第5話 今日は面が整った人とばかり喋るな
そういえば、自分のクラスに行かなきゃだった。
慌ててトイレから出て、早歩きで教室に向かう。
「おーい」
背後から声が聞こえた。周囲には私しかいない。
振り向くと、灰瀬くんが笑顔で手を振っていた。
「探したよ」
「あ、ああ。うん、朝ぶり」
少し速度を落として灰瀬くんと並んで歩く。
ここが夢の中だと思っていたから、灰瀬くんがこんなに話しかけてくるのは無意識の願望の表れだと思っていた。でもどうやら違うらしい。
もしや一目惚れさせてしまったか?
なんちて!
冗談はさておき、本当にどうしてなんだろう。
もしや、合格発表の時に誰かと見間違えたことがずっと癇に障っているのだろうか。
「でもそんなことでキレるか……?」
「何が?」
危ない、考え事が口から出てしまった。
一人暮らししてから部屋の隙間を埋めるみたいに独り言言い続けてたからな。気を抜くとすぐに心の内を口に出してしまう。
……駄目だ、あの暮らしを思い出したら苦しくなってきた。
「なんでもないよ。それより、どうして私のことを探してたの?」
「連絡先交換したくて。朝撮った写真送ってよ」
「あー、なるほどね」
そういえばそんなこと言ってたな。
その後の出来事が衝撃的だったから、すっかり忘れてしまっていた。
リュックからスマホを出して◯INEの画面を開き、QRコードを出す。
「ああ、それとも私がコード読み取ろうか」
そう言って顔を上げると、灰瀬くんとバチッと目が合った。
うわ、輝かしい将来が確約された顔面だな、これは。
「いや、もう画面開いてくれてるし。オレが読み取る」
灰瀬くんは学ランのポケットからスマホを取り出し、私が出したコードをカメラで読み取った。しばらくすると、◯INEの新しい友だちの欄に「結希」というアカウントが追加された。
へえ、下の名前は
フルネーム「灰瀬結希」ってこと? お洒落〜。
「大鳥さんっていうんだ。珍しい名字だね」
まるで私の思考に被せてくるようにそう言われる。
そういえば、私は灰瀬くんのこと知ってるけど向こうは私のこと知らないよね。
そこまで面識ない人間によくこんな話しかけられるな、灰瀬くん。
「そうだね。今まで生きてきて自分と同じ名字の人に会ったことないし」
「へえ、そうなんだ。……なんか、◯INE交換してようやくお互いの名前分かるの面白いな」
イタズラっぽく笑う灰瀬くんに、私も笑い返す。
「うん、ナンパみたいでウケるね」
またニレイちゃんが時を止めたのかと思った。それくらい場が凍った。
このカス!
いくら見た目的には同い年とはいえ、成人した女が高1に「ナンパ野郎」という不名誉なレッテルを貼り付けるのは万死に値するだろ!!
ああ、どうしよう。
これで灰瀬くんの心に妙なへこみが出来てしまったら……。
目を見開いている灰瀬くんに向かって、手を合わせる。
「本当にごめん、今のはバッドコミュニケーションだったね。これでも一応得意な科目は国語なんだ、信じられないかもしれないけどさ……」
「◯’z好きなの?」
なんで急に◯’zが出てきたんだ。首を振ると「◯AD COMMUNICATIONっていう歌があるんだ」と言われた。
「いい曲だから今度聞いてみて」
そう言って、灰瀬くんはパッと笑った。
なんて出来た子なんだ。
私の失言を許し、あまつさえ笑顔を向けてくれるとは……。
灰瀬くんの笑顔が神々しいあまり、思わず両手を合わせる。
「なんか前もこうやって手合わせられたな。お地蔵さんになった気分」
「いつも地蔵にさせてごめん」
「どういう謝罪?」
灰瀬くんはケラケラと楽しそうに笑った。
廊下に人気がなくなったことに気が付いて「そろそろそれぞれの教室に向かわないと不味いかも」と灰瀬くんに言った。
「……大鳥さんって何組?」
「Eだよ」
「マジか、オレAなんだよ。残念」
「そう思ってもらえるなんて光栄だよ。それじゃ、私のクラスはこっちのほうが近道だから」
渡り廊下があるほうに向かいながら、灰瀬くんに手を振る。
「じゃあね、灰瀬くん。写真後で送るよ」
そう言うと、灰瀬くんは何故か鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。何故だ。
***
自分の教室へ行き、担任の教師から沢山のプリントと一緒に名札を配られたことで、さっき灰瀬くんが変な顔をしていた理由が分かった。
「向こうから名字名乗られてない……」
今気付いた。
お互い口頭では碌に自己紹介しなかったし、灰瀬くんのLINEのアカウント名には下の名前しか使われていなかった。
それなのに「灰瀬くん」なんて呼んだら、豆鉄砲食らった顔にもなる。
ああ、今思えば「それぞれの教室」って言った時返事に間があったのも「なんでこいつオレとクラス違うこと把握してるんだ?」って思ったからだろうな……。
まずい、気付いていないだけで他にも色々不自然な発言をしているかもしれない。
どうしよう。灰瀬くん、今頃「入学早々激ヤバストーカー女と面識持ったかも」って怯えているのでは?
