第七話 復讐

 あれから息子のイチロウは、幼稚園で新しく出来た友達の皆と毎日楽しい日々を送り、アカネの料理教室の方も順調に業績を上げて居る台本通りの展開。平日の日課に、イチロウの幼稚園行きバス停迄の送り迎えが追加されたアカネ家。朝のドッグランの後、其のママ家に戻らず大通りのバス停まで歩き、其処でイチロウをバスに乗せる。そして家に帰る前に大通りの個人商店に寄って、家の日用品や料理教室に使う食材等を買ってから帰宅。午前と午後の教室が終わると、丁度イチロウを迎えに行く時間。

 毎日、何の起伏も起きない淡々と生きる日々が、実は何よりも濃厚で密度の濃い幸せ。人間(ゴロウ)時代には、茶碗を持たずに飯をガッツクなど以ての外。フラリ道を闊歩する中、急に大便を催したら(しちゃおっと!)即脱糞なども以ての外。四つんばいで丼飯を喰らい、散歩中に催したら即脱糞も正義。後始末はイチロウかアカネが処理してくれる。好きな時に寝て、好きな時に起きて、朝昼晩三食、手作り飯付き家根付き。だが矢張り、一番の幸福は飼い主の二人..あの二人の存在が今の俺の平穏な時間を提供してくれて居る..。満たされた日々を送るゴロウ。其れと反比例して、少しずつ人間時代のゴロウの記憶を蝕んで来る獣の習性。

 

 ———或る夜、ゴロウは夢を見る。

「ムラタ様!..いやさゴロウさん。お久し振りですわ、ミユキです。その後の具合は如何ですか?ペロとして毎地球日、充実された地球犬生(地球人人生)を過ごして居られるでしょうか?..もう直ぐ私達が交わした約束の地球日、“一瞬”の最後がやって参ります。明日の朝、ムラタ様!..いやさゴロウさんが眼を覚まして頂く御飯から数えて九食目(ペロは一日、大盛り三食派の大喰らい)。其の九食目の最後の一食、漆黒の夜が即ち一瞬の御仕舞い..残された地球日での生活は三地球日。その三地球日目、二十三地球時五十九地球分五十九地球秒から、〇〇地球時〇〇地球分〇〇地球秒に変わった時点で、ムラタ様!..いやさゴロウさんは消滅して、その代わりペロが生き返ります。そして私は宇宙世界から舞い降りてムラタ様!..いやさゴロウさんの『意識』を御迎えに参ります。

 ..此処からは、私の独り宇宙人言としてお聞き下さい。ゴロウさん?何か大事な事を幸せに感けて忘れては居りませんか?初めの三食の日の金曜日、其の日はイチロウ君と一緒に小道を散歩する時間に充てて下さい。良いですか?必ずイチロウ君を伴って行って下さいね。次の六食目の日は実行に充てて下さい。地球が眼を閉じた時、お布団の中のゴロウさんを抱き抱えて居るイチロウ君。その彼の両手の魔法は解けて、ゴロウさんは世界へと解放されます。気が付くとオ家の外に居ります。そして無意識の内に、昨日イチロウ君と散歩をした小道へと歩いて居る事でしょう。そして小道に沿った小川の何処か..〇い穴をゴロウさんは見付けます。其の〇い穴に入ってみて下さい。その〇い穴の向こうには広いお庭、そして一軒の大きな白い家屋をゴロウさんは見る事でしょう。アカネさんのオ家と同じ様に、縁側越しに大きな窓ガラスが在って、何故か其の夜だけはソノ大きな窓ガラスの鍵は掛けられて居ないみたいです。其処から先の事は私には分かりません。最後の九食目の一日、二十四時間をドノ様に過ごすか?其れはゴロウさん御自身が決めて下さい。..豚カツ..覚えておいて下さい、この地球名物料理を、アカネさんが台所で料理して居る姿を目撃したらソレが合図。その夜の深夜〇〇時、日を跨いだ瞬間、ゴロウさんは人生を全うされます。亡くなるのです。後悔の無い人生を送って下さい」

 

「お父さん、お早おッ!」

 幼稚園に通い出す様になってから、早く現場(幼稚園)に行きたいと云う本心からか?ゴロウに顔を舐められなくとも自分から起きる良い癖が付いたイチロウ、逆に寝て居るゴロウを起こす事もシバシバ。夜中、ゴロウを羽交い締めする腕力も日に日に強さを増して居るのを実感するゴロウ(何時か締め殺されるんじゃ..)。父親として息子の成長を実体験で感じられる悦び。正に人間成長期真っ只中のイチロウと、推定年齢が六歳から九歳辺りの草臥れた中年犬ゴロウ(ペロ)。イチロウに起こされたばかりでチト頭が冴えないながらも(昨日観た夢は一体何だったのか?そしてミユキって誰だ一体?)、気に掛かるゴロウ。

