第5幕 まだ見ぬ強敵パートのワクワク感は異常

第20話 人生はボタンの掛け違いの連続

  ――――生い茂る背丈の高い草木、青く澄んだ海、肌を焦がす太陽。

 そして飛び交う銃声と爆発音。

 ここは常夏の島、ドウェイン・ジョン島。異人類と現人類の生存競争がこの最果て地で今日も行われている。

 軍医である俺が派遣され早1ヶ月。蒸し暑く、不快指数を上げる湿度の高さにも慣れてきた。

 だが俺にはどうにも受けれられないものがある。

 それは昼、夜問わず聞こえる痛みや怨みの籠るうめき声だ。曲がりなりにも医者の身分を持ち、幾つもの戦場を渡り歩いたが、これだけはどうにも慣れる気がしない。

 いや、慣れてはいけないのかもしれない。人の嘆きに不快と嫌悪感を感じるのは、俺の心がまだ戦場に囚われていない確かな証なのだ。


「先生、今日は一段としかめっ面ですね」

「あぁ、ドゥグラルか。キミの大きな声は、俺の眉間に皺を増やすみたいだ」

「またまたぁ!本当は嬉しい癖にぃ。煙草、1本くださいよ」


 ドゥグラル・イーコマ。彼は俺が着任早々に治療をした若者だ。兵としての経験は浅く、若さ特有の浮き足立った行動が目立つ。訛りのせいか余計チャラついた印象を感じてしまう。

 だが、俺の様なつまらない男にも、声をかける気の良い青年だ。部隊のムードメーカーとして可愛がられている所を幾度も目にしたことがある。


「傷の調子はどうだ」

「もうバッチリですよ。昨日も俺の射撃で異人類共を追い払ってやりましたから!」

「それは随分調子が良さそうだ。かすり傷でピーコラ泣いてた頃が懐かしいよ」

「それは言いっこナシですって!……っといっけね。隊長に呼ばれてんだった。じゃあ、先生また今度!」

「出来れば来ないでくれるか?ベッドが足りてないんだ」


 ドゥグラルは煙草を咥えながら、笑顔見せ部隊へ戻っていく。

 それが彼の生きた姿を見た最後だった。死因は高所からの奇襲だったらしい。


 

 ⬛︎



 治療する。戦場に送り戻す。また治療する。日々激化する戦いに負傷兵は増える一方だった。

 今は個人ドゥグラルに心を痛めるいとまさえないことが当たり前になっていた。

 生きていれば治し、見込みが無ければ看取る。俺の仕事は、もはや治療ではなく、良と不良を選別するレーン作業だった。


「フゥー……」


 その日はツイていたのか、酷い怪我人は出なかった。簡易病室から怨嗟の聞こえない夜など初めてなんじゃないかとさえ思った。

 俺は珍しく静かな夜を楽しむため、外に出て残り少ない酒と煙草を嗜んでいた。

 日が落ち適温に変わったこの島の夜風はとても心地好い。


「良い島だ。戦時中でもなければの話だが」


 俺の真上に広がる星空は、日常生活なら決して拝むことの出来ない美しさだ。極端に人工物の少ない未開拓の土地だからこその原生風景は疲弊した心の支えになる。

 こんな夜はもう無いかもしれない。そう思い立った俺は、ランタンを取り出し危険極まりない夜のジャングルに足を運んだ。


 ジャングルの中はより暗く、ランタンの有難みをより感じる。少しばかりの肌寒さはあるが、着込むほどではなかった。

 夜行性の動物の鳴き声が聞こえる。普段は銃声で掻き消されているが、本来なら彼らが輝く時間だ。


「ん?」

 

