第13話 時計仕掛けの
「なるほど……騎士という役割や正義という大義からも解き放たれて、一人の人間として生きることを勇気づける話なのね……」
女として、家庭を持つことが親孝行――
私にはそういう思いがあった。
私は、何もなく、何もしなかったら、価値がないんだろうか……。
「あのさ……」
コーギーに話しかけようとしてスマホから顔をあげると、アイツの姿はもうなかった。
「なんなの……一体……」
怒りはなかった。諦めというか、虚無というか。
スマホが鳴った。画面には”ちおり”と表示されている。もう、どのちおりかわからないが出てみる。
「……もしもし……」
「あ、繋がった! ちおりですけど、まだ街にいます? 待ち合わせ場所にいないから心配してて……。名状さん、遅れて来れることになって、合流したんですよ。もう二人でお店、入っちゃってるんですけど……」
「そ、そうなの?! なんか、私ちおりさんだと思って、違う人とずっと一緒にいたの……」
「え? なんですかソレ。新手のナンパかカルト勧誘ですね! 小説のネタにはバッチリな」
……バッチリ……かな? でもいざプロットにしたら、講座の先生から”主人公の変化がない”って、ダメ出しされるパターンなのは目に見えている。こんな短い時間で、
お店の場所を聞いて、歩き始めた。辺りを見回すがコーギーの姿はない。
♢♢♢
お店に入ると、中華風コスプレのちおりさんと、魔女風の名状さんがいた。
「一体誰だったんです? その人」
ちおりさんが言った。
「いや、もう無茶苦茶で。ちおりさんてそんな人なんだ、ってびっくりしました。いきなり本を真ん中から真っ二つに破かれましたからね!」
「本を破くなんて相当ですよ!」
心身共にマッチョが好きなために村上春樹は読めない名状さんが叫ぶ。
私は、破かれた『金輪際……』を見せようとカバンを開けた。
「あれ……?」
中から破れていない本が出てきた。
「なんで……? 元に戻ってる……」
ページをめくるが、どのページも新品同様だった。
「不思議の国に迷い込んで来たんじゃないですかね?」
「きっとそうですよ。コスプレが完璧かわいいから」
二人が口々に言う。
そう……なのかな。いや、本ならどっかですり替えたのかもしれない……。
「あ、そうそう。今、文具店で、”文学マステ”売ってるんで、買ってきました! はい、『檸檬』」
ちおりが私たちに檸檬柄のついたマステを手渡した。銀の背景に黄色のまるまるとした可愛い檸檬が描かれている。
名状さんが檸檬の解説とその時代の文学を語る。その間、私はマステをハンカチの上に乗せてみたり、ライトに当てて色の反映を見たりした。本屋に転がる檸檬の瑞々しさをこれほど鮮明に思い出せるのに、それはまるで夢のようだった。
新しい料理が来たので、私はマステをなくさないようにカバンに仕舞おうとした。そして、カバンの中に、檸檬が入っていることに気づいた。恐る恐る取り出してみると、檸檬にはメモが貼り付けていた。
――そうしたらあの気詰まりな百貨店もこっぱみじんだろう――
コーギーが投げつけた檸檬が爆発して、本屋にあるたくさんの自己啓発本が吹き飛んだ。
そして、勝ち組家族を羨む私も人形のように吹っ飛ばされる。
私は空高く舞い上がった。
屋上を失ったデパートは、クラッカーのように色とりどりの本の表紙を撒き散らしている。
色んなことがどうでもよくなり、私は愉快だった。
(完)
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