おそろい

仁城 琳

おそろい

ピンク色のペンケース。今朝、家に置いてきたそれを机に置いているあの子に声を掛けた。クラス中に聞こえるように。

「あっ!それ、昨日発売の『ふれんず』九月号の付録だよね!夕有姫、もう買ってもらったんだ?いいなー!」

「うん、発売日当日に買うのなんて当然じゃん。」

私の声に反応したようにクラスメイトたちも寄ってきて口々に、かわいい、いいな、と話し始める。

「ね!ほんとかわいいよね!私も早く欲しいなぁ。」

笑顔の夕有姫の目が笑顔のまま私を睨む。

「まぁでも一番似合うのは夕有姫だから!夕有姫が持つのが一番いいよ!ね!」

クラスメイト全員に言うようにあえて大きな声で言う。クラスメイトたちも、分かる!夕有姫ちゃんが持つのがいいよ!と口にする

「ふん。そうかなー?」

そう、それでいいの。と言いだげな夕有姫の目を見て私は今回も正しく役割を果たせたことに安堵した。

私と夕有姫が出会ったのは幼稚園の頃。私たちは所謂幼なじみというものだ。きっかけは思い出せないけど家も近かった私たちは一番の友達になっていた。

「はるきちゃん、あのね。ゆうきの名前ね、姫って字が付いてるの。ゆうき、お姫様なんだよ。」

「えっ!そうなの?あのね!はるきの名前にも姫が入ってるんだよ。はるきはママとパパのお姫様って!」

「ほんとに?じゃあおそろいだね!ゆうきとはるきちゃんはお姫様。」

「うん!」

こんな会話をしてからより一層仲良くなった気がする。幼稚園卒園後、違う小学校に行く子も多かったけど私たちは同じ小学校に入学した。

小学校に入学してもしばらくは変わらない関係だった。夕有姫があんな事言い出すまでは。

「ねぇ、今度からはるって呼んでいい?」

「えっ?なんで?」

「なんでって。名前、被ってるの嫌なんだよね。」

「え…。」

「姫。夕有姫と波留姫って、被ってるじゃん。嫌だから。みんなにもはるって呼んでもらいなよ。」

一番の友達。だけど何となく変わっていくのは感じていた。例えばクラスメイトの反応。私が提案してもみんな、これもいい、あっちもいい、と別の意見を出すのに夕有姫が提案するとみんなそうしようと同意する。夕有姫はクラスの中心人物、名前の通り「姫」になっていた。

「で、でもさ、そんなの私だってちゃんと名前で呼ばれたいし…!」

「何?」

睨まれるとそれ以上何も言えない。本当に対等だった頃には、幼稚園の頃には無かった「いじめ」。今私達の「姫」である夕有姫に逆らえばどうなるのか。幼い頃は考えもしなかった可能性に全身を絡み取られて私は身動きが出来なかった。

「…分かった。」

その後、夕有姫はクラスメイトに、私、波留姫の事はるって呼ぶ、と宣言し私はみんなにはると呼ばれるようになった。この瞬間から私たちは二人のお姫様じゃなくてお姫様とお姫様を引き立てるお付きの者になった。夕有姫が求める言葉を発し、クラスが夕有姫の思い通りになるように。それが私の役割になった。

夕有姫は昔からわがままな所があった。それでもそのわがままが私に向かうことはあまりないし気にならなかった。精々食べているお菓子が羨ましいから自分も欲しい、とかその程度。小さなお姫様の可愛いわがままだった。しかしそれは徐々にエスカレートしていった。先生の言う事も納得出来ないと徹底的に反抗する。夕有姫は所謂問題児という子供になっていた。そして、中でも「誰かと同じ」を極端に嫌がった。お姫様と同じなんて頭が高い、そう言いたげな様子だった。雑誌の付録もそう。他の子だって可愛い付録は使いたい。私だって正直そうだった。どうしても使いたいとこっそりボールペンを持ってきて使っていた陽菜ちゃんは、見つけたクラスメイトが夕有姫に言ったせいでいじめのターゲットになった。ボールペンもペンケースも、クラスメイトも名前さえも、全部、全部、全部全部全部、夕有姫のものだった。

夕食を食べ終わり、リビングで『ふれんず』を読んでいるとママに声を掛けられた。

「波留姫、あのペンケース気に入ってるのに学校で使わないの?」

「あ、ママ…。」

幼なじみの私達は家族ぐるみで仲良くしていた。ママはもちろん夕有姫のことを知っている。だけど夕有姫がクラスのお姫様な事は知らない。なんとなくママにも夕有姫を悪く言ってはいけない気がして私は本当のことを言えなかった。

「うん…その、気に入ってるからさ!汚れたり無くしたら嫌だもん。おうちで使うんだ。」

「そっか。本当に気に入ってるのね。」

「うん!買ってくれてありがと、ママ。」

ママは納得したように微笑んで頷くと、私の頭を撫でてからキッチンに戻り洗い物を始めた。本当は持っていきたいんだよ。あのね、夕有姫ちゃんが被るのが嫌だからってみんなに使わせてくれないんだよ。全部言ってしまいたかった。学校にいないのに私はお姫様の絶対王政に逆らえなかった。

「来月の付録は…願い事が叶うペン…?」

来月の雑誌の広告のページ。「書くと願い事が叶っちゃう!?魔法のペンだよ♡」の文字。

「書くだけで願い事が叶うペン…か。流石にないでしょ。」

そう口に出しながらも私は何を書いてみよう、なんて考えてしまっていた。

十月号の発売日、やっぱり夕有姫はあのペンを持っていた。今回も学校でも使えそうにない。

「あっ!十月号の付録のペンだ!それかわいいよねー!でもほんとに願い事なんて叶うのかな?夕有姫はお願いしたいことある?」

「うーん。好きな子と付き合う、とか?」

「好きな子?」

誰?そもそも好きな子がいるなんて知らない。聞いたこと無かった。一番の友達なら教えてほしかった、と考えたところで自分が思った以上にショックを受けていることに気付いた。そしてもう夕有姫の中ではきっと私は自分の都合のいいように学校生活を送るために必要な道具程度にしか思っていないんだと分かった。それが耐え難いくらいに悲しかった。

「えっ、好きな子、いるの?…誰?」

「言わない。」

「教えてよ。」

「なんではるに言わなきゃいけないわけ?」

「だって。」

友達でしょ。続きは言えなかった。夕有姫の口からはっきりと友達じゃないと言われてしまうのが怖かった。聞かなければ、そうかもしれない、で終われる。もう一番の友達じゃないのかもしれない。これは私の予想でしかない。なのに。

「…はぁ。あのさ、はっきり言うけど。」

聞きたくない。

「あんたは友