 この時のゴロウ、更に言語障害が悪化してはチト悩んで居た。つい最近までは、滑舌良くイチロウと難なく会話出来て居た筈がチトここに来て上手く言葉を話せなくなって居る場面もシバシバ。言葉に語尾にツイツイ「ワン!」「バウっ」「ウォフ!」が編み込まれてしまう災難。

 この日は金曜日、今日イチロウは幼稚園に行ったら週末はお休み。幼稚園に通い出して徐々に社会性を身に付け出して居るイチロウ、幼稚園も好きだが、幼稚園の無い週末も好きだ。

「お父さん!明日と明後日ェ何しようかあ!?」

「お早うイチロウ、あのな?お父さんチョットお願いが在るんだけどワン」

「ウンっ良いよォ、何イぃ?」

「今日イチロウが幼稚園から帰って来たら、お父さんと一緒に小道を散歩して欲しいんだ..良いか?」

「うんッ!」

 (何故イマ俺は、こんな仕様も無い事をワザワザ御願いしたんだ?..別に行きたくも無いのに)

 自分でも分からないゴロウ。ゴロウに分からない事は作者にも分からない。だが大人として、一度吐いた事を覆す訳にはいかない、今日の午後は行くしか無いのだろう。

 普遍の変わらない朝の光景。退屈にも捉えられる文章かも知れないが、普遍性の中で宇宙は廻り、爆発を遂げて又新たな宇宙が産まれる。退屈こそ複雑な世界なり。アカネとイチロウが食卓で朝食を摂り、床の上に置いて居る丼をペロが光速で完食。食後は皆でドッグラン。

 この日の朝は何故か、大抵は居る筈のアキラの姿が見当たら無い。 (アレ!?居ないなぁ..)

 そう呟くと、何故かミスズの顔が脳裏に浮かんだゴロウ、。思わず彼女の面影を廻りに探すが、ミスズも此処には居ない。この瞬間、ゴロウの記憶がブリ返す。

 (そうだワン..ミスズ姐さんが前教えてくれたっけ..大きくて白い家が小道沿いの小川を挟んで建ってる。其処の家からは人間には無理、獣にしか嗅ぐ事が出来ない哀しみの腐乱臭が漂ってる。昔の此処は沢山の野良犬や野良猫達が住んでた。だけど皆んな姿を消した、人間達が保護したんならソレは美談だが、金にならない事に人間はビタ一文払わねえ。人間の仕業じゃ無え、鬼畜の仕業さ。空を飛ぶ鴉達をスリングショットで撃ち殺す。蛇の頭に向けてセメント石を投下。トンボを捕まえて両手で左右の羽根を胴体ごと千切る。意味も無く天道虫を左脚で踏み殺す。ドブガエルの肛門に爆竹を捩じ込んで着火。

「ゴロウちゃん、上記が私が仕入れた情報。ドッグランの犬達だけじゃ無くて、鴉やヘビや昆虫やドブガエル達からも聞き込みを入れたの!其処の白い家、その家の小川を挟んだ小道の現場でゴロウちゃんは殺されたのよ」)

 ゴロウ、覚醒。頭に光が刺した。其れまで気になって居た言語障害や、ゴロウとペロの狭間で悩んで居た『意識』の多重人(犬)格障害の全てが一気に消えた。

 (長かった..此処まで来るのに時間が掛かったが、俺が自覚する為は必要だったんだ)

「俺はゴロウだ、ペロ何かじゃ無え」

 

 ————家族の元に早く歩み寄りたくて、送迎バスの出入り口はチト混雑。忍耐と云う事を既に習得して居る大人の子供イチロウ、先ずは女子を全員降ろす。其の後、慌てる事無くバスの出入り口から上品に下車。バス停で待って居たアカネ達に駆け寄り、そこから子供の顔に戻る。イチロウ定番、アカネの股間部に向けて顔面タックルからの両腕で臀部の締め付け。

「イチロウ、今日も幼稚園は愉しかったか?」

 何時もならば、バスから降りて来たイチロウの姿を見付けては燥ぐゴロウだが、今回はチト違う。イチロウの帰りが待ち遠しかったゴロウ。早く小道に行きたくて気持ちが焦る子供の大人ゴロウ。

 バス停から家まで歩いて一〇分程の短い距離の中で、イチロウがアカネに幼稚園で体験した事を興奮気味に語るのが定番の日課。真ん中にアカネ、右にイチロウ、そして左にペロが定番の立ち位置。

「そうなの?フフ!良かったじゃない!」

 息子のイチロウに対して、軽快且つ心地良く相槌を打つ聞き上手のアカネ。このアカネの巧みな場の盛り上げ方に乗せられて、更に滑舌は増して喋り倒すイチロウ。会話が多い家庭にグレる子供は居ない。「そんでね、そんでねッ!」「ウンウン!それでソレでぇ?!」

