第10話
その衝撃とは別に、どう見ても奇妙だった。
「なぜこの結末を選んだんだ?」
シン作家が送ってきた『Mother』を25話まで読破したサイモンの頭には疑問がいっぱいだった。
気持ちとしては、近くのカフェで原稿を手にじっくりと考えたいところだったが、今日はまだ処理すべき仕事が残っており、残念ながらそうすることはできなかった。
新聞社では毎日が締め切りの連続だった。
文化セクションの担当記者であるサイモンは、取材に出ることは少なかったが、その分デスクに向かう時間が多かった。
昼の会議で、現在の課題や編集長からの方針を確認した彼は、朝に提出した企画に基づいて記事を書きつつ、次々と届く原稿をチェックしていた。
最後に提出されるはずの『最後に去った者』『ランプ』『ゴールデンクエスト』はまだ届いておらず、『死の手』も同様だった。
原稿の到着を確認し、編集部に回したサイモンは、すぐに作家に電話をかけた。
まずは『ゴールデンクエスト』から。
「作家さん!原稿をいただかないと!」
「作家さん、もう亡くなったんですよ。」
「もう予備もないってことですね!」
次は『死の手』。
「作家さん!」
「……すみません、記者さん。」
「何か悩みがあるんですか?」
「今の私が決めた結末が本当に最善かどうか自信が持てなくて……。」
「これまでうまく進んできたじゃないですか?反応も良かったですし。」
『死の手』は、雪山で孤立した主人公が未知の恐怖と闘う物語だった。
毎朝テントの周りに雪でできた手形が残され、主人公はその手形が増えるのを見て精神的に追い詰められていったが、なんとか生き残ろうと必死にあがく。
しかし、通常の恐怖小説がそうであるように、主人公は最終的に死亡し、手の正体は明かされずに終わる予定だった。
サイモンとしては、それ以上何を悩むことがあるのかと思っていたが、どうやら書いている作家の立場は違うようだった。
「もう少し良い結末があるんじゃないかと思って……。」
そんなふうに悩む作家と話しながら、サイモンは考えていた。
「確かに、変更された結末のほうが恐怖小説としては合っているかもな。」
彼は『死の手』の話をしながら、ふと『Mother』の結末を思い出していた。
スージーとケビンが計画した命がけの脱出は失敗し、物語は絶望と恐怖の中で終わる。
スージーは自分をこれまで苦しめてきた母親をついに殺してしまい、その母親と同じ存在になってしまう。
なんとも悲しい悲劇だった。
恐怖小説としてはこれが正解だろう。
「後味を悪くしないとね。」
サイモンは、自分が最も好きな作家の一人であるスティーブン・キングを思い出した。
その中でも『Mother』と直接比較できる作品があるとすれば、彼の最初の長編小説『キャリー』だろう。
学校で「いじめ」に遭う少女キャリーが超能力に目覚め、宗教的狂気に囚われた母親や学校の友人たちとの対立を描いた作品だ。
しかし、キャリーと『Mother』には確かな違いがあった。
スティーブン・キングは主人公の超能力に焦点を当て、シンは母親という恐怖の対象に焦点を当てていた。
その結果、生じる差は大きかった。
キャリーは恐怖の対象に感情移入させる作品であり、『Mother』はその正反対だった。
サイモンは『Mother』の恐怖を「無力感」と解釈した。
ある意味、この小説は問題作と言えるかもしれない。
冒頭から動物虐待や児童虐待が描かれているからだ。
それが続くことで、読者に「母親」という存在への恐怖を感じさせるようになっていた。
このように、恐怖という感情は実際には不快感に近いものだった。
それにもかかわらず、人々が恐怖を求める理由は、その後、自らの生活に戻り、解消されるからだった。
苦いコーヒーを飲むことで甘い食べ物をより甘く感じる行為に似ていると言えるだろう。
だからこそ、恐怖が含まれたジャンルの多くは、スッキリと終わらせないことが多かった。
殺人鬼を倒しても、彼が生き返る様子を見せて続編を示唆したり。
あるいは、恐怖に最後まで打ち勝てずに墜落する主人公を描いたり。
サイモンが最も気になっていたのは、たった一つの点だった。
「まさか最初からこういう結末にするつもりだったのか?」
企画も原稿も素晴らしく、フィードバックする必要がないと感じていた小説『Mother』。
しかし、唯一ちょっと首をかしげた部分があるとすれば、それは結末だった。
シン作家が前に提示した結末は確かに魅力的で、理由もはっきりしていたが、恐怖ジャンルの標準からはかなりかけ離れていた。
しかし、だからこそサイモンはより大きな衝撃と恐怖を感じたのも事実だった。
企画書の内容を知っていた立場から期待していたものと真逆の結果になったからだ。
それなら、何も知らない読者たちはどう予想するのだろうか?
