第7話:「京浜ストア」と「農協」

台所に立つ祖父の背中をよく覚えている。

船を降りた祖父は、魚の目利きも良かったし、魚を捌くのも上手だった。

おいしいお刺身をたくさん食べさせてもらった記憶がある。

「おいしい」というよりも、「お刺身はこれがふつう」と思っていた。

大人になり、自分が台所に立つようになって初めて、「あれはとても美味しかったのだな」と理解した。


三浦海岸の駅前には、横並びで「京浜ストア」と「農協」のふたつの店舗があった。

祖父母や母たちには、「だいたいのものは京浜」「牛乳は農協」というように、それぞれのお店での「買うべきもの」が決まっていたようだ。


祖父は幼い孫たちをたくさん引き連れて、よく買い物に行った。

祖父から渡される50円か100円を、それぞれの小さな掌に握りしめる。

わたしたちのお菓子はだいたい「京浜」の方で買う。

「おじいちゃん、農協の方に先に行ってるから、買い終わったら来いよ。」

50円でもたくさん買える時代だったから、買い物を終えた祖父が、「まだ迷えるこどもたち」をまた京浜に迎えに来る。


兄はそのお小遣いを少し残し、帰り道にある小さな商店でガチャガチャをする。

幼いギャンブラーだ。あの頃、ガチャガチャは20円だった。

お目当てのものはだいたい出ない。悔しがる兄。


祖父は多分、こっそりそっと少しだけ多く、兄に軍資金を渡していたのだと思う。

自分の子供は三人とも娘、初孫は待望の男の子。

祖父も祖母も、兄のことが格別にかわいくて仕方がなかった様子だった。

「兄の待遇の良さ」については、ほかの孫たちも全員、薄々気がついていたと思う。

でもなんとなく「おにいちゃんのそれ」は、当たり前の普通だった。


ちいさな楽しみも、ちいさな不平等も、大きなかけがえのない思い出になった。


わたしたちの「京浜」は、いつからか「京急」と呼ばれるようになり、

おとなたちの「農協」は、いつからか「別のもの」になってしまった。

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