第十一章 優しい小説

 そろそろ風も冷たくなってくる頃なので、読んで暖かくなれる小説を探してみることにした。


 バーネットの「小公子」は幼少期から今に至るまで何度も読んだ。

 この小説が現代のライトノベルに近い気がするのは、主人公のセドリックがキャラクターとして、少年貴族をイメージする時のベースになっているからだと思う。

 話の展開もメリハリがあって、後味のさわやかである。

 「小公子」はあれこれ言うような作品ではない。劇評家が宝塚を批評しないのと同じで、野暮というものである。

 ただ楽しい夢のような屈託の無さがこの「小公子」の魅力だろう。


 個人的に特に子供でなくとも含蓄があり、かついい気分になるのは、ファージョンの「麦と王様」である。子供の頃に買い与えられて、少しずつ読んだ記憶がある。

 収録作品はどれもいいが、私は表題作の「麦と王様」が好きで大人になってからも何度も読んだ。

 馬鹿になったと言われる村の神童がある物語を語るのだが、深さがありながらどこか陽気な感じで、こういうものを他に上げろと言われるても、なかなか難しい。


 家庭小説(日本と海外ではその作風は異なるようだが、ここでは海外の意味で用いる)というジャンルに入るのではないかと思うが、中学時代に愛読した小説に阿川弘之の「犬と麻ちゃん」という小説がある。

 大人になって思い出して発掘し、今はいつでも読めるところに置いている。

 田舎から出てきた娘が東京の小説家の一家でお手伝いさんをする。そこに迷い犬も現れて飼い犬となる。日常的な出来事の小説である。

 なんとなしに平和な家庭の日常に起こるささやかな出来事で成り立っている小説である。

 こういう殺伐としたこともなく生臭さもない日常の現代を舞台とした物語は、近年あまり見かけないので、ある意味、ユートピアといっていいかもしれない。


 第七章でも紹介したジェームス・サーバーの小説に「サリバント学校の思い出」という小説がある。「空中ブランコに乗る中年男」という文庫に収録されている短編だが、何度読んでも笑ってしまう。

 貧民街の学校に通うことになった語り手がそこで出会う強烈なクラスメイトの話が書かれている。

 サーバーの書く主人公はみな何の変哲もない平凡などこにでもいる人たちで、ここでの語り手も何が得意ということもない少年だが、クラスメイト達を見る視線は優しい。友人からこんな凄い奴がいてさ、と面白可笑しく自慢されている、そんな感じだ。

 「ある犬の肖像」も忘れられない小説で、これがとてもいい感じなのは、レックスという犬への愛と尊敬が込められているというところだ。

 犬好きでなくともレックスの個性やエピソードに笑ったり泣いたりさせられるし、その様子が目に浮かぶ。


 優しい小説は、気のおけない友人のようなものだ。

 そういう小説をいくつも知っていれば、世間の荒波も何とか乗り越えていける気がするし、なくてはならないパートナーとして人生を支えてくれる気がする。

 今わの際に枕元にあるのは、おそらくそうした小説ではないかと思う。

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