彼は『Mother』という作品の設計図を知っている自分を消し去り、真剣に考える必要性を感じた。
一般の読者はこの作品の23話あたりで一体何を感じるのだろうか。
「期待するだろうな。」
ケビンとスージーというただの少年少女が、どうにか脱出する結末を。
しかし、そうはならなかった。
『Mother』は残酷な現実を突きつけて終わった。
「早く仕事を終えて、作家に電話してみよう。」
作家たちをなだめて電話を終えたサイモンは、編集部にこれまで制作した文化セクションのページをまとめて渡した。
気がつけば、オフィスにはタイプライターの音だけが響き、各セクションの記者たちは締め切りに遅れないように集中して原稿を仕上げていた。
そして午後5時。
すべての仕事を終えた記者たちは、のびをした。
「ふぅー。」
「ああ、今日こそ死ぬかと思ったよ。」
「みんな、本当にお疲れ様。」
トランス・ニューメディアは非常に小規模な新聞社で、そのため各部署に担当記者は1人か2人しかいなかった。文化セクションの唯一の記者であるサイモンは、顔色が青白くなりながら椅子に背を預けた。それでも手は机の上をまさぐり、タバコと電話を探していた。
『早く電話をかけなければ……。』
まさにその瞬間だった。
「サイモン。」
「お、お疲れ様です、編集長。」
編集長のヒューゴ・アーヴィングが近づいてきた。
「仕事は全部終わったか?」
「ええ、全て提出しました。」
「最近、頑張ってるな。何かいいことでもあったのか?」
「いや、特に何も……。」
「社長に言った言葉、よかったぞ。」
笑顔で話すヒューゴ。
その前でサイモンはぎこちなく笑い、周りの様子を窺った。他の記者たちは編集長の登場に息を潜めていた。
このトランス・ニューメディアでは、社長に次ぐ、いや、実際は社長以上に権力を持つ存在。それがヒューゴ・アーヴィングだった。彼は非常に政治的で、いわゆる「裏工作」が得意な性格だった。
「……私が出しゃばり過ぎたでしょうか?」
「いやいや、そんなことない。ジュリアが抜けた後、文化セクションが大丈夫か心配だったが、この調子なら問題ないだろう。」
退職した先輩記者の名前を口にするヒューゴ。
サイモンの顔色が一瞬で青ざめた。それを見逃さなかったヒューゴは、サイモンの机に置かれた原稿を確認した。
「これか? 今回契約したっていう『物件』は。」
「あ、そうです。」
「どんなに良い作品なのか、やる気がみなぎってたようだし、俺も読んでみるか。」
「えっ……。」
「何をしてるんだ、サイモン。渡せって言ってるんだ。」
「ど、どうぞこちらです。」
「タバコも一本くれ。」
サイモンのマルボロを一本くわえて火をつけながら、ヒューゴは『Mother』を読み始めた。
そして、その前でサイモンは非常に複雑な感情に襲われた。
ジャンル小説に詳しくない人の目から見て、この『Mother』がどれほどの影響力を持つか興味があるのも事実だった。しかし、その評価をしてもらう相手が、対処するのが厄介な編集長だなんて。一体どんな反応が返ってくるのか、怖かった。
ヒューゴはタバコを吸いながら、ゆっくりと小説を読み進めた。
今回契約した小説がサイモンの気に入っているという噂は他の記者たちにも伝わっていたが、彼らは特に表立って反応することなく、今の状況を興味深く見守っていた。