 一同は、気が付くと家の玄関先マデ辿り着いて居た。家を見て急に思い出したイチロウ、

「あのねオ母さん。今からペロと一緒に小道を散歩して来ても良い?」

 自宅の玄関先に着いて早々、イチロウが聞いて来た。

「う、ううん..別に良いけど、如何したのイチロウ?急にこんなコト聞いて来て?ちゃんと時間を決めて帰って来たら良いわよ」

 訝しげにアカネが答えた。ソレはそうだ、何時も自由勝手に行って居る場所に、ワザワザ改めて問う必要が在ったか?流石に四歳児イチロウでも思い、考えた。..あった、あったあった、コレはお父さんとの約束。初めてお父さんから御願いされた大事なお散歩、だからお母さんに聞いた、お父さんの事は内緒にして。

 今の季節は春から夏に掛けて。日の入りは遅くなって、辺りが暗くなるのも十九時をやっと過ぎた辺りから。北南に走る小道の全長は約一〇〇〇メートル。私の家から小道までは歩いてホンの数分。イチロウの脚で、端から端まで往復しても小一時間で終える距離。薄着の長袖が一番似合う季節。今もモチロン日が高く照って居てチトお昼寝日和(サテ、台本通り状況説明したからオ昼寝でもしちゃお!——アカネ談)。

「気を付けなさいね?イチロウ。駄目よ、変な人何かに付いて行ったら!?」

「うんッ大丈夫う、其の時はペロが咬み殺すからあ!」

 玄関を上がり、駆けて部屋に戻ったイチロウ。何故だがコノ時、ペロはイチロウの姿を追わず、玄関口で待った。

 (あら?珍しい..)

 アカネは思った。

 (お父さんが玄関で待ってる!..)

 急いで幼稚園の制服から私服に着替えたイチロウ、駆け足で玄関口に戻って来た。其処にはペロと、上がり框に座る母親のアカネ。

 (ペロもだけど、この子もチト変ね..)

 隣で「フゥフウ(来い!早く来いイチロウ!)..」

 ペロの鼻息がチト荒い。

 (何だかイチロウ事を急かしてるみたい..)

 坪数一.五坪の一般的な玄関口、だがこの小さな世界で其々三個の思惑が大激突。無音の神経戦。頭が狂いそうだ。イチロウは玄関の上がり框にて自分で靴を履けてはみたが、結んだ蝶々結びが中々気に入らない年頃。何度も何度も遣り直すこだわり派。

「ヤッタ!これだあッ!」

 満足の出来る靴の締め具合と、蝶々結びの出来具合い。美しい。完璧。

「ヨシ!行こお!?お父..ペロ!」

 既にアカネがペロに首輪を嵌めて、リィド紐も装着済み。

「じゃあ行って来まあぁす!」

 上がり框から勢い良く立ち上がると、其れ迄玄関に伏せて居たペロも勢い良く立ち上がり、「ガラガラガラっ」玄関の引き戸を開けて表に駆けるイチロウとペロ。

「気を付けて行ってらっしゃいねェ!」

 二人(一人と一匹)共、其々が抱く使命感から、家から小道に打つかる突き当たりまで一気に掛けた。家から小道までは歩いて数分の距離、ホラ?もう着いた。

「着いたよオ父さあん、コレから如何するの?」

「分からん、だが取り敢えずコノ小道を全部歩いてみたい」

 イチロウの家は丁度この小道の中間辺りの道路に建って居て、今の丁度その突き当たり。横に走る小道は方角で云うと南北、右に進むと南で、左が北の方角、駅前が在るのは北だ。小道の住宅街沿いには、市が美観の為と境界線を示す為に植えたチト上品な並木林が一面に続く。小道としての雰囲気を醸し出して居て、住宅街側からはコノ並木林が視界を遮っては小道の様子が窺え無い。小道を挟んだ住宅街の反対側には、幅が畳二枚分くらい在る小川が小道に沿って南北に流れる。スタンダァドプゥドルのアキラがドブガエルのサトウを合ったのもコノ小川の何処か。小川の向こう側は民家。私有地を示す木製、鉄製や金網などで建てられた様々な種類の高い柵が続く。

「そうだなァ..そしたら先ずは、此処から南の方角に向かって小道を歩いてみようか?端っこまで行ったら、今度は来た道を逆に北に向かって歩こう。そして向こうでも端っこに着いたら折り返し。其処から此処まで歩こう。終点はココ、今お父さんとイチロウが立って居る場所。良いか?」

「ウンっ。」

「でな?イチロウ、大事な御願いが在るんだ。小川の反対側の一杯並んでる柵の向こう側、ソコに大きな白い家が見えたらオ父さんに教えて欲しいんだ。良いか?」

「うん分かった、大丈夫う!」

 早速ミナミ(右)に向かって小道を歩き出したゴロウ達。この時間は夕方の一六時前後、決して多い訳では無いが通行人やジョギングをする人間がチラホラ。だが日が暮れると一気に人は減る、皆無と表現しても良い。イチロウとゴロウだけの散歩の時は、必ず二人並んで歩く。だが今は別、ゴロウが先頭を切ってはグイグイ、だがジックリとイチロウの握るリィド紐を引っ張っては、鼻を「クンクン」鳴らしながら進む。イチロウはと云えば真剣な眼差しで、柵越しから見える一軒一軒の家の色を判別しながら歩く。合言葉は『腐乱臭』と『白い家』。

