第10話 過去の私を見ているよう

 部屋に逃げ帰ったあの日、キリアンは私を追いかけることはしなかった。


 逃げ出した私に対して、配慮してくれたのかもしれない。

 追いかけられても私は繰り返し『ごめんなさい』を言うしかできなくなっていたと思うし…。


 けれど、さすがに淑女として、大人の女性になろうという人間として、あり得ない態度だったと今は反省している。

 申し訳なさ過ぎて落ち込んでしまった。

 だってキリアンに対して失礼すぎたよね!


 避けられて理由を聞いたらただただ謝罪。

 その上でお客様というよりも家族の一員として招かれたのに、翌日婚約者から謝罪の後逃げ出されて……。


(そんな状況だったら追いかけてもきっとまともな話し合いもできないって思われて当然だわ……)


 私だってそう考えるだろうし、冷静になってからまた話をしようって思うのが普通じゃないかしら。


(……でも、謝罪はできたわ)


 かなり一方的だったけれど、これは進歩ではないかしら!?

 三歩進んで二歩下がったとしても、一歩は前に進んでいるってことなんだから……たとえ進捗としては芳しくなくても、きちんと結果を出せたことをまずは喜ばなくちゃ。


(生徒がいくら失敗したって、努力をする姿を嘲るのではなく信頼し寄り添うのが大事だって先生も仰っていたもの……!)


 ただこの場合、自分が受け持つ〝出来の悪い生徒〟とやらが自分自身であることがなんとも言えない気分になるのだけれど。


「お嬢様」


「あら、ナナネラ。どうしたの?」


「あの、キリアン様から贈り物と花束が届きまして……」


「えっ? ……今日は何も記念日とかはなかったわよね?」


「はい、そのように記憶しております」


「どうしたのかしら……」


 まさか私の謝罪に対する感謝の気持ちとか!?

 それだったらそれはそれで悲しいのだけれど……。


 ナナネラの腕には可愛らしい黄色いデイジーとミモザで作られたミニブーケ。

 それからその小さな箱は……以前一緒に行ったカフェのケーキかしら。


「いったいキリアンはどういうつもりでこれを送ってきたのかしら……」


 黄色って私に似合わない色。

 いえ、決して嫌いな色ではないけれど。

 だから家族も花束を私に渡す時は、オレンジとかピンクとか、そういった色を選ぶくらいだもの。


(花言葉でキリアンがブーケを選んだとは思えないし……)


 そういったこととは無縁な暮らしだったからと彼が教えてくれたことは、きちんと覚えている。

 

 もしこれが以前の私だったら、浮かれていたかもしれない。

 彼から花をもらった。

 きっと花言葉の意味まで考えて送ってくれたに違いないってね。


 この国で黄色いデイジーの花言葉は『ありのまま』、そしてミモザの花言葉は『この気持ちは誰にもわからないほど深い』だもの。


(……でも、花に罪はないわ)


 罪があるとすれば、これまで初恋に浮かれて周りが見えていなかった私なのだ。

 受け取ったミニブーケの中で、所在なさげにカスミソウが揺れていた。


 まるで無邪気だった、過去の私のように。

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