 ふと耳を済ませると、低いうなり声が聞こえた。近くで草を揺らす音もだ。

 俺の中に浮かぶ思考は2つ。1つは聞き間違い。もう1つは……獰猛な野生動物管理だ。

 俺は無謀にも音の鳴るほうへ歩みを進める。

 来る日も無責任に命を救い、無責任に殺し合いに参加させる自分は、いっそ動物の餌になった方がこの世のためだ。人の造る物ではダメだ。自然の力で葬られたい。

 俺は本気でそう思った。

 不思議なもので、人体は時として意に反する。俺は死にたいと思いながら無意識に冷や汗を流し、膝を震わせていた。

 生存本能による最後の抵抗を無視し、俺は草を掻き分ける。


「グヌゥゥ……!!」

「君は……!?」


 そこに居たのは人だった。厳密に言えば異人類だ。

 褐色の肌を持つ男は腹に酷い怪我を追っている。傷跡に這うウジと血液の硬質化を見るに昼間に負傷していることが分かった。

 恐らく命からがら逃げ隠れていたのだろう。そこを俺が見つけた訳だ。

 男は上手く動かない体に必死に力を入れ、俺を恐ろしい顔で睨みつける。死を覚悟した手負いの虎とはまさに彼のことを指すのだろう。

 俺の腰には護身用の銃がある。実戦では役に立たないが、なら話は別だ。

 俺はソッと腰に手を当てた。


「……?」

「言葉が分かるなら動くな。今手当してやる」


 俺は包帯とモルヒネを取り出し、処置を始める。

 血に隠れていただけで、傷口は既に修復を始めている。この治癒力からして恐らく彼はロック族だろう。なんとも羨ましいだ。


「凄いな君たちは。我々ならこの傷では1時間と持たん」

 

