Nanako 1.forever

◇◇◇◇◇


夢中で英語と格闘する日々。

寂しい。長すぎる。会いたい。

抱きしめられたい。


そう思い続けること三年。


わたしはついにイギリスの大学を卒業する日が来た。


黒でてっぺんに四角いおりがみを乗せたような独特の帽子をかぶり、わたしはイギリスでできた友達と並んで写真を取り合った。


てんやわんやのパーティーが続き、ほろ酔い気分で大学の寮に帰った。


大学の寮の玄関の脇のベンチに、リュックをマクラに長い足を組んで寝ている人がいる。


見間違えようもない。


わたしは珍しく履いたヒールで駆け出した。

ヒールのかかとが石畳にひっかかり、危うく転倒しそうになった。


ベンチからすばやく起き上がった人物の力強い両腕にわたしは抱きとめられた。


三年まえよりもっと太くなっている腕。


「ナツ……。どうして?」

「ん? おどろかせようと思ってさ。早く会いたかったし」


「じゃ、大学まで来てくれればいいじゃない。こんなとこで待ってて、風邪ひいたら、楽しみにしてた旅行、行けなくなっちゃう」


「大丈夫! こんなんあの海風に比べればなんともないよ。菜々子だって存分にこっちの友達との別れ、惜しみたいだろ?」


あいかわらず優しい。


あれから、授業開始に間に合うように、日本を出たわたしのアパートに、ナツは住み始めた。


分譲だった自分のマンションはどうしたのかというと、人に貸している。


親に了解をとって、その差額分を自由につかっていいという約束をとりつけた。


つまり、イギリスに何度も来るために、ナツはそうやって変な金策を思いついたのだ。


家庭教師のバイトも始めた。


聞いたときは、え? ナツに家庭教師がつくんじゃなくて? なんて言ってしまってひどく憤慨された。


『俺だって難関中学突破してんだよ!!』


ナツが教え始めたのは母親の友達の子供の小学生だ。

それでも教え方はわりとうまかったらしく、卒業まで何人もの小学生を教え続けた。


ナツは経営の勉強も真剣にやりだし、あちこちの仲間と大学三年のときに家庭教師を紹介する会社を立ち上げた。


紹介料だけで仲介マージンをほとんどとらない独自の制度は、有名私立大学に籍をおき、家庭教師をやりたい生徒がゴマンといる環境のなかで非常に上手くいったらしい。


会社の面々はフォルガの仲間、経営学部やヨット部、いろいろで、かつてのオレンジの仲間、枝川くんもいた。


かつての、というのは寂しいことだけれど、二年になってから、ナツはほとんどオレンジには顔を出さず、健司くんたちの、GO TO SEA というヨットサークル(今は昇格し、部だ)に夢中になってしまったからだ。


ナツの頭の中は470という二人乗りディンギーのことでいっぱい。


レースでは、健司くんやワタナベくんとともにかなりの成績をあげ、起業した会社を元手に一生、ヨットをやっていきたいと言っている。


ナツらしい。


イケメン三人のヨットチームは最近雑誌にもとりあげられて、順調なすべりだしだ。

(モデルの時はどうも、ナツと健司くんがやっているらしい)



もっとでかい帆船を大人数で操りたい!というのがナツの今の目標。


つまるところ、わたしが日本からいなくなっても、ナツは寂しがってるヒマなんかなかったのだ。


それでも、ナツはわたしに会いに来てくれた。

何度も何度も何度も。


そのたびに、オレンジの今の様子や、千夏や百合、わたしの友達のことを報告してくれた。


ナツは、幽霊部員なのにたまにちゃっかりオレンジに出ている。


それでも、悪びれない笑顔にメンバーに何か言う気を失せさせてしまうのが、ナツっぽいところかもしれない。


早くナツの操るヨットで海に出てみたい。


「菜々子、忘れもんないか?」

「と思う」

「全く」


こつんと頭をこずかれる。


「大丈夫。寮のおじさん、いい人だもん。忘れ物あったら、日本まで連絡くれる」


そう、わたしは今日、大学の寮を引き払った。


日本に帰る前に、どうしてもナツと旅行に行きたい、ナツにお願いして、二泊三日のスコットランド旅行がかなった。


エディンバラというお城で有名な町だ。


自然の要塞ともいうべき岩山の上に、町のシンボルでもあるエディンバラ城が建っていて、町のどこからでもそのお城は望める。


ナツはわたしがここに行きたいというとネットで探して、お城の近くのオールドタウンに、暮れなずむエディンバラ城がよく見える宿をとっておいてくれた。


趣きのある煉瓦でできた宿は古くて、この町によく似合っていた。

外観とは裏腹に、部屋は清潔で、すみずみまで掃除が行き届いていたのが嬉しい。


町が茜色から紫に染まる頃、二人で石造りの古びた窓辺に立って、エディンバラ城を見ていた。



息を呑むほどの美しさ。

まるで中世にタイムスリップしたような、光景だった。


「ナツ、つきあってくれてありがとうね」

「いいよ。菜々子の好きなものは俺も好きなの」


「またまたー。大阪城とたいしてかわんねぇな、とか思ってるんじゃないの?」



「イギリスの語源はイングランド。イギリスは、イングランドとスコットランドとウェールズ、北アイルランドに大きく分類される」


「え?」


「民族も違うから地方色が濃い。菜々子が好きなのは、ロンドンみたいな都会じゃなくて、このスコットランドやウェールズだろ? 比較的新しい宮殿風のシャトーとか呼ばれる城より、本当に戦闘経験のあるシャトーフォール、城塞のほうが中世のロマンを感じるから好き。エディンバラは菜々子の趣味そのまんまみたいな城だ」


