の先まで迫ったとき。


「シュネル流!〝辻風つじかぜッ!!〟」


 真っ暗な洞窟が紅に輝いた。

 そして、ぼとりと落ちた3つの骸。


 瞬時にアルウィンは剣を振って鮮血を落とし切り、鞘へと戻す。

 後ろから見るオトゥリアは、彼の洗練された〝辻風〟にかつての師オルブルの姿を重ねていた。




 5分ほど狭いトンネルを歩くと、急に視界が開けてきた。

 二度三度コウモリが襲ってきたが、アルウィンが難なく退治している。

 2人が通ってきた道の幅が1.5ヤード程だとすると、ここは6ヤードくらいだろうか。

 目を凝らすと、奥の壁にはびっしりと蜘蛛の巣が張られていた。


 水の流れるちょろちょろという音が聞こえてくる。

 水はアルウィンたちの左手側からこちらへ向かって流れているようだ。

 オトゥリアは彼の横に並び、口を開く。


「この手記によると……私たちはもうショートカットの入り口に来たみたいだよ」


 オトゥリアが手に持っているのは、薄汚れた手記だ。

 これは、96層で唯一生還してきた騎士の残したものの写本であり、詳細に迷宮のことが記されている資料である。


 オトゥリア曰く、左手側の水流の流れてくる方向に向けて歩いていくと、第13層に繋がる小道があるという。


 アルウィン達は1層の1/4程度しか進んでいない。

 各層の広さはまちまちだが、大きさの平均はダイザールの街と同程度であるという。

 そのように大きいのであれば沢山の魔獣が生息出来るため、冒険者が挙って稼ぎに来るのも納得だ。


 このまま順当に2層、3層……と進んでいくと体力も時間も余計に消耗してしまう。

 時間や体力を温存するためにも、ショートカットは重要なのだ。


 アルウィンは小川に向かっていった。

 水の流れる部分は窪んだ両岸に阻まれている。

 水量が少なめでありながらも、その川は洞窟の底である柔らかい石灰質の部分を深く侵食していた。


 彼は流れる水に手を突っ込んだ。

 ひんやりとした水流が、手を優しく包み込むような感覚が走る。

 この水は順々に各層を巡り、13層の地底湖へ注ぎ込むという。


 アルウィンは水を掬った。

 ぱしゃりと水が跳ね、オトゥリアは避けるために一歩下がる。


 掌にあるのは、透き通った水だ。

 水には僅かに魔素が溶けているようで、彼がグビっと口に流し込むと、魔素が身体に吸収されて、身体の中がじんわりと暖かくなった。


 隣では、オトゥリアも身を屈めて口に水を流し込んでいた。

 手から零れ落ちた冷たい雫が、彼女の太ももに落ちてソックスの繊維を同心円状に湿らせる。


「おいしい水!手記にあるように魔素が少し溶けているみたいだね。

 何かあったら魔力の回復を出来るように、ここの水を汲んでおこうよ」


 オトゥリアは携帯式収納袋スペースポケットに手を突っ込んでいた。

 そして、あれよあれよという間に袋の中から硝子瓶を7本も取りだしている。


「7本は多すぎだろ」


「確かにそうだけど、この先には凶暴な魔獣が沢山いるから魔力の回復が出来る水は確保しないとまずいと思ったんだよね。

 あと、確か魔素が溶けている水はなかなか腐らないし……大丈夫だと思う」


「魔素が溶けてる水は腐りにくいってこと、初めて知ったよ」


「そうなんだね。知っておくとなかなか便利だよ!

 まーでも、もし腐ったとしても10層毎に騎士団の施設で水は買えるし、問題ないと思うけどね」


 そう言っている間に慣れた手つきで直ぐに7本分の水を汲み終えてていたオトゥリア。

 7本全てを携帯式収納袋スペースポケットに入れると、彼女は立ち上がった。


「それもそっか。じゃあ行こうか」


「うん!」


 オトゥリアが追いかける、少し大きなアルウィンの背中。

 上流への道は、先程までの道とは違って並べて歩けないほど狭くはなかった。


「そういやさ、オトゥリア」


 丁度いいと思ったのか、彼は口を開く。


「どうしたの?アルウィン」


「村にいた頃は、オトゥリアって字の読み書きが出来なかったよな」


 足下は先程よりも湿っていた。

 2人の歩みに合わせてキュッキュッと滑る靴。


「あっ……確かにそうだったね。

 いつもアルウィンに読み方を教わってたもんね」


「手紙も師範に送ってたし、昨日は普通に文字読めてたし……王都に来て読み書きを覚えたの?」


 ぱしゃりという音と共に飛び散る水滴。

 アルウィンが踏んだ水溜まりから飛び散ったものである。

 オトゥリアはその水滴を避けながら口を開いた。


「えっとね……理由話すのちょっと恥ずかしいな」


「えっ?

