婚約破棄大戦の始まりと終わり

悠戯

婚約破棄大戦の始まりと終わり


「キミとの婚約を破棄させてもらう!」


 それがアリガーチ皇国第一皇子ボンクーラの最期の言葉となった。

 ある秋の夜。皇子の婚約者であるサツマール王国のスパルティア姫を皇都に招き、皇国の貴族達に顔見せをする予定だったパーティの席での事件である。


 サツマール王国は、このダダッピロイ大陸においても皇国に次ぐ大国。

 単純な領土面積や人口においては皇国が大きく勝るものの、武を重んじる気風が強く残り良質な鉱山と加工技術を有する王国の国力は決して見劣りするものではない。


 世の常として皇国と王国は幾度となく争い覇を競った過去があるものの、それも今や過去の話。こうして皇家と王家の婚姻を機に両雄の同盟が成れば、もはや並ぶものなき存在として君臨し、大陸に平和が訪れる……はずであった。



 残念ながら、そうはならなかったわけであるが。

 話は皇子が不幸にも落命する数分前まで遡る。



「先程、遠目に皇子殿下をお見掛けしましたが、何やらいつになくご機嫌でしたな。気難しいあの御方にしては珍しい」


「ははは、それも当然であろう。此度の婚姻が成れば次期皇帝の座は決まったも同然。後継者レースを争われた弟君らも、流石にこうなっては引き下がらざるを得まい。今あの方は? 私もご挨拶をしておきたいのだが」


「今は控え室にいるようだ。まあ、どうせここに来るのは決まっているのだ。焦らずとも機会は来よう」



 豪勢な料理や美酒が溢れんばかりに並ぶパーティ会場には、すでに大勢の貴族達が詰めかけていた。公爵、侯爵、伯爵といった高位の貴族や、国の要職に就く重鎮達。

 いくら皇家主催のパーティといえど多忙な彼らが、こうまで勢揃いすることは珍しい。つまらぬ集まりなら多忙や体調不良など適当な口実を設けて、断りの手紙を出せばそれで済む。それだけ今回の婚姻が重視されているということなのだろう。


 もちろん出席しているのは皇国の者ばかりではない。

 場所が場所だけに比べたら数は少ないものの、駐在大使を始めとした王国の重要人物も決して少なくない。出席者の格が総じて高い割に砕けた立食パーティ形式であるのは、こうして両国の関係者が顔を合わせる機会を有効活用し、新たな縁談や商談を円滑に進めようという意図があるものと思われる。



「おお、花嫁殿のお出ましのようだ」


「ほほう、噂には聞いていたがお美しい。皇子殿下が羨ましいですな」



 パーティが始まってしばし経った頃。

 本日の主役の片割れであるスパルティア姫が姿を現した。

 キラキラと輝く白絹のドレスや宝石の数々もさることながら、何よりも人々の目を惹きつけるのはその美貌。集まった男性達からは感嘆の、女性達からは羨望と嫉妬の混じった声がしばらく収まらぬほどである。


 が、興奮していた人々もやがて違和感を覚え始める。


 奇妙なのは姫が一人で――無論、侍従や護衛の騎士などは幾人も引き連れていたものの――姿を現したことである。こうした場においては、婚約者の二人が同時に登場するのが皇国での通例。絶対に守らねばならない厳格なルールというわけではないが、それがいささか奇妙にも思える。



「はて? 私は王国の儀礼には詳しくないのですが、今回はあちら側の流儀を立てるという趣向でしょうか?」


「なるほど、それはあり得ますな」



 とはいえ、この時点ではわざわざ騒ぎ出すほどではない。

 パーティの意味合いから考えれば、あえて皇国流の通例に反することをするのも面白い趣向だろう、と。特に確認したわけではないけれど、そんな風に勝手に考えては納得する者が大半だった。