ヒューゴは無言で小説を読み続けた。
1話、3話、5話、そして7話まで。
ある瞬間、彼が顔を上げた。
「サイモン。」
「はい、はいっ!」
「これ、連載はいつから始まるんだ?」
「一応、11月6日を予定しています。」
「ジーザス、サイモン。正気か?」
「えっ?」
「今は10月中旬だろ。こんな素晴らしい小説を2週間以上も寝かせるつもりか?理由は?」
ヒューゴは呆れたように問いかけた。
その前でサイモンは必死に理由を考えた。
11月6日に連載を開始する理由。もちろん、それはシン作家の要望だった。しかし、その理由を口にするのは避けたかった。たとえそれが事実だとしても、若い作家に責任を押し付けるような形になってしまうからだった。
「今は選挙期間中ですし……。」
「たかがそれだけの理由で連載を延期するって?事実上、放置してるのと同じじゃないか?」
ヒューゴは非常にもっともなことを言った。
実際、彼は『Mother』をきちんと読んでいなかった。サイモンは小説を評価する目がある方だったので、ヒューゴはあえてきちんと読んで心を揺さぶられたくなかったのだ。
つまり、彼が今『Mother』を読むふりをしているのには、別の理由があった。
社長の前で生意気に出たサイモンの気を挫くための行動だった。小説自体は関係なく、ただの道具に過ぎなかった。
「作家に電話を繋げ。」
「えっ?」
「何してる、早く。」
「あ、そ、その……。」
「何か後ろめたいことでもあるのか?今度も他の出版社に作品を回そうとでもしてるのか?」
「……。」
その言葉には、サイモンももう対抗できなかった。
惨めな敗北感を抱きながら、彼はシン作家に電話をかけた。
『申し訳ありません、作家さん……。』
短い呼び出し音の後、相手が電話を取った。
「お電話いただきました。」
「あ、こんにちは。作家さん。トランス・ニューメディアのサイモン・カーバーです。」
「はい、サイモンさん。どうされましたか?」
「そ、その、編集長が少しお話できるかと……。」
紹介しようとした瞬間、編集長が受話器をひったくっていった。
そして、彼は豪快な声で叫んだ。
「こんにちは!作家さん!トランス・ニューメディアの編集長、ヒューゴ・アーヴィングです!」
***
誰でもそうだが、私にも個人的に嫌いなタイプの人間がいる。
そのうちの一つが、無駄に声が大きい人だ。
[ヒューゴ・アーヴィングです!]
その声を聞いた瞬間、私は耳から半分ほど受話器を離した。
そして状況を察した。
『面倒なことになってるみたいだな。』
これまで数多くの人に会ってわかったことは、社会は自分が思っていた以上にずっと冷酷なジャングルだということだった。意外にも、人は愛や友情といった概念を通じて関係を築くことは少ない。特に会社という場所はそれが顕著だった。
店を見ながら小説を読んでいた私は、わざとさらに明るい声で挨拶をした。
「こんにちは。編集長さん。シンと申します。」
[シン?シン?面白いペンネームだね。]
「いちおう、本名です。」
[ああ、作家さん。中国人ですか?]
「アメリカ人です。韓国系アメリカ人です。」
[そうですか!連載日をめぐって社内で意見の対立があったので、電話させていただきました!]
「どういったご用件でしょうか?」
[サイモンが連載日を11月6日に設定したそうだが、少し遅いと思いませんか?]
「……どうでしょうね。」
私は一瞬、頭をフル回転させた。
11月6日。それは確かに私の意向だった。しかし、今編集長はサイモンが決めたと言っている。つまり、サイモンは私を守るためにカバーしてくれたのだ。それなら、彼をもう少し信じても良さそうだ。
いずれにせよ、今は情報が不確かな状況なので、迂闊に動くことはできなかった。
「私はそれで問題ないと思っていました。」
私はあえて様々な可能性を残した回答をした。
[ああ、作家さんは新人だからまだ分からないんだろうね。早く連載を始めてお金を稼がないと!]
「いやいや、こんな大したことない小説にまでご配慮いただいて、恐縮するばかりです。」
[いやいや、本当に面白かったよ!]
「お読みいただけたんですか?ありがとうございます。」
[私、結構小説が好きでね。トランス・ニューメディアにまだ作家さんたちの連載欄が残っているのも、私のおかげなんですよ。]
「お心遣いに感謝いたします。失礼ですが、どの部分が特にお気に召しましたか?」
[1話からインパクトがあったね。主人公が死んだのが、実は彼じゃなかったんだよね。]
「ええ、それはちょっと違う内容だったはずですが。」
[え?]
「ああ、すみません。私が一度原稿を修正して送ったのですが、編集長は旧バージョンをお読みになったようですね。……もしよろしければ、サイモンさんに少し代わっていただけますか?」
[ん?今話していることを終えてからで良いんじゃないか?]
「すぐに終わりますので。」
[そうか、ならまあ、いいだろう。]
[あ、あの、もしもし?作家さん?]
「サイモン。」
私は目を細めた。
「私に原稿の修正をお願いしたの覚えてますよね?」
[……あ、はい、はい。]
「それを今日ファックスで再送しましたが、編集長は修正前のバージョンを読まれたようです。残りの部分もそうかもしれないので、編集長がどこまで小説を読まれたのか確認してもらえますか?」
[7話まで読まれたようです。]
「ちょうど修正をお願いした部分ですね。」
私はわざとため息をついた。もちろん、すべては演技だった。
1話、主人公、死ぬ。
編集長は曖昧な三つの単語で私の小説の良い部分を表現した。普通、確実に良い部分は細かく記憶するものだし、犬を愛する典型的なアメリカ人なら「代わりに死んだ」という表現ではなく、「主人公の犬が死んだ」と具体的に言うのが自然な流れだった。
そこから編集長が小説をきちんと読んでいない可能性があると判断し、サイモンに電話をつなぎ、さらに詳しい情報を引き出した。
編集長は私の小説をちゃんと読んでおらず、しかも全部読み終えてもいないのに電話をかけてきたのだ。
『サイモンはそこそこ察しが良いみたいだしな。』
私は彼を信じ、そして情報伝達が遅い1980年代の状況を信じて、質問を投げかけた。
「私、何話までお送りしましたっけ?」
[えーっと、それは……何話まで送ってもらいましたかね?]
「7話までですよ。」
私は微笑みながら答えた。
「すみません。作業が遅れているので、もう少し時間が必要かと思います。編集長もお聞きになってますか?」
[ああ、はい。今一緒に聞いています。]
「編集長、連載を始めるためには最低10話が必要とおっしゃいましたよね。でも、作業が遅れていて、早く連載を始めると言われても……ちょっと難しいかと思います。」
[そうか?3話分くらいで、すぐに連載を始めても大丈夫なんじゃないか?]
やはり急かしてくる編集長。
何が原因かは分からないが、とにかく彼はこの場で自分の意向を通そうとしているようだった。
そして、私はその頑固さを打ち砕く決め技を放った。
「実は、今は小説を書く環境にいなくてですね。」
[何か事情でも?]
「学生なので、勉強と並行しなければなりません。」
[……え?]
面食らった声で聞き返す編集長。
私は、自分のK.O.勝利を確信した。
『学生が勉強すると言ってるのに、どうしようもないだろう?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます