第6話

 氷岬さんはミステリの本棚で足を止めていた。所狭しと並んだミステリの本を吟味している。僕も隣に並ぶと、一冊適当に手に取った。


「え、もう決めたの?」


 氷岬さんが驚いたような声を出す。無理もない。僕はほとんど本を手に取らず何を購入するか決めたのだから。


「これ、僕のやり方なんだけどね」


 そう言うと僕はいつもどうやって本を買っているかを説明する。好きな本は好きな本で買って、毎回本屋さんに行くたびにランダム枠というのを設けている。興味のある本棚からランダムで小説を手に取り購入するというやり方だ。あらすじも一切読まずに購入するから読んだ時のわくわく感が段違いなのだ。


「おもしろいやり方ね。私はどうしてもハズレを引きたくないから、じっくりあらすじを読んでしまうわ」

「まあ普通はそうだろうね。でも僕は書店に並んでいる以上一定のおもしろさは保証されているし、いろんな本を読んでみたいんだよね」


 それから氷岬さんはたっぷり十五分は吟味した後、一冊の本を手に取った。

 二人してレジに並ぶ。休日ということもありレジは混雑しており、結構時間がかかりそうだ。


「この後はどうしようか」

「えっと、私の家に来ない?」

「氷岬さんの家に?」

「ええ」


 これは驚いた。まさか自宅にお呼ばれするとは。


「家に誰かいる?」

「お母さんがいるわ」

「じゃあお邪魔するよ」


 流石に女の子の家に行くのに家に誰もいない状態で行くのは気まずい。お母さんがいてくれるなら僕も安心してお邪魔することができる。

 そんな話をしているうちに、レジの順番が回ってくる。店員さんがブックカバーをするかどうか訊ねてくる。僕はそれを断り、氷岬さんは受け入れていた。店員さんは本を丁寧に袋に入れると、手渡してくれる。僕たちはそれを受け取ると書店を後にした。

 休日ということもあり、大型商業施設の中は人々の喧騒で満ちていた。すれ違う人にぶつからないように注意しながら僕たちは出口へ急ぐ。エスカレーターで階下に下り、出口から外へ出ると肌寒い空気が頬を撫でた。


「やっぱりこの時間になるとちょっと冷えてくるね」


 まだ日は高いが、時刻は十五時頃。日が短い季節なのであと二時間もすれば日が傾くだろう。


「それじゃあ行きましょうか」


 氷岬さんの後について僕は歩く。歩道を歩いていると、前から犬を連れて歩いてくる老夫婦が見えた。すれ違いざまにその犬が氷岬さんの足元に寄り、頬を擦りつける。


「可愛いわね」


 しゃがんだ氷岬さんは犬の頭を撫でると、犬は嬉しそうに目を細めるのだった。老夫婦はその様子を優しいまなざしで見守り、声を掛けてくる。


「可愛がってくれてありがとうね」

「いいえ、私こそ触らせてもらってありがとうございます」

「お嬢さんたちはデートかい」

「えっと、はい、そうです」


 氷岬さんが少し口ごもったが肯定した。否定するのも面倒だったんだろう。


「私たちもデート中だ。いつまでも仲良くね」

「羨ましいです。私もおじいさんたちを見習って輝一くんとずっと仲良くします」


 無表情でそんなことを言う氷岬さん。その言葉に僕はなんだか照れくさくなってしまう。氷岬さんとはずっと友達でいたいな。僕の心の中にそんな感情が芽生えた。

 老夫婦と分かれ、歩道を歩いていると氷岬さんが僕の手を握って来た。


「さっきのおじいさんたちの真似」

「なるほど。でも緊張するね」


 女の子と手を繋ぐという経験は僕自身初めてだ。肩と肩がぶつかり合い、距離感が難しい。でも不思議と悪い気はしなかった。氷岬さんと手を繋いでいると、なんだか落ち着く。


「氷岬さんの手、冷たいね」

「私冷え性なの。輝一くんの手は温かいわ」

「汗かかないか心配だよ」

「別に気にならないわ」


 そう言って氷岬さんの家に着くまで僕たちは手を繋ぎ合っていた。氷岬さんの家は大型商業施設から一キロほど歩いた場所にあり、それほど時間はかからなかった。閑静な住宅街で、一軒家が連なっている。家の前には車庫があり、車が一台止まっていた。入口の段差を飛び越えて、氷岬さんが家のドアを開ける。


「ただいま」

「おかえりなさい。あら、お友達?」


 奥から出てきた女性が、僕を見てそう問いかける。恐らくは氷岬さんのお母さんだろう。氷岬さんとよく似ていて、とても美人だ。年の頃は三十五歳といったぐらいで、柔和な笑みを浮かべている。


「お邪魔します。雪姫さんと同じ部活の黒川輝一です」

「いらっしゃい。ふふ、雪姫が男の子の友達を連れてくるなんて」


 頬に手を添え、氷岬さんのお母さんが微笑む。玄関は靴が綺麗に揃えられており、几帳面な性格が窺えた。僕は綺麗に靴を並べると家に上がった。


「ゆっくりしていってね」


 どうやら歓迎されているようだ。僕はほっと胸を撫で下ろし、氷岬さんに付いて二階に上がる。階段を上って手前の部屋がどうやら氷岬さんの部屋のようだ。氷岬さんはドアを開けると、僕を部屋の中へと招き入れる。

 部屋は六畳ぐらいのスペースで薄い水色のベッドとその頭の部分に並んだぬいぐるみが見えた。ベッドの上の窓には薄い水色のカーテンがかかっており、氷岬さんのイメージにぴったりだ。左を見れば勉強机が置かれており、机の上にはノートが置かれている。比較的片付いた部屋だという印象を受けた。


「座って」


 僕は適当に腰を下ろした。氷岬さんも僕の正面に腰を下ろす。


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