 しかし、実際のところは違う。

 主役の片割れであるスパルティア姫側も、何やら慌てた様子の侍従から「先に入場していてくれ」との皇子からの言付けを受け、戸惑いつつも言う通りにしただけなのだ。



「はて、皇子様はいったいどういうおつもりなのでしょう?」


「さぁ、体調不良の報せなどは受けておりませぬが……」



 姫君が近くにいた騎士に尋ねるも、彼らも詳細は知らぬ様子。

 他の者も同様であったが、この程度ではまだ慌てるには値しない。

 なにしろ本日この場において、スパルティア姫は偉大なるサツマール王国の代表なのだ。些細なトラブルにいちいち目くじらを立ててヒステリーを起こすようでは、愛すべき故国の威信まで問われるというもの。



「慌てるには及びませぬ。皇子様にも何か事情があるのでしょう」



 むしろ率先して予定の狂いに戸惑う周囲の者達をなだめ、落ち着かせる余裕まで見せていた。彼女から余裕が失われるのは、この後、皇子が姿を現してからのことである。



「やあやあ、待たせたな皆の者!」



 姫の入場から三十分以上も後。

 随分と大きな遅刻をしてボンクーラ皇子が現れた。


 それだけなら、まだ良い。

 他国の重鎮も多くいる場ゆえ非礼の誹りは免れまいが、急な体調不良など適当な理由を述べて一度頭を下げればそれで済む。むしろ許さねば相手側の度量の狭さが問われるであろう。


 真に問題となるのは、この直後の発言であった。



「聞け! 私は真実の愛に目覚めたのだ!」



 そう言って皇子が手を引っ張って連れ出したのは、十代半ばほどの少女。

 美人というよりは愛嬌のある可愛らしい顔立ちであるが、その服装はどうにもこの場に相応しくないように思われた。スパルティア姫のそれと比べたらボロ切れ同然と言っても差し支えなさそうな古ぼけたドレス、化粧や装飾品ひとつない姿。


 パーティの主役どころか使用人としてさえ眉を顰められそうな見すぼらしい恰好である。恐らくは最下級の貴族か、下手をしたら平民の娘。皇子に引っ張られて半ば強引に衆目に晒される形になった少女は、おどおどと恐縮しきりである。


 さては、この少女の恰好を皆で笑い物にするという出し物か。

 いやいや、それはいくらなんでも悪趣味が過ぎる。

 それよりも皇子の言う真実の愛云々とはいったい。


 真意が読めずにざわつく両国の重鎮の前で、皇子は悪びれることもなく言い放った。



「私はこの彼女、メイン・ヒロインッポイ嬢を愛してしまったのだ! 次期皇帝たる私の正妃には彼女こそが相応しい」



 あまりにも重大な発言である。

 聞いている皆が現実から一時逃避して呆けてしまうほどに。

 そんな衆目の反応を知ってか知らずか、ボンクーラ皇子は言葉を続けた。


 他の皆と同じく呆気に取られるスパルティア姫に向き直り……。



「キミとの婚約を破棄させてもらう!」



 さて、冒頭の繰り返しになるが今一度。

 それがアリガーチ皇国第一皇子ボンクーラの最期の言葉となった。





 ◆◆◆






 スパルティア姫の行動は迅速であった。

 雷の如き神速の踏み込みで皇子との間合いを詰めると、その左腰に差していたサーベルを引き抜き様に身体ごとくるりと半回転。それでお終い。


 ボンクーラ皇子の首は瞬時にして両断され、大きく刎ね飛ばされた。

 ぐちゃ、と音を立ててテーブルに並べられたケーキの上に皇子の首が落ちる。

 うつ伏せに――胴から下を失った生首に対して適切な表現かは分からないが――落ちた頭部はクリームに塗れ、どういう表情をしているかも見えていない。



 だが、意外にもこの時点ではまだ大きな騒ぎは起きていなかった。

 先程の皇子の宣言から立て続けに現実離れした出来事が連続したせいだろうか。人間というのは自身の許容能力を超える状況に直面すると、無理やりにでもどうにか理屈を設けて平静を保とうとするものである。


 これは夢に違いない。

 あるいは皇子も姫もグルになって、出席者を驚かせようとする余興の一環なのでは。次の瞬間にも無傷の皇子が登場して驚いた皆にネタバラシを始めるのではないか。どう考えてもそんなわけはないのだが、まるで芝居か手品の一幕であるかのような気がしていたのだろう。


