第三十六話 思い出
イズキの想定外。それは春護と水花が双石指輪を身に付けていないと錯覚していた事だった。
確かに二人の手に双石指輪はない。しかし、それは別の場所に別の形で埋め込められていた。
指輪の形ではなく本来の形として、重要な部分である双石だけがお互いの心臓に埋め込まれていた。その理由は本来なら高い確率で起こるであろう拒絶反応を、少しでも軽減するためのものだった。
お互いの内側に双石が埋め込まれた事により、二人はお互いの意志を感じ取る事が出来るようになっていた。頭の中で会話が出来るわけではないものの、あの重要なタイミングで春護が焦っていない事に、水花は気が付いていたのだ。
その上で自らの姿をイズキに見せる。彼女ならばどうするか、二人にはなんとなくわかっていた。
賭けである事に違いはない。それでも、春護は確信していた。イズキならば絶対に、油断して受けると。
「イズキ……うぅ、アタシ……アタシ……」
「水花……」
涙を流し、春護の腕に抱き付く水花。震えている彼女に優しい言葉を掛けようとするが、すぐに首を振って言葉を押さえ込んだ。
「まだだよ水花。相手は魔族だ、ちゃんと消滅した事を確認するまで油断出来ない」
「春護……うん、そうだよね。魔族だもん、これで終わるとは限らないよね」
水花がゴシゴシと目を拭った後、二人は改めて目を向けた。
「ボロボロだね、イズキ」
水花の[風]によって巻き起こった土埃が収まり、イズキの姿が見えると春護はあえて感情を完全に押し殺し、冷たい声で声をかけた。
「……ええ、殺意の籠った良い連撃だったわ。アタシじゃなかったらこれで終わってたでしょうね」
「そっか。再生の力があるんだっけ」
「そういう事よ。ただ、流石に限度はあるから戦闘中に完治するのは無理そうね」
イズキの姿は明らかに消耗していた。身にまとうロングコートは所々に穴が空き、背面下部はギザギザと引き千切れ、大きな線が何本も入っていた。
それだけでなく片方の肩は露出しており、袖も先端とそこから伸びる炎以外、ほぼ全てが消し飛んでいた。
「そのコートも再生出来るって聞いたけど?」
「ええ、出来るわよ。ただ水花の追撃で内臓が結構グチャグチャなのよね。有限の再生力は全部そっちに割いてるわ。じゃなきゃ今にも死んじゃいそうよ」
「……そっか」
内臓の話を聞いた時に身体を震わせた水花。自身の力が起こした現実を目の当たりにして怖くなったのだろう。それも、相手は友人であるイズキだ。
相棒の精神を気に掛けながらも、春護は油断する事なくイズキと対峙していた。
「それにしても一体どういう事なのかしら? 脚撃が斬撃になるなんておかしいじゃない」
「あれ? 察しの良いイズキなら気が付いてると思ったんだけど。俺の使う魔法は[花鳥風月]だよ。[鳥]と[風]は何度も見せたよね?」
「……なるほどね。[花]か[月]の効果って事かしら」
「正解。ちなみに[花]の方だよ。四肢を名刀に変え、敵を斬る事で血の花を咲かせる。まあ、普段はあまり使わないんだけどね」
そもそも春護は水花と比べ[花]の精度が低い。過去[風]をメインに訓練し続けていた事による弊害なのだが、その代わり身に付けた両手に[風]を纏わせる戦闘方法はそれに見合う強さを発揮していた。
そして彼が[花]を多様しない理由は、それはある意味彼にとっての切り札でもあったからだ。
両手が派手に暴風を纏ってそれが脅威だと強く思わせた所で[花]による脚での斬撃を不意に放つ。
前の模擬戦では見せなかったものの、当時から出来る魔法ではあった。
四つの術式が絡み合う魔法[花鳥風月]。その内[鳥]と[花]の精度は最低限に身に付け、残り全ての時間を[風]に費やす。
春護のそれは三つの力を均等に鍛えていた水花とはまるで違う、一点特化型だった。
「そう、それなら後もう一つ。[月]もあるって事よね。ふふっ、手の内が多いのは良い事よ。どんな魔法か楽しみじゃない」
「まあ、使うかはわからないけどね」
「あら、それはアタシの事を舐めてるのかしら?」
「それはどうだろうね」
ここまで悠長に話しているけど、イズキのロングコートが修復される気配はない。内臓についてはわからないけど、これ以上の様子見は危険だろう。
そう春護が判断し、戦いを再開するために動こうとした時だった。
「もう、水花。しっかりしなさいよ。アタシたちは殺し合いをしてるのよ? 怪我させたくらいで揺らぐなんてダメじゃない。ほら、ちゃんと覚悟を決めなさい!」
腕を腰に当てて困ったように怒るイズキ。