 イチロウが単独で遊びに行く際には必ず腕時計をさせて居たアカネ。助かる、時間が分からない様では困る。

「おい、イチロウ?今お父さん達、あれから何分位歩いてる?」「んんとねェ..十五分!位かな?」

 ゴロウ達は南口小道の出入り口に着いたばかり。

 (十五分って云うと、大体俺達は四分の一を歩いた事になるか..)

 今度は逆に、此処から北口に向けて無言で歩き出したゴロウ。イチロウは父親の為に白い家を探そうと必死になっては、首をキョロキョロと動かして居る。中には柵が高かったり、柵の向こう側が見えなかったり、其の時は「ピョンピョン」何度も飛び跳ねては中を覗こうとするイチロウ。その度にリィド紐が引っ張られるゴロウ、この仕草が愛おしくて堪らない。小道には暗黙のルゥルが在って右側通行。行きは並木林沿い小道を歩いて来たゴロウ達。今度は小川沿いに歩く。小川沿いに歩いて居るのが影響してるのか?チトさっきよりも水の匂いを強目に感じるゴロウ。イチロウは柵を睨み、ゴロウは鼻を効かせながら例の平たい石を小川に探す。今丁度、ゴロウの家が在る道路と交差する小道を通り過ぎたイチロウ達。この時点で南口から歩いた時間は十五分、計三〇分歩いた計算になる。更に十五分歩くと、予定では北口の出入り口に着く筈。其のまま無言で歩くゴロウとイチロウだが、イチロウが気が付いた。

「如何したのオ父さん?お腹でも痛いの?」

 出来れば通りたく無かった道。今迄ずっとペロ(ゴロウ)が無意識で避けて来たコノ現場、ゴロウの殺害現場。アカネ達と小道を散歩して居る時も、この現場に近付くと執拗にリィド紐を引っ張って自己主張、ソコから先には絶対に進まずに雑木林を抜けて遠回りして家に帰って居た。幸いにもアカネにはココロが在る、相手が犬でも無理強いは決してしない、嫌がるのには意味が在る。なので何時の間にかアカネ達も自然とコノ場所に近付くと、敢えて雑木林を越えて家に歩いて居た。会話が通じるイチロウにも言えない秘密。久し振りに来る殺害現場、幸か不幸かアノ時の血の臭いはモウ感じ取る事は無かった。だが一瞬で蘇る記憶。鋭い針で腰を刺された些細な痛み、その些細な激痛が自身の命を奪った。今でも覚えて居る血の流れる感触。ドロドロとして居て生臭い、トマト何かよりも濃厚な赤で、こんな大量な血が自分の体内に蓄積されてたのか..思わず眩暈がする程に感心してしまった俺。イヤ、この眩暈は現実逃避から今の俺の心情を現してる奴じゃ無え..出血多量の眩暈だろう、俺は..俺は、死ぬんだ..

「お父さん!?この家はどお?白くて大きいよお?」

 愛息子の声が現実世界に戻してくれた。イチロウは宝探しの感覚で、何度も白い家を見つけてはゴロウに教えてくれた。イチロウには教えてくれと頼んだが、肝心の自分が一体その白い家の正体が分からない。感覚で曖昧に断って来た、だが皮肉にも此の現場にやって来て分かった。ココだ、この家だ。

「此処だ..イチロウ..もうイイ、お家に戻ろうか」

 家に向かって並んで歩く二人、キツイ腐乱臭が何処までもゴロウの鼻腔を襲った。

 

 数えて六食目に当たる今晩の御飯。何時も通りにアカネが作ってくれた晩御飯。熱々のママでは犬のペロには食べる事が出来ない。「フうフうフぅ..」ペロが早く食べれる様にと、アカネは毎食に亘って御飯を冷ます愛情の魔法を振り掛ける。ペロへの愛情が度を越えてしまい、息を吸い込み過ぎて呼吸困難に陥った事もシバシバ。アカネは何時も必ずペロが御飯を食べ切る迄の様子を見届ける。些細な事でもペロの健康状態や精神状態が分かると云うモノ。

 (良しっペロ、今宵も元気なり!)