 とはいえ、そんな現実逃避が長く続くわけもない。

 斬られてから実に三十秒近く、それまで直立を保っていた皇子の首から下が、大量の血液を吹き出しながら倒れたのが皆を現実へ引き戻す合図となった。



「キャアアアアー!?」


「誰か、誰か医者を!」



 もちろん今から医者が来ようが手遅れである。

 どんな名医だろうが切断された首を元通り繋げて生き返らせるなど不可能だ。

 もちろん、そんなことは誰もが承知しているのだが、これほどまでににこの時の出席者達が動揺していたということであろう。


 だが、これは惨劇の序章に過ぎなかった。



「スパルティア姫ご乱心! 姫様ご乱心!」


「お願いです、武器を置いて下さい!」



 次第に状況を飲み込めた者達は、未だサーベルを手に佇んでいたスパルティア姫をどうにかしようと思い立った。特に真っ先に動いたのは彼女の護衛に就いていたアリガーチ皇国の騎士達。姫の暴挙を止められなかった時点で一族郎党処刑されても文句は言えない大失態であるが、この上更なる失態の上塗りだけは何としても避けねばならぬ。


 武器を捨てさせようと説得を試みる者。

 背後に回り込んで拘束しようとする者。

 自らもサーベルを抜いて構える者。


 だが、彼らには足りないモノがあった。

 すなわち、先程まで守るべき存在であった姫を切り捨てる覚悟が。



「ぎゃっ」


「ぐあぁっ」



 まず最初に、背後から忍び寄ろうとしていた騎士が姫の間合いに入った瞬間、右の手首を落とされた。次いでサーベルを構えていた騎士。本気で斬るつもりもなく、ただ持っているだけの剣など棒切れにも劣る。先の一人が斬られたのに気を取られた隙に、構えていたサーベルごと両手の肘から先を失っていた。


 いずれも疾風の如き早業である。

 サツマール王国は武を尊ぶ気風であり、たとえ王族といえども雑兵と同じように、否、兵の模範となるべく人一倍の鍛錬を物心つくより前から課される。女人といえどもその例外ではない。


 スパルティア姫も王家に生まれた者の義務として、幼少期より兄王子達と共に手のひらの皮が破れても木剣を振るい続け、大岩を持ち上げて筋骨を練り上げ、山に入って獣を遊び相手としてきた。

 天下無双の剛力として名高い現サツマール王の血を色濃く受け継ぐ彼女が、民を幾人も喰い殺してきた大狒々の首を素手で引き千切り退治したのは齢十になったばかりの頃。王国の民には今でも語られる武勇伝である。


 先程、皇子の首を刎ね飛ばしたのも鍛錬により覚えた技。

 本来は無手の状態で武器を備えた相手と戦う際に用いる王家の秘伝であった。

 何千、何万、あるいはそれ以上の反復により完全に身体に備わった技は、もはや思考を必要としない。必要な時になれば無意識に繰り出される。真の武人の技とはそういったものであり、スパルティア姫の武はその高みに至っていたのである。


 だが、技を繰り出したのは無意識なれど、姫はその行動が誤りだったとは考えていない。なにしろ両国の重鎮が大勢集まる中で公然と侮辱されたのだ。

 王族への侮りは王国への侮り。

 我が身可愛さにこれを捨て置いては、未来永劫、愛すべきサツマールの民がただその国に生まれたというだけで笑い者にされかねない。己が身がどうなろうと斬らぬという選択肢はなかった。他国の価値観においては狂気とも思われようが、姫の培ってきた常識においてはそれが正しい行いとされるのである。


 ひとまず周囲の騎士達や取り押さえようとした男衆を退けた姫は、次いで皇子が連れてきた少女に目を向ける。



「……哀れな」



 だが、一瞥だけするともう興味を失ったようにメイン嬢に背を向けた。

 いったい皇子にどういう意図があったのかはもう永久に分からない。本当に色恋に狂っただけなのか、それとも何らかの政治的意図の為に無関係の少女を利用しようとしたのか。

 いずれにせよ虚空を眺めながらけらけらと笑う件の少女、この恐るべき状況に直面して哀れにも狂を発してしまったメイン嬢を切り捨てる気はスパルティア姫にも湧いてこなかったのである。