 異排戦争と名付けられたこの争いの立案者は、きっと個性ではなく畏怖の対象としたのだろう。

 もし彼らと手を取り合えば、医療、化学の発展は凄まじく進んだろうに。


「傷口は縫合したが、血が足りていない。本来なら輸血パックを使いたい所だが、我々は敵対関係にある。気休めに過ぎないが……食うか?」


 俺は夜食にと持っていたサンドウィッチを取り出した。俺の好みでレバーのパテが挟んであるため、少しばかりだが足しにはなるだろう。


「……!」


 随分腹が減っていたのだろう。男は警戒もせずにガツガツと食らいつく。行儀は悪いが心底美味そうに食っている。

 俺はその瞬間、何故だか涙を零していた。


「……泣いているのか」

「なんだ口が聞けたのか。あぁいや、すまない。ここに来て初めて人を救えたと思ってね」

「やはり貴様らは下等種族だな。敵を前に情けなど……」

「俺は医者でね。殺すより命を救う方に長けてるんだ」


 悪態をつけど食べる手を止めない。彼に敵意が無いことは明白だった。

 サンドウィッチを食べ尽くし数分ほど立つと、男は立ち上がった。

 全くもって目を見張る回復力だ。


「もし次に合う時は1度だけ見逃そう。これは借りだ」

「あわよくば出会わないことを願うよ。俺の居る所は君たちからしたら敵陣のど真ん中だ。次は救えない」

「舐められたものだな。だが約束は守ろう」

「だとしたら有難いがね。そうだ、名前を教えてくれ」

「それに何の意味がある?」

「カルテを書きたいのさ。戦場ここ以外でお前の怪我が悪化したら困るだろう?」


 男はキョトンとした顔を見せた後、盛大に笑った。俺は本気で言ったつもりだが、確かにこんな場所だ。生き残る選択など頭から抜け落ちているだろう。

 我ながら自分の言葉は、冗談にも程があった。


「面白いやつだな貴様は。欲を言えば別の出会い方をしたかったよ。……ボウン・チユワーン。ロック族の戦士だ」

「俺は――――。あまり無理をするなよ傷口が開く」


 ボウンは最後に笑いかけ、ジャングルの闇に溶けていった。

 彼を見送った後、気付けば俺はベットの上で目を覚ましていた。基地に帰った記憶はあるが、久々に飲んだ酒のせいかどうにも上手く思い出せない。

 まるでボウンとの出会いなど最初から夢だと錯覚するほどに。



 ⬛︎



「なんでこんな所まで敵が来るんだ!?」

「そりゃあ俺たちが負けてるからだろうがっ!!」


 怒声と罵声、そして銃声が飛び交う真っ只中に俺は存在た。

 どうやら現人類である我々の前線が崩壊したらしい。

 数だけが多く、物資も何もかも乏しかったのだ。個人が軍隊に匹敵する異人類を相手にしているのだ。こうなるのも時間の問題だったのだろう。

 俺の抱える患者たちも先程も骨も残さず燃え尽きた。戦争協定なんざあったもんじゃない。


「クソッ!最後は医者も役立たずってかぁ?」


 俺も下手な銃で必死に応戦する。それが気休めにもならないことは分かっていた。

 なんせ相手にしている異人類バケモノは、全身に炎を纏い、砲弾と大差の無い火球を飛ばしてくるのだ。


「――――ッ!?」


 突然真横で爆発が起こる。それを認識すると同時に俺の身体は大きく吹っ飛ばされた。

 意識が無くなる直前の数秒間は嫌に長く感じる。

 そして嫌に冷静だった。

 俺の身体が火に覆われていく。熱い。ただ熱い。だがそれも一時のことなのだろう。

 だがようやく俺の損な役割を果たせると思うと、自然と死を受け入れることは出来た。



 ⬛︎



 俺は突然の冷たさに目を覚ました。ここは天国だろうか。だが全身を駆け回るとてつもない激痛に、ここがまだ現実であることを認めざる得なかった。


「ようやく目を覚ましたか」


 どこかで聞いたことのある声が聞こえる。俺は狭くなった視界で必死に声の主を探った。


「ボウン……か?」

「約束は守る。そう言ったはずだ。」

「……俺は、どうなったんだ」

「『炎使い』に襲われたのさ。アイツ、お前たちの基地を潰したことを誇らしげに語ってたよ」

「良い土産話にされてしまったな……ここは?」

「俺の集落だ。スジは通した。だからお前を襲うものはいない」


 俺はボウンのスジの通し方が薄目でも分かった。

 両耳が切り落とされている。


「すまない……」

「俺のことはいい。借りっぱなしが性にあわないだけだ。酷いのはお前の方だったよ。片目が潰れて、大半の肌が焼け爛れていた。薬のおかげで随分とマシな見た目になったがな」

「これでマシと言うのか……ははは、笑えない冗談だ」

「効能は確かだ。数日したら随分良くなる。だから今は眠れ」

「あぁ。ありがとう……ボウン」


 俺は感謝だけ伝えるとまた微睡みに意識を委ねた。

 次に俺が目覚めたのは3日後だった。

 ボウンの言葉に嘘偽りは無く、傷跡は残るものの痛みはかなり和らいでいた。

 俺はテントを出る。最初に写る光景は、異人類たちが我々と同じ様に生活している姿だった。

 そこには14、5歳といったまだ子供の姿もあった。


「ようやく復活か。早速だが医者の力を借りたい。出来るか?」

「あぁ、構わないが……子供もいるんだな」

「……大半は海を渡らせたんだが、力を過信し、試したいと思っている若者もいるのだ。それに、ロック族だけじゃない。他の異人類も大半は力の誇示が目的の様だ」

「ボウンは違うのか?」

「俺は戦士の役割を全うするだけだ。族長が戦えと言うなら従う。それが課せられた役割だ」

「そうか……」


 その後、俺が任された仕事は単純なものだった。簡単な傷の手当から薬の調合。健康管理と言った、何処にでもいる普通の医者としての仕事。

 捕虜扱いではあるものの、医者としての尊厳を求められる彼らとの日々は、俺を俺である意味を持たせてくれた。


「先生、最近よく笑うようになったな。俺たちは敵だぜ?」

「フッ、俺は捕虜だ。お前たちのご機嫌取りに笑ってるだけかも知れんぞ?」

「だったらそんな笑顔出来ねーよ!!診てくれてありがとな、先生!お仲間ぶっ殺してきやるからよぉ!」

「出来れば勘弁して貰いたいがね。捕虜が何を言っても無駄だろう?」


 今診察した青年も戦時中だからこその思考ではあるが、気の良い男だ。

 俺は彼を見て、ドゥグラルのことを思い出した。あんなにも俺に親しく接していた男のことを忘れていたとは。

 俺も大概、戦争に脳を焼かれていたらしい。


「願わくば……互いに手打ちにしてもらいたいものだがな」


 そんな俺の願いを嘲笑うかの様に、平穏はある日突然終わりを告げた。



 ⬛︎



 目の前で肉体が飛び散っていく。土砂降りにも関わらず、重い血液は雨に流れず、ただただ地面を赤く染め上げるだけだった。


「な、なんだよコイツ!!なんで俺たちの気を纏えるッ!!」

「ヤ、ヤツだ!ヤツが『英雄』だ!!お前らナメてかかんじゃねぇぞ!!」


 話には聞いていた。齢15の子供が有り得ない戦果を上げていることを。

 一対一なら負け知らずのロック族を屠り、俺の身体を焼いた件の炎使いの首さえ取った男。

 それが現在惨劇を生み出しているのだ。

 曲芸の様に素早く動き回り、ありとあらゆるモノを使い異人類を狩っていく。

 それは死体も例外では無い。流れ出た血は目潰しに、切り落とした肉は鈍器に、へし折れた骨は刃物に。英雄からすれば全てが殺人道具へと変わる。殺しの技術に芸術があるとすれば、彼は1つの到達点だろう。