 もっと食べたいと云う気持ちが、思わず空っぽになった丼の縁の廻りを「ペロペロ」させてしまうペロ。頭を頻りに揺らしながら丼を舐め廻すペロの頭を「ヨイ子ヨイ子!」撫でるアカネ。この団欒も残すところアト三食。

 皆が晩御飯を食べ終わった後は、居間に場所を移して各々が自由行動を取る。アカネは主に明日の料理教室の事を考えたり、イチロウとペロは一緒に戯れ在ったりと至福のヒトトキ。この団欒も残すところアト三食。

「あ、ホラっイチロウ?もう直ぐ御布団に行く時間じゃ無い?ちゃんと歯を磨いてから部屋に戻りなさいね?」

 居間の壁時計の針は二十三時をチト通り越した辺り、確かに世界中の良い子だけに限らずに悪い子も寝る時間だ。

「ハぁぁイ」

 ソファアに座って、同じくソファアに横たわるペロのお腹を擽って居たイチロウは、ソファアから立ち上がり脱衣室に向かった。その後でゴロウも続く。しっかりと二分間、脱衣室に在る置き時計を見ながら歯を磨くイチロウ、その足下に纏わり付くゴロウ。相手は父親だと云う認識が在るのだが、やっぱりペロが可愛く思える息子イチロウ、頭を撫でてあげる。この団欒も残すところアト三食。

「ヨシ、ちゃんと二分磨いたな、偉いぞイチロウ!」

 何にしても息子を褒めるのがゴロウの育児方針。この団欒も残すところアト三食。

 脱衣室から出て来て自室に向かったイチロウとゴロウは、先ず最初にイチロウがベッドの上に乗って、其の次にゴロウがベッドに飛び乗るのが毎晩の法則。其の後でイチロウがゴロウの体を背後からガッチリ羽交い締め。ゴロウの背後をイチロウが抱き締める体勢で、頭の方向もお互いに同じ方向を向く。ゴロウの頸が絞め落とされるのが先か?睡眠の世界に落ちるかが先か?今の所は睡眠の世界が全勝中だが、日に日に体力を増して居るイチロウ。落ちて寝るよりも、頸を絞められて落ちる日がソンナに遠い先の話では無いだろう..戦々恐々のゴロウだが、この団欒も残すところアト三食。

 天井からブラ下がる蛍光灯の紐を「パチっ」引っ張る。暗闇になった室内で今日在った出来事を布団の中で話し合うのも必ずの日課。だが何時も一〇分も経たない内にイチロウは寝てしまう。話し相手を失ったゴロウはチト淋しさを覚えてしまうのだが、イチロウに抱き締められて居る事で身体越しに息子の体温を感じられる幸せ。この温もりを感受しながらゴロウも何時の間にか落ちる毎夜。だが今夜はチト事情が異なる。予定では、ゴロウの全身をキツく抱き締めて居るイチロウの両腕がソノ力を失っては「スルリンコ」抜けられる筈。本当か?疑心暗鬼のゴロウ。

「スうぅぅ..すウゥゥ..」

 ゴロウの頭の後ろを優しく叩く息子の可愛い寝息。何時もコレを聴いて居ると自分も何時の間にか落ちるゴロウ。居間を出たのが二十三時、脱衣所でイチロウが歯を磨いた時間は二分。ざっくばらんに計算しても後一時間弱で何かが起こる筈..本当か?悶々と考えて居る内に眠りに落ちたゴロウ。

 (やっぱ何も無いじゃ無いかミユキさん..この代償はデカイぜ..)

 否や。此処から話は一転する。

 

「っハッ!」

 目が醒めたゴロウ。外だ、外に居るゴロウ。人間のくせに全裸、靴すら履いてない。逞しい性器も勿論剥き出し。正気の沙汰か?背後にイチロウの姿は無く、家の玄関先に四つん這いで立つゴロウ。初夏とは云えど夜は冷える。世界は真夜中らしく一個の雑音すら聞こえて来ない。顔を上げて宇宙を見上げたゴロウ、今宵は満月。満月を見ると如何しても気分が高揚してヒトを喰い殺したくなる..俺何かにも殺れるかなペロ?殺れる。大丈夫ヤレるよゴロウ、俺が憑いてるから。

「さあ行こう、白い家へ」

 非情な獣が持つギラギラした二個の眼。ギョロリ眼光鋭く大きく見開いた二個の眼。大きく開いた口からはドロドロ涎が垂れて来ては地面を濡らす。足音立てずに駆け出したゴロウ。家から小道に着く迄に一匹のメスの野良猫と擦れ違った。