「皇軍だ、皇軍が来たぞ!」


「早くあのイカレ女をどうにかしてくれ!」



 そうこうしている間に、ようやく通報を受けた皇軍の兵達がパーティ会場に到着したようである。兵の質はともかく量においてはサツマール王国のそれを大きく凌駕する。四方の逃げ道を完全に包囲された以上、もう姫が生き延びる道は完全に閉ざされた。

 もっとも姫は最初に皇子を斬り終えた時点で死の覚悟を済ませており、逃げるつもりなど毛頭なかったわけなのだが。しかし、ここにきて彼女にも僅かながら嬉しい誤算が生じる。



「姫様、どうか臣を黄泉路への供となされませい」


「国許への報せは既に走らせております。このまま姫様一人を死なせたとあらば末代までの恥。どうか共に死なせてくだされ」



 パーティには大使を始めとしたサツマール王国の重鎮も数多く出席していた。

 そして彼らは姫が皇子を斬るに至った顛末の一部始終を見届けているのである。



「皆の忠義、このスパルティア確かに受け取りました。ここを我らの死地としましょう」


「おお、ありがたき幸せ!」



 こうして僅かながら手勢を得たスパルティア姫とその臣下一同は、瞬く間にパーティ会場であった建物を完全に占拠。四方八方から無数の矢を射かけられ、建物ごと燃やされてもなお臆することなく最後の一人に至るまで堂々と戦い抜いた。


 スパルティア姫の最期は無数の矢や槍に身体を貫かれつつも、決して地に膝をつくことがない見事なる立ち往生であったという――。





 ◆◆◆





 が、これで話が終わるはずがない。

 むしろ本番はここからである。


 皇国、王国ともに王族を無惨に殺されたのだ。

 両国の出席者から、その際の様子は詳細に伝わっていた。

 元はと言えば皇子の一方的な婚約破棄が原因である。それ自体は皇国側も認めざるを得ないが、だからといっていきなり首を斬るとは何事か。

 ましてや皇子のみならず大勢の兵や国家の重鎮、大臣職を務める者を含む大勢が殺害され、あるいはマシな者でも手や足や目を失うなどして再起不能に陥ったのだ。

 これは、いくらなんでもやりすぎである。

 もしや婚約自体が皇国の重要人物を一網打尽にするための卑劣な策略だったのでは。ここまでいくと明らかに無理があるが、アリガーチ皇国ではそういった論説が広く支持を集め、打倒王国との声が急速に高まっていたのである。


 

 もちろんサツマール王国も黙ってはいない。

 なにしろ公衆の面前で王族が一方的に侮辱されたのである。

 亡きスパルティア姫が考えた通り、あの状況で「斬らぬ」という選択肢はあり得ない。他国の常識ではどうあれ、王国においてはそれが当然の考え方だったのだ。

 特に愛娘を失った国王、妹を可愛がっていた兄王子達の怒りは尋常なものではなかった。瞬く間に打倒皇国との方向に世論が傾き始めたのである。



 だが、話は両国だけで済むものではない。

 なにしろ皇国王国ともに大陸で一、二を争うほどの大国家。

 当然ながら友好国や属国の数も一つや二つではない。


 どちらか一方とだけ仲良くしているならまだマシだが、双方と友好的に付き合っていた国々からしたら堪ったものではない。「攻め滅ぼされたくなければこっちの味方をしろ」と二大国の両方からいっぺんに言われたも同然なのだ。