うわー、合格発表の時に名札付けてたかな。
全然覚えていないけど、もうそれにかけるしかない。その時にたまたま名札を見て覚えていましたって言い張ろう。それもやや怖い気がするけど、それが一番不自然じゃない。
タイムスリップの弊害って、こういうところで出てくるんだな。
そもそも、私がタイムスリップしていることは周囲に知られてもいいことなのだろうか……。
「はい、今配ったプリントにボールペンで名前書いてください。書けたら私のところまで持ってきて下さいねー」
担任の
とりあえず、タイムスリップのことについては後でニレイちゃんに聞こう。いつでも呼んで良いって言ってたし。
リュックからペンケースを出し、ボールペンを探す。探……。
「ない……」
どれだけ探してもペンケースの中にボールペンが見当たらなかった。
いい加減にしてくれ自分、ボールペンぐらい入れておけよ。シャーペン5本もいらないだろ!
「もしかしてボールペン忘れちゃったの? 私使い終わったから、これ貸すよ」
鈴の転がる様な声が前から聞こえ、ペンケースから顔を上げる。
「かッ」
「か?」
咳払いをし「なんでもないよ。ありがとう、借りるね」とやっとの思いで言葉を返す。
白魚のような手からボールペンを受け取り、プリントに名前を書き込む。
「ありがとう。助かったよ、
「どういたしまして。あれ、名前言ったっけ?」
オラの馬鹿!!
「な、名札を配られた時にチラッと見えてね」
「よく見てるねぇ」
彼女が首を傾げたとき、コテリと可愛い効果音が本当に聞こえた。そして周囲が息を飲む音も。
灰瀬くんが人気投票第2位だとしたら、彼女は堂々の1位だ。それ程圧倒的人気者だった。
亜麻色でふわふわの髪、ヘーゼル色の瞳、真っ白な肌というリアル西洋人形の容姿の彼女は、学校中の男子から恐ろしい程モテた。
なんなら文化祭の時に他の高校の男子から公開告白されていた。しっかり振っていたけれど
両親のどちらかがイギリス人らしい。ということで英語がペラペラ。
でも英語だけじゃなくて、毎回のテストで全教科ほぼ満点を叩き出すような才女。
運動音痴という欠点は、むしろ彼女の魅力の1つとなっていた。まるでミロのヴィーナスみたいに。
こんなに完璧だと女子から顰蹙を買いそうに思えるけど、女子ウケする要素もしっかり持ち合わせていたので全くそんなことはなかった。軽い下ネタなら全然話せるし、エグい変顔も求められたら躊躇無く出来る。
何より今みたいに、誰かが困っていたらすぐに手を差し伸べるような優しさを持っている。こんな子を嫌いになるほうが人格を疑われてしまう。
天から百物与えられた完璧美少女、それが奥入瀬さんだ。
それにしても8年ぶりに顔を見たけど、本当に可愛すぎるな。
というか入学当初は私の前に座ってたんだ。全然覚えてなかった。
先生にプリントを渡しに行き、席に戻る道すがら彼女に笑顔で手を振られた。レス貰っちゃったぜ。
「それじゃ、今日はこれでおしまいです。時間がないので自己紹介は明日ゆっくりやりましょう。これから1年間よろしくお願いします。さようなら」
先生の挨拶が終わると、クラスメイトは皆バラバラと帰っていった。ほぼ一斉に移動しているのに、話し声がほとんどないので静かだ。
皆表情硬いな。まあ入学初日だったらそんなもんか。
小学校から中学校に上がるのとは違って、高校は本当に色んなところから生徒が集まってきてるからね。全員初対面みたいなものだ。
思い返せば私も、前回の高校生活ではほぼ知り合いがいない状態で学校生活がスタートしたことにビビりすぎて色んな人に声かけまくったな。
あれはやや黒歴史だ。今回の高校生活ではやらないようにしよう。
「筆箱パンパンだねぇ」
振り返った奥入瀬さんが、シャーペンを詰め込みすぎて歪に膨らんだ私のペンケースを見てそう言った。