「殺ってくれるんでしょアイツ?私の男の仇を取ってね」

 犬は白黒の世界で世を見据える、だからペロには真夜中はチト相性が悪い。視界が定まらずツイツイ変な方向に駆けてしまう。

「俺に任せろペロ。俺はお前よりも眼がイイ、お前は俺よりも鼻がイイ。俺は白い家を目指す、お前は腐乱臭を目指せ」

 行き先が俺達の本能を引き寄せる。深夜の小道を不審者が駆ける。

「ほら?ゴロウ(ペロ)もう着いた。此処だ、俺が殺されたのは。人生の汚点。ペロ?白黒のお前にも見えるか?あの平べったい石」

「アァ見える、見えるよゴロウ、小川の真ん中に浮かんでる奴だろ?」

「そう、ソレ、その上に先ずは飛んでくれ。お前に飛べるか?ペロ」

「ハっ、馬鹿にすんなゴロウ、俺は狼だ」

 殆どの視界が真っ黒の中、真っ黒な小川の中に辛うじて浮かんで見える、直径四十五センチ程の〇い灰色の異物。その異物の対角線上の小川の縁に真っ黒な柵が在って、その柵の向こう側からは不快な腐乱臭の塊。視界が覚束無いながらも一か八か、立って居る小道から一切の助走も付けずに「ヒュっ」暗闇を飛んで、石の天辺に見事飛び降りた。

(そこで止まらないで!もう一度柵に向かって思いっ切り飛んで!)

 女の声を『意識』の中で聞いたペロ、戸惑う事無く本能で飛んだ。柵にブチ当たって良くて打撲、最悪即死..こんな事を頭に思い浮かべながら柵に向かって飛んだ。暗闇を飛んで居る訳だから勿論距離感など無い、今自分がドノ辺りを浮遊して居るのかも分からない。

「ドサっ」

 芝生に落下したペロ。起き上がって後ろを振り返ると其処には柵が建って居た。「やったジャン!」

 ゴロウがペロを讃える。

「あの彼女のお陰さ、ゴロウ」

「あのヒトはミユキって云うんだ」

「フゥゥん..」

 柵で囲まれた長方形の広い庭。イチロウが云ってた大きな白い家がゴロウ達が落ちた場所、小川沿いの柵から反対側の端っこに建って居る。庭は荒んで居た、雑草が生い茂って居て、植えられた花達が枯れて乾き切った状態。ゴロウ達の心をブッ刺した光景が、死骸。死骸の山と死骸の平野。沢山の死骸。完全に干涸びてる蛇のミイラ、首から上が無い鴉の死骸、腐り切って骨になったドブネズミ、そして沢山の野良犬や猫。アソコ、ほら彼処のメス猫の死骸見てみろよ、ペロ?彼女は妊娠してた、沢山の小さいミイラが腹んとこに並んでんだろ?残酷だぜ。此処に唯一無いのが人間の死体、今んトコな。マぁ専ら俺はコノ直ぐ柵の向こうで殺されたけどな。犬猫に飽きたら最後は人間だろう、俺でもソウ思う。其れが俺だった。俺は最後の人間だとは限らない、もしかして新たな人間を殺す計画を立ててるかも知れない。奴は出来れば自分の敷地内で殺りたかったに違い無い..が無理だった、其れが見切り発車でこうなった。奴はツイテた、今んとこ完全犯罪が成立してる、一度味を覚えたバカは又同じ事を繰り返す。止めなくちゃいけねえ..

「しかしゴロウ、コレだけの犬猫の死骸が在って、如何して近隣住民達は臭いの苦情を言って来ないのか?」

「..血抜き、血抜き処理を犯人は施してる。死体が臭う主な原因は血、血が腐って臭いを発する。犬猫は殺した後に此処に持って来て血抜きして放置、其れがコノ死骸の山だ。ペロ、何匹かの犬猫の死骸が木の枝に釣られてブラ下がってるだろ?あれが血抜きさ、地面に在るミイラは紐が切れて落ちたのさ」

「見て居て胸糞が悪い..ゴロウ、お前は人間だが俺は犬だ。だから同胞のこんな姿を見てしまうと心が折れる..」

「ペロ、俺は人間だけど其れでも充分に心が折れる、お前だけじゃ無え。行くぜ?」

「嗚呼、行こう..」

 満月の光が照らす庭。光が反射して白い家が暗闇の中で輝いて見える。人間には体臭が在るの同じで獣や生物にも其々の体臭が在る。死骸となって微々たる腐乱臭を発する彼等の身体から発せられる嘗ての体臭の香りの残骸。生き物としての誇り。其れ等が魂と化して全ての死骸から白い塊となって中に浮かんだ。既に酸化して土壌の一部と化した物の魂も含めて、広い庭の隅々から白い塊が浮かび上がっては空中にて絡み出す。初めは一個の点でしか無かった塊が天界に昇り、見事な満月に化けて地球を更に明るく照らす。

「おいゴロウ、さっき迄見て居た満月は一体何だったのかな?」

「俺達が覚醒する為さ」

「じゃあ、だったらコノ新しい満月は?」

「奴を確実に仕留める為さ」

 満月の光で視野が広がったゴロウ達は、四本脚を器用に使い、地面に散乱する動物の死骸を決して踏まぬ様、家に向かって歩き出した。ゴロウには嗅ぐ事は出来ないがペロには分かる悪い人間特有の歪んだ体臭。その臭いが庭の地面を這ってペロを呼び寄せる。如何やら奴はコノ白い家、一階の何処かに居る。