 大陸中の国々でどちらの味方に付くか、あるいは第三陣営として漁夫の利を狙うのか、などといった議論が盛んに交わされ大混乱に陥った。



 そして、いよいよ開戦に至る。

 後の世に「婚約破棄大戦」として語られる戦いの始まりであった。



「死にさらせやボケェ!」


「いてもうたるぞカスがぁ!」



 激戦に次ぐ激戦。

 両陣営の死傷者の数は瞬く間に万に達し、更に留まるどころか増える一方。

 戦場となった土地は荒らされ、治安は悪化の一途を辿る。


 無尽蔵とすら思われた皇国の富も数年が経過する頃には財政が火の車と化し、数多くの達人・剣豪が属していた王国も有能な武人の半数以上を失った。


 だが、それでも戦争は終わらない。

 富と資源をひたすらに浪費して死体の山を積み上げるばかり。

 やがて皇子と姫を直接知る者が年老いて誰一人いなくなっても、まだ終わらない。


 ここまで来ると最初のキッカケなど関係ない。

 親を殺された。だから殺す。

 子を殺された。だから殺す。

 兄弟を、姉妹を、友を殺された。だから殺す。

 なにしろ敵を恨む理由など、今やいくらでもあるのだ。


 殺して、殺して、殺して。

 殺されて、殺されて、殺されて。

 ひたすらに繰り返したそれがようやく止まったのは、開戦から実に二百年以上が経った頃――――。





 ◆◆◆





「――ってのが、この戦争のキッカケだったんだってさ。小隊長の受け売りだけど」



 ある戦場に掘られた無数の塹壕のうちのひとつである。

 痩せた少年と赤毛にそばかすの少女が話していた。

 年齢はどちらとも十五前後といったところ。

 顔や服の泥汚れと傍らに置かれた円匙シャベルからして、今はこの塹壕を掘り終えた後の自主的な休憩時間といったところだろうか。つまりはサボり。

 上役の小隊長に見つかったらゲンコツを喰らうこと確定であるが、適度に手を抜くのが戦場で長く生きるコツだというのが部隊の古参兵からのありがたい教えである。


 で、自主的なサボタージュに励んでいる少年少女の会話である。

 本日の話題はどうやら、彼らがやっている戦争のキッカケであるようだ。



「はぁ? 何それ、頭おかしい奴しかいないの?」


「俺に言ったってしょうがないだろ!」



 どうやら少年が上司から聞かされた歴史の話を少女に披露したらしい。

 その感想は上述の通り。当時の人々にはそれなりの事情や考えがあったのかもしれないが、後世から振り返ったらどいつもこいつも頭がどうかしているとしか思えない。まあ、珍しくもない話である。



「でも、まあ、それもようやく終わりそうって話だろ? もう二か月も銃声を聞いてないし。えっと、和平条約? ……が、どうとかで」


「いや、それでぬか喜びして結局ガッカリってオチ、古参兵のおじさんの話でも二度や三度じゃないって言ってたじゃないの」


「今度こそは本当かもしれないだろ」



 この二百年ほどで戦場の様相もすっかり変わった。

 戦場の主役は華々しく馬を駆る騎士から、泥に塗れて銃を構える兵隊に。

 剣や弓も過去の遺物へ。銃の撃ち合い、爆弾の落とし合いが主流の今となっては見向きもされない骨董品である。



「……なあ、もし、本当に戦争が終わったら何したい?」


「次の話題はそれ? ま、いいけど。うーん……とはいっても、戦争がない世界っていうのがピンと来ないっていうか。あ、美味しい物食べたい。缶詰じゃないやつ」


「分かる。それは俺も食いたい。そうだな、でっかいステーキがいいな。この靴の底より分厚いやつ」


「いいわね。そんなの食べたことないけど」


「俺だってねぇよ。でも言うだけならタダだろ?」



 少年少女の話題はまた他に移った様子。

 自分達の親の親のそのまた親の……もう何代前からかも分からない先祖の時代からずっと戦争が当たり前だった二人にとって、戦争がない世界というものはどうにも想像しにくいものであるようだ。


 が、想像が追いつこうが追いつくまいが歴史は進む。

 


『小隊各員に通達! 和平条約が締結された。繰り返す、和平条約が締結された! 戦争は終わりだ、みんな生きて故郷に帰れるぞ! 繰り返す――』



 定時連絡用の無線機から、そんな声が発せられたのである。

 ノイズ混じりではあるが、いつも怒鳴られている小隊長の声を聞き間違えるはずもない。ましてや頑固一徹で知られる鬼の小隊長が、こんな嘘を無線で流すはずもない。



「うわ、本当に終わったよ……」


「嘘から出た真ってやつ? 全然実感ないけど」



 本来なら飛び上がって喜ぶべき場面なのかもしれないが、戦争が終わったとしてどうしたらいいのかさっぱり分からない。少年も少女も徴兵によって半ば強制的に故郷から連れて来られた身であるが、少なくとも軍隊にいれば食事にだけはありつけた。