「ナツ、どうしてそんなこと」


ナツは両手でわたしの体を後ろから大きく包み込んだ。


「けっこう詳しいぞ俺。菜々子が俺にした数少ないイギリスの話、全部覚えてる。これからもっともっともっと詳しくなる」


ナツがわたしを抱きながら、エディンバラ城の一角を指差した。


「あのへん、何があるか知ってるよな?」


たぶんそれは、聖マーガレット礼拝堂。城内に現存する最古の建物だ。


「結婚式、あげるぞ。明日、二人っきりで」

「ナツ……」


言葉が出ない。ナツ、わたしなんかいなくったって大丈夫なんじゃないの? ヨットや仲間や……。


「もう、これ以上は待てねぇ」


ナツが頬をわたしの頬に擦り付ける。


「三年待った。我慢した。菜々子に拒否権なし!!」


愛おしくて涙が出る。


ナツの頬に手をあてると待っていたように、わたしのほうに顔を向ける。

重なる唇。

深くなるキス。


ナツ、大好き。大好き。大好き。



不思議だな、菜々子



荒い息がようやくおさまった頃、ベッドの中でナツが言った。



え?



あの人の多い大学のキャンパスで、お前が俺に一目ぼれしてなきゃ、こうはなってなかった



ばか。わたし、軽率にどんな人かもわからないのに、つき合ってください、なんていわないよ



は? どういうこと? 俺のこと知ってた?




春がまだ浅い頃だった


大学一年だったわたしはテニスの練習の帰りに一人で電車に乗ってたの


千夏が高校別イケメンランキングとかいうくだらない特集の載ってる雑誌、貸してくれてさ、それ読んでた


そしたら、どやどやうちの大学の付属高校の制服着た男の子たちが十人以上乗り込んできてさ


すんごいうるさいの


卒業式だったんだね


幻滅

あんなのが四月からうちの大学、くるのかぁって


大きな乗換駅で、一人の子を残してみんな降りていった


その駅でおばあさんが乗ってきたの


座席はちょうど立ってる人が一人二人いるくらいだったんだけど、そのおばあさん、座りそこねちゃってさ



そしたら、一人残った、うちの大学の付属校の制服きた男の子が、おばあさんに席をゆずったの


それから、その子、おばあさんと一言二言会話したら、いきなり、その人の前にしゃがみこんじゃってさ


何してるのかと思ったら、ほどけかけてたおばあさんの靴の、靴紐結んでた


おばあさんは口元に笑みを浮かべて、男の子の手元を見てた


車内が優しい夕陽の赤に染まっててさ


そこだけ、なんだかなつかしい、古い雑誌から切り取った写真みたいに綺麗だった


……え? 卒業式…って……もしかして……あん時……


それからおばあさんは、二駅くらいで、男の子に何度も頭を下げながら、幸せそうに微笑んで降りて行った


男の子は腰を下ろすと後ろむいて、おばあさんに手を振ってた


ああ……



ナツだった


なんでわかったの?


わたしがたまたま千夏からもらった雑誌のイケメン特集に載ってたから


K大付属K学院高校。体育会系の三年生。四月からK大に進学予定のN・Iくん



あの車内で見た光景が忘れられなくてさ


わたし、毎日それからあの雑誌を見てた


ああ、こういう子となら、もう一度恋愛が出来るかなって


知らなかった。あの車内に菜々子がいたなんて


やっぱ俺たちは、見えないロープでつながってたのか



ナツ、つき合ってくれてありがとう


わたしは前よりたくましくなっちゃったナツの裸の胸に顔をうめた。



あんま甘えるなよ、可愛すぎるよ菜々子今晩寝れねぇぞ


わたしのこと可愛いって言うのナツだけだな


へへっ綺麗とはたまに言われる


可愛い菜々子を知ってるのは俺だけでいい


モノ食う時、よくこぼすのも可愛いし、酔っ払って絡む菜々子も可愛い


さっきの声も可愛――……ふんがんんんん


わたしはナツの後頭部と口元を片手ずつで力強く抑えた。


恥ずかしいこと言わないでよ!! エロっ!!


だってホントに可愛い


ナツはわたしの額に強く長く唇を押し当てた。


もう離さない、もう絶対絶対二人で生きていこう


目に浮かぶよナツ


ナツがマンションを売って買った葉山の海べりの家で、わたしは翻訳をする


ナツはヨットと立ち上げた会社の仕事をする


ナツの両親が遊びに来て、ヒカリくんが来て……わたしの両親も何日も泊まっていくの


いつもいつもナツの友達がたくさん来てる


たまに千夏や百合も来てくれるかな



いいなそういうの、あ、バーベキューテラス作ろっか?


うんうん


あと俺、犬が欲しい


馬鹿でかくて毛がフサフサしたやつ


二人でイギリス行く時はうちの実家に預ければいいよ



うんうん散歩はナツが行ってね


ああ


名前はナナだな


え? わたしが菜々子なのにナナなの? まぎらわしくない?



夏哉のナに菜々子のナでナナだよ



ふうん。じゃあさぁ……






シーツの中でわたしたちは、抱き合っていつまでも尽きることなく近い近い未来の夢を語り合っていた。


どちらからともなく穏やかな眠りに落ちるまで……。











fin
















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