 ミユキの説明だと窓ガラスの鍵が掛けられて居ない筈、庭から見る家の一階は、如何やら二部屋がコチラを向いて居る。

「こっちの部屋だゴロウ、コッチから臭って来る。そぉっと開けろよ?」

 庭から縁側に上がったゴロウ達、もしも窓に鍵が掛かってたら今夜の計画はオジャン。窓ガラスを勝ち割って侵入する事も出来るが、俺達は強盗じゃ無い。器用に後ろの二本脚で立ち上がり、窓ガラスの引き戸の窪みに利き手の右足を置いたゴロウ、成る可く音を立てない様に引いてみた。

 (開いた..開いたぜペロ、さぁココからはお前の出番だ、忍び足で奴に近付いてくれ..人間の俺では無理だ)

 この部屋には厚手のカァテンが引かれて居たが、部屋に入った後も強烈な満月の光のお陰でゴロウの視界は良好。表から室内に入る瞬間だけは、月の光も一緒に侵入しない様、ゴロウが充分に気を遣った。

 部屋の大きなは一〇畳位?庭に面してベッドが置かれて居て、そのベッドの上から小さな寝息がペロには聞こえる。

 (十二歳?..)

 アキラがサトウから聞かされた奴の年齢。そうか..十二歳か、確かに合点が行くな。可愛い顔してムカつくぜ..

「コイツか?ペロ」

「嗚呼コイツだ、コイツに間違い無い。あん時の俺の体臭がコイツの体から匂って来る..コイツが幾ら身体を必死に擦って磨いたところで、どんなに時間が経とうが“犬”には胡魔化しは効かない。一度付いた匂いが絶対に消えない、人間で云う憎しみみたいなモンさ。じゃあゴロウ..殺るか?早速」

「良いか?ペロ、俺は非常に公平で寛大な人間だ。だからコイツも俺を殺った時と同じ状況で殺る。俺はコイツの事を見る事無く果てた。だからコイツも俺達の事は何も知らないで死んで行く。俺は冷たくて硬いアルファルトの地面の上で死んだが、コイツは柔らかくて未だ自分の体温が残ってる布団で死ぬんだ。其の点がチョットだけ不満だがマァ良い。俺はコイツと違って寛容な大人だ」

「カン..ヨウ?」

「そう、寛容。ペロ、先ずは優しく寛容的にコイツの喉仏を噛め、簡単には殺さない」

 

「..!」

 僕、確か熟睡してた筈..喉に激痛が走って目が覚めた、やな目覚め方。初めは「ズッキンズッキン」だった激痛が「ジクジク」に変わって、今は何にも感じなくなった。何故だが怖くて手で喉を触れない、触っちゃイケナイ気がして..だけど何か感じる、誰かが僕の喉を執拗に噛み千切ってるのを。

「!」

 喉の激痛の条件反射で両眼を開けた瞬間と同時、今度は両目にも激痛が走った!痛いなんてモンじゃ無い!「グフゥ(ぎゃああ)!」アレ?僕何で「グフゥ!」って言ったんだろ?「ぎゃああ!」って叫んだのに..今は一体何時?未だ夜中なの?シッカリ僕は目を開けてるんだけど景色が無い、見えないんだ!そこで漸く僕は右手で右眼、左手で喉仏を弄る勇気が付いた

「!」

 先ずは右手首の血管が剥き出しになってる部位..何て云うのか分かんない、ソコに今度は激痛を感じた。僕の持ってる尖った包丁みたいな物で、血管が荒々しく一本一本切断されて行く感触。全部切れたら次は左手、以下同文。痛みはもう無い、消えた。イヤ、違うね!消えたんじゃ無い、麻痺してるんだ。

(それでも未だ立つ事は出来んじゃん?)

 眠気を完璧に超えた恐怖の快感に『意識』を完全支配された僕、ベッドの上で既に機能しなくなってる両腕の事はさて置いて、肩と両膝を使って何とか体勢を整えて「ヨロヨロ」時間を掛けて立ち上がろうとした僕。其れまでは仰向けで寝て居た筈だから、今度は裏返しの俯せの状態ね。

 (僕..ツイてる?うんっ、ツイてるうっ!だってコノ体勢を変えるアイダ攻撃されなかったモンっ!)