確かにイズキの内臓がグチャグチャになっていると聞いて水花は動揺していた。しかし春護が追撃を命じた時、彼女は一切の躊躇いなく完全詠唱の[風]を放っていた。
そう。水花はちゃんと覚悟を決めているのだ。だからこそ、春護は怒りの表情を浮かべていた。
「ねえ、それってイズキが言えるセリフ?」
「……どういう事かしら」
「それ、本気で言ってるの? ねえ、無自覚なのか?」
「……」
春護の言葉にイズキは笑みを消し、口を閉ざしていた。
暫くの間二人は無言のまま見つめ合っていた。それを終わらせたのはイズキだった。
「……そうね。そういう事なんでしょうね。アタシの方こそまだ迷ってるんでしょうね」
「自覚した?」
「ええ、もしかしてこの一撃はそんなアタシの心を見透かした上だったのかしら?」
再生の力によって既に傷は消えているけれど、ロングコートと同じようにボロボロになっているコルセットドレス越しに自身のお腹を撫るイズキ。
「そうだよ。だってあの時、やろうと思えばコートで防御出来たよね?」
「ええ、出来たわ。だけど連携でアタシを出し抜いたご褒美にただの蹴撃くらい受けてあげようと思ったのよ。……でも本当は……」
「俺の足が燃える事になる。そう思ったからだよね。殺意高い攻撃ばっかするくせに、妙な所で気にするんだね」
「……そうね。でもどうして気が付いたのかしら? アタシ自身もわからなかったのに。戦術に織り込んできたって事は、確信していたって事よね」
「うん。たった今もイズキは証明し続けてるよ」
「今も?」
春護の言葉が心底理解出来ないとばかりに首を傾げるイズキに、彼は戦いが始まる前からずっと思っていた事を口にした。
「思い出作りしようとしてるよね」
「……どういう事かしら?」
「会話だよ。戦いが始まる前からそうだけど、イズキってば何度も戦いの手を止めては、お喋りしようとしてるよね。どっちが勝ってももう話す事は出来ない。だからその前に少しでも言葉を交わして、記憶に残そうとしている。違う?」
本来ならば話す機会は半月前のあの日で終わるはずだった。
魔族の娘だという事は知らなかったものの、お互いにお互いが殺すべき敵だとわかっている状態。その上で戦う事はなく、刃ではなく言葉を交わすだけで終わった。
友人が突然敵になる。その戸惑いはお互い様だったのだろう。先に気が付いてしまったイズキはずっと悩んでいたに違いない。実際にあの場で彼女は弱音を吐いていた。
半月の間に修行と心の整理を終わらせ、今日は会ってすぐに殺し合う。そうなるはずだった。だけどそうはならなかった。イズキは水花の事を理由にし、会話を求めた。その後もチャンスがあるたびに会話しようとしていた。
意識的なのか、無意識的なのか、それはわからない。だけど、イズキの中に迷いがある事だけは確実だった。
「……きっと違わないわ。ふふっ、凄いわね。春護は随分と女の子の気持ちがわかるみたいじゃない」
「そんな事ないよ。わかるのはイズキの心だけだよ」
「……オマエ、わざとなのかしら?」
「さあ、どうだろう。でも、良い思い出にはなったでしょ?」
「はぁー、悪い男だわ」
呆れ顔と共に深く息を吐きながら下を向き、表情を隠したイズキ。そんな彼女の姿を見て、春護は意識を切り替える。双石越しにその変化を感じ取った水花もまた、レイピアを抜く。
「沢山の思い出をありがとう。きっと、少しの間くらいは笑って生きられるわ。だから——」
その光景に、春護と水花は息を呑んだ。
(まさか……まだ全力じゃなかったのか?)
イズキの全身から噴き出す膨大な魔力。自分たち二人分を合わせても到底届かない魔力量に春護たちは圧倒されていた。
だけどそれはまだ、ただの魔力。そこに感情は乗せられていない。ただの圧倒的な力の奔流。
そしてその時が来る。
「——死になさい。二人とも」
彼女が顔を上げた瞬間、膨大な魔力の奔流に、殺気が合わさった。
「「——っ!? 【鳥】っ!」」
イズキは動いていない。ただ目が合っただけ、その殺気を身に受けただけ、それだけで二人は彼女から遠く離れた場所まで移動していた。
本能的な行動だった。いくら人間が理性を有する知的生命体だとしても、原初の恐怖に逆らう事は出来なかった。
つまり、逃げなければ死ぬという恐怖に。
「いくわよ水花」
魔族の娘がそう口にした次の瞬間。
「……えっ?」
彼女が手にした直剣が、水花の胸を貫いていた。
「水……花……?」
「……春……ま……」
そして、⬜︎⬜︎は血の海に倒れた。
「……——えっ?」
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