すごすぎる。両拳を顎に当てた、所謂ぶりっこポーズってやつをしているのに似合いすぎるという感想しか出てこない。
これからぶりっこポーズ改め奥入瀬ポーズと呼ぼう。
「そうなんだよ。パンパンの癖にボールペンが1つも入っていない奇跡の筆箱なんだ」
ペンケースのファスナーを開け、中身を見せる。ペンケースの中を覗き込んだ奥入瀬さんは、小さく吹き出した。
「ふふ、シャーペン多すぎない?」
「奥入瀬さんがシャーペン忘れたらいつでも貸せるよ。1本壊したり無くしたりしても残機が4つあるから安心してね」
「残機4って、自分が使わない想定で言ってるでしょ、それ」
奥入瀬さんはコロコロ笑うと、少し潤んだ目で見つめてきた。やばい、何がとは明言出来ないけど扉が開いてしまう。
「お名前は?」
「
「アハハ、畏まられちゃった。
小首を傾げてフワフワの髪を揺らし、はにかんで挨拶する奥入瀬さんは、本当に絵になるほど愛らしかった。
「急に両手合わせてどうしたの?」
やべ、無意識のうちに拝んじゃった。
「ごめん、気にしなくて大丈夫。日課のお祈りだから」
「気になるよ……」
奥入瀬さんは若干引いた顔をしたけど、すぐにパッと笑顔に変えて「ねぇねぇ」と声を落として尋ねてきた。
「大鳥さん、今日正門の前で写真撮ったでしょ」
「うん、お母さんと撮ったよ。よく知ってるね」
奥入瀬さんは、頬を上気させて「お母さんとだけじゃないでしょ」と言った。
「格好良い男の子とツーショットの写真撮ってたよね! 彼氏?」
このお嬢さん、とんでもない勘違いをしていらっしゃる。
「あれ見られてたんだ。恥ずかしいな」
「皆見てたよ~! 入学早々熱愛カップル登場だってちょっと盛り上がってたよ」
「本当に恥ずかしいな」
うわ、そんなことになっているのか!?
これはちょっと厄介だな。
灰瀬くんにも申し訳ないし、ここはしっかり誤解を解かないといけない。
「あのね、奥入瀬さん」
「うんうん、なれそめの話?」
「違うよ。実は私とその格好いい男の子、灰瀬くんって言うんだけどね、今日が初対面なんだ」
「えぇ、本当に? それにしてはすごく親しげだったけど……親公認っぽかったし」
「あれは私のお母さんのおばちゃん力が凄いだけだよ。すごいよおばちゃんは。全然知らん人と天気の話、はたまた自分の親戚の悪口で数時間ぶっ通しで盛り上がれるんだから。おばちゃんにとって人類は皆兄弟。すごいよ本当」
「へえ、おばちゃんってすごいねぇ……。何の話してたっけ」
「おばちゃんの話だね」
「違うでしょ」
騙されなかったか、流石才女。
高齢の患者さんだったら今の方法効くこともあるんだけどな。
じっとりとした目で(それでも恐ろしく可愛い)見てくる奥入瀬さんに「初対面っていうのは半分嘘かも」と正直に言った。
「合格発表の時に一瞬喋ったことがあってね、その縁で写真を撮っただけだよ。だから彼氏どころか友達ですらないんだ。うちのカルピスより薄い関係なんだよ」
「えぇー、でもそんな縁だけで写真撮ることなんてある?」
「きっと彼、入学式ハイに陥ってたんだよ。荒ぶるパッションに身を任せて、とりあえず目に付いた私と写真を撮ったんじゃないかな」
「ふぅん、通り魔的だね」
最終的にやや灰瀬くんを貶める形にはなってしまったけれど、なんとか誤解を解くことが出来た。
良かった良かった。入学早々こんなパッとしない女と噂になっちゃ可哀想だしな。
「なんだぁ。それじゃあ大鳥さん、彼氏いないんだ……」
「なんかごめん」
「好きな人もいないの?」
「いないよ」
奥入瀬さんは、少し目を見張った。
そしてニューッと口角を上げる。
「『これ』はいるんだ?」
畜生、腹立つほど可愛いな!!
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