 それが戦争が終わったらどうなってしまうのか。

 希望すれば軍に残ることはできるのか。

 それが無理ならどうやって食っていこう。


 せっかく平和になったのに真っ先に頭をよぎるのは現実的な悩みばかり。

 これが多少なりとも裕福な家の出なら素直に明るい未来を喜べるのかもしれないが、生憎と二人とも揃って天涯孤独の貧乏人。今の時代では特に珍しいものでもないが。満足に食べられるようになったのも、少なくとも物心ついてからは兵隊になってからである。



「ま、今ここで悩んでも無駄に腹が空くだけだ。違うか?」


「仰る通り。たまには良いこと言うじゃない」



 そんな悩みも長くは続かない。少なくとも、いきなり頭蓋骨をライフル弾で吹っ飛ばされる心配をしなくて済むようになるなら上々だ。


 二人のお喋りはまだまだ続く。

 無線の声は所定位置への集合を呼び掛けているが、距離的にはもう少しくらい休んでからでも大丈夫そうだ。



「しっかし、二百何十年だっけ? これだけ長いこと意味もなく殺したり殺されたりして、ホント呆れるわ。さっきの話のボンクラ皇子だっけ? そいつも血の気が多いお姫様も、まさかそんなつもりじゃあなかったんでしょうけど」


「……いや、だけどさ、無意味とはちょっと違うかもよ。そりゃあ、まあ馬鹿だなぁとは思うけど」



 何の意味もない戦争。

 そんな少女の言葉に少年が否を唱えた。


 愚かではあっても無意味ではない。

 その心は?



「えっと、その、だな……お前に会えた」


「え」



 予想外の答えに少女はポカンと口を開けて固まるばかり。対する少年は一世一代の告白に出たことで、戦闘糧食のトマト缶よりも顔を真っ赤に染めている。



「だから! 兵隊になってなかったら国の反対側に住んでた貧乏人同士、どう考えたって絶対一生会わずに終わってただろ? それが会えただけでも意味はあったって言ってんの!」


「それは、まあ、うん。はい」



 終戦となれば、再び離れ離れになって二度と会えなくなるかもしれない。

 その焦りが少年をこのように慌ただしい告白へと駆り立てたのだろう。



「左手、出して」


「ええと……こう?」


「ん。ちょっと目を瞑ってて」



 一方の少女は未だ状況に思考の整理が追いつかないながらも、とりあえず少年の言う通りに左手を差し出して目を閉じる。すると、何やらゴソゴソという音の後で、左の薬指に輪っか状の感触が。



「もう目開けていい?」


「ああ」


「何これ、丸めた針金?」


「ああ」


「ええと、一応確認しておくんだけど、もしかして結婚指輪のつもり?」


「ああ……うわ、今になってすっごく恥ずかしくなってきた!? やっぱ、いくら間に合わせだからって針金はなかった! やっぱ今のなし、返して! いや、告白は嘘じゃないんだけど……」



 勢いで随分と恰好悪いことをしてしまったと早くも後悔した少年は、針金のリングを取り返そうと少女の左手に手を伸ばすも……ひょい、と避けられてしまう。



「えへ。やだ、返さない」


「え、それはつまりオーケーってことで……それは嬉しいけど! でも、やっぱ我ながら針金はないわ。そのうち金貯めてちゃんとした指輪買うから、それはやっぱなかったことに!」


「やだよ、これがいいの。えへへ」



 ドレスではなく泥に塗れた軍服で。

 宝石どころか針金を丸めただけの粗末な指輪。

 けれども少女の笑顔は、遥か昔、大戦争のキッカケとなったパーティ会場にいた誰よりも輝いていた。

 

 これが長く続いた大戦の最後の最後に見いだされた小さな意味。

 婚約破棄大戦の終わり。



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