 人となりを知っている者たちが次々と使その光景に俺は笑うしかなかった。

 いっそ殺してくれ。英雄に殺されるのならば仕方がない。自然と身を捧げそうになる程、尖り洗練された殺気が遂に俺へと向けられる。


「テメーじゃねー」

「えっ?」


 俺の首に肋骨のナイフが刺さるすんでの所で、ヤツは不思議と攻撃を止めた。


「ソイツから離れろォ!!」

「なんだ。テメーだったのか」


 その言葉で英雄の狙いが俺では無いことを理解した。

 ヤツの本当の狙いは……ボウンだった。


「ゴヴッ……キッ……!?」

「紛らわしいことすんなよ。間違えかけたじゃねーか」


 そう言うと何も無かったかのように英雄は狩りへと戻った。

 俺は必死にボウンの元へ駆け寄った。彼のの肺には骨が突き刺ささっていた。なんとか血を排出しようと声にならない声を出しながら、ボウンはむせ返る。


「なぁ……」

「喋るなボウン、今止血する!!」

「いや……自分の終わりくらい分かる……1つ、1つだけ頼まれてくれるか?」

「馬鹿野郎!お前が諦めてどうする!」

「敵に、情けは、不要だと言っただろう?……だが、どうしてもと言うのなら、オコイエという青年の力になって欲しい……」

「だから喋るなって……」

「――いいから聞け!……頼む」


 俺は力強く握られた腕に思わず口を閉じてしまう。聞かねば後悔する。俺はボウンの意思を心で理解した。

 

「……オコイエは、素晴らしい青年だ。先に島を離れた王家の血を引く娘をきっと見つける。そして……ロック族の、いや異人類の再興に努めるだろう……彼は責任感が強いからな」

「分かった……じゃあ、俺は何をしたらいい!?」

「……彼の手助けをしてくれ。これは捕虜に対してではない。……としての頼みだ。引き受けてもらえるだろうか」


 友として。奇妙な友情は勝手ながら感じていた。だが、俺はその単語を口にはしなかった。

 ボウンからと言うのも意外だが、我々がその言葉を意味を互いに理解し、分かち合うのはこれが最初で最後なのだ。


「分かった。友として!友人として、引き受ける。ボウン。約束だ。だから安心してくれ」

「あぁ。ありがとう、友よ……」


 ボウンの目から光が喪われる。俺はそっと彼の瞼を下ろした。

 気が付けば周囲は雨の音しか聞こえない。


「なぁ、アンタ。囚われてたんだろう。大丈夫だったか」


 俺の背に話しかける者は誰だ。否、考える必要などない。かの英雄様しかありえないのだから。


「ありがとう。俺は医者でね……酷い扱いを受けていたんだ。助かったよ。えっと、名前は……」


 俺はこの男を決して忘れてはいけない。何があってもだ。

 

「ナギヨシ……平坂ナギヨシ。ただの傭兵だ」


 英雄はただの傭兵と名乗った。なんとも馬鹿げた話だ。ただの人間にこんな化け物じみたことが出来るものか。

 

「平坂ナギヨシ……ね。覚えておこう、命の恩人だ」


 背を向けていて助かった。

 俺の顔は酷く怒りに歪んでいるのだから。これは凡そ助けられた人間の顔ではない。修羅へと変貌せんとする人としての最後の顔を今見せる訳にはいかない。

 俺はこの男に復讐せねばならないのだから。


「なぁ、テメーの名前は?」

「名前?俺の名前は――――」



 ⬛︎


 

 轟音で俺の夢は妨げられた。

 随分と昔の夢を見ていた気がするが、恐らくこの土砂降りが原因だろう。

 古傷の痛みと共にあの惨劇を想起させる。


「有難い雨だ。俺の怨みを力ずくで思い出させてくれるんだから」


 不思議なことにオコイエはヤツと繋がりがあった。ロック族の気を使えることを知らなかったようで、彼は見事に敗北したらしい。

 アイツのことだ。己の力を過信したのだろう。あれほど俺は、異排聖戦経験者を舐めるなと言ったのに。まぁいい、オコイエがヤツと関わりもまた縁だ。

 まるで神に『共に汝らの敵を倒せ』と耳元で囁かれている様だ。

 俺はジクジクと痛む焼けただれた腕は見つめる。

 あの夢から10年がたった今、俺はようやく約束を真の意味で守れるらしい。

 3年前はしか奪うことが出来なかったのだから。


「ボウン。遅くなってすまなかった。ようやくお前との約束を果たせるぞ」


 俺はまだ降り止まぬ雨を見つめ、友との約束を改めた。

 俺は明日、天逆町を地獄に変える。かつて、俺の居場所がそうだった様に。

 これから俺は……英雄の、平坂ナギヨシの全てを穢すのだ。

 

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