 そんなに恥ずかしい理由で読み書きを勉強したの?」


 その言葉に、オトゥリアは火照る顔を手で隠しながら「うん」と一言。


「そのっ……また今度、いつか絶対に話すから」


 ───はぐらかされたか。


 視界の先は、左方向への曲がり角になっていた。

 2人が曲がると、目の前でぽよぽよと跳ねるスライムが3匹。

 行先はスライムに塞がれていた。

 避けて通ることは難しそうだ。


「アルウィン。次は私でいいかな?」


 そう言い終わるが否や、携帯式収納袋スペースポケットに手を突っ込んだオトゥリア。

 そして目当ての物を見つけると、勢いよく右手を引き抜いた。


 紫銀に輝く剣身。

 材質は、魔力増幅効果のある金属ミスリルだろう。

 あそこまで輝くということは、ミスリルの純度は100%に限りなく近いものであるはずだ。

 剣の長さは、アルウィンの白鉄剣よりも少し長いといったところ。

 柄頭には、オトゥリアの2つ名の鈴蘭の模様が彫られている。


「オトゥリア……それ、美しい剣だな」


「でしょ!オーダーメイド品だよ!」


 剣を褒められたオトゥリアは、唇の両端を幸せそうに噛みしめながら駆け出していた。


「〝三段峡さんだんきょう〟!!!」


 両手持ちで上段から振り下ろされた一閃。

 剣が真下に到達した途端に、彼女は眼をカッと開いて左へ切り返す。

 そして左下から右上へ、勢いよく斬り上げた。


 アルウィンはその剣閃を、まるで魅入られたかのように眺めていた。

 オトゥリアの斬撃は、力強く振り抜かれた3段だ。

 振っていた方向と別方向に振れば、振り下ろした勢いは普通であれば失われてしまう。


 しかし。

 オトゥリアは振り下ろしの勢いを殺すことなく、繊細な技術を以て3段きっかり振り抜いてみせたのだ。

 彼女のそれは努力の証であろう。


 オトゥリアに細切れにされたスライムが、身体を魔素に変換させて絶命した。

 そして───彼女の視線の先にあったのは、下の階層へ真っ直ぐに伸びる大穴だった。


「ふぅ……アルウィン。目的地に着いたよ!」


 オトゥリアは剣を袋に仕舞うと、アルウィンの方へ向き直った。

 つかつかと彼は大穴の側へ歩みを進める。

 下からごうごうと風が流れてくる、半径2ヤード程の穴だ。


「で……この下が13階層なんだよな」


 アルウィンの足は小刻みに揺れていた。

 彼の顔は、オトゥリアに気づかれまいとしているが若干引き攣っていた。


 下は真っ暗闇。

 地面までどの程度あるのだろうか。


「そうだよ!

 ここがショートカットの道なんだって!」


 オトゥリアとアルウィンの視線が一瞬、交錯した。

 気まずくなったのか、彼のポケットに突っ込まれる左手。

 それを引きずり出したオトゥリアの右手が優しく包み込む。


 アルウィンに「大丈夫だよ」と目線で語りかけるオトゥリアがそこにはいた。

 そして、互いに頷くふたり。


 2つの影は、遥か下の闇へ吸い込まれるように消えていった。




_____________________

ちなみに魔素についてですが、私の作品内ではあらゆる生物の細胞内や空気中に宿り、宿主と共生関係を結んでいる極微細な知的生命体と定義しています。

その魔素を利用したエネルギーの量が魔力となり、魔力をコントロールすると魔法などに変化します。


この世界の住人は身体に魔素を有していますが、生まれ持つ魔素量には個人差があります。

魔法が発現する人は100人に1人程度とごく稀ですが、身体強化程度であれば程度差はあれど誰でも行えます。

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