「イヤ、坊主、その解釈は間違ってる。この体勢を俺達は待ってたんだ」

「ペロ、今だ。両足のアキレス腱を切れ。只切るだけじゃ無くて思いっ切り噛み切ってやれよ?」

 両脚でフラフラ何とか立ち上がった人間の先ずは右足首のアキレス腱を完全に断裂。右足のアキレス腱が切られた事で、不意に身体の重力が右前方へと流れてしまい、ベッドの上に顔面と両膝を打った形で四つん這いの姿勢になった少年。透かさずペロは、天井を向いた左アキレス腱をワザと人間にも聞こえる様、執拗に「クチャクチャペチャペチャ..」厭らしい音を立てては牙で愛撫。満月の光がペロの影法師を部屋の壁に妖しく細長く映す。その姿は犬では無く人間のゴロウの形。喉仏を喰われ、両眼をくり抜かれ、両手首と両足の神経を完全にやられた少年、あの時のゴロウと同じく一体何が起こったのか知らずして死んで行く刹那さ。ベットリ血で覆われた唇をペロリ舐めるゴロウ、復讐は終わった。

 

 部屋に入った時に開けっ放しにしておいた引き戸を出た後ユックリ静かに閉めたゴロウ。行きはスンナリと入って込めた高い柵、サテ、帰りは如何する?高さが五メェトル強在る柵、一介の犬畜生から見ると高い何てモンじゃ無い。材質は木材だが、立ちはだかる強固な壁。爪で地面を漁って柵と地面の間に穴を作って逃げるか?やってみた。無駄だった、チト柵が地面に深過ぎる。一応家の周りをグルリと廻ってみたが、絶妙な所で屈強な柵や門の行き止まりに打つかる。流石は権力者の城、他人を一切信用せず、守りも強固。だから成功する。

 (目的は果たしたし、もおイイカ..)

 正直にそう思ったゴロウ、何時の間にか『意識』の中で共存して居たペロの気配は無く、ゴロウだけが途方に暮れる。あの今晩の満月が俺を化けモンに変えてくれて、後三回メシを喰ったらオレもアノ満月の世界に帰る..満足感、充足感、そしてチト空腹感のゴロウ、朧げに満月を見上げた。

 (駄目よ、此処で人間に捕まっちゃ..お前さんの身元がバレる、ゲロゲェロ)

「..?」

 只満月を見上げて居たゴロウの『意識』中にダミ声、年輩の男の声が不法侵入してはゴロウに囁く。

「..だっ、誰ですか一体?」

「此処でお前さんが人間共に捕まったら、お前さんの家族に被害が行くっちゅう事よ。中の人間はもう死んどる、歯型から見ても如何したってお前さんしか居らんじゃろ?ゲロゲェロ」「今お前さんが見て居る満月の〇い一個、一回眼ェ瞑ってからモオ一回開けて見てみろ、ゲロゲェロ」

 確かに今ゴロウは瞬きもせずに満月を見て居ては、此れから先の事を思案して居た。犬は瞬きをするのかがチト疑問に思えたゴロウだったが、この御仁の問い掛けの方が気になって仕様が無い、

 (駄目で元々..)

 静かに両眼を瞑ったゴロウ、

 (イチ、ニぃ..サン)

 ゆっくり数えて又再び眼を開けた。天界高く浮かぶ〇い黄色い満月、其れが何だか僅かにだが分離しつつ在る様に見えたゴロウ、〇から右に新しい〇が移動するのが見えた。そして〇の二個が完全に分離し切った時、

「呼んだ?」

 ゴロウの耳に先程のダミ声。ゴロウの両眼が宇宙の〇〇を見詰めて居て、ゴロウの『意識』が聞く男の声。

「サトウ..ワシ、サトウ」「何も余計な事は考えずに、後喋るな。人間の悪い癖じゃて..今お前さんが見てるのがワシの眼..お前さんが聞いてるのがワシの声、其れだけよ、ゲロゲェロ」

 確かに此処は民家の庭だった筈、何本かの大木にダラシ無くブラ下がった獣の死体、地面には数え切れない程の生き物の死骸。水何て一滴も無い世界、イヤ在るとしたら其れは殺された同胞達の哀しい涙。だかがモウ泣く必要は無い、俺とペロが仇を取ったから。だったら一体この水は何だ?!芝生の地面から徐々に湧き出して来る水、毛穴から汗が滲み出て来る様な不快感は無いが爽快感も無い。この初めは少量だった水溜まりが、少しずつ水位が上がってゴロウの首の辺りまで浸かった辺りで“犬泳ぎ”を真似してみたゴロウ、無駄だった。人間時代のゴロウはカナヅチだった、ソレが犬に化けたら泳げるとでも云うのか?否や。諦めろゴロウ。

 首と鼻は勿論の事、とうとう目線の所まで水位が上昇。四本脚を水中でバタバタ、何とか顔面だけは水上に保守したい!必死に肺呼吸を続けるゴロウの鼻からの気泡アブクが水面に浮かぶ。スッポリ完全に身体を呑み込まれたゴロウ、

 (もお駄目だ)

 ココで生きる事を放棄した。両眼は見開き、四本脚の動きは水の流れに任せ、水中を漂っては進水を進める。両耳に聞こえて来る水の音は無音、雑音の一切無い美しい無音。動きを完全放棄した一匹の犬が、蒼い深海目掛け沈んで行く。

 意識を完全に失うゴロウが気付いた事、

 (もしかしたら此処..母さんの子宮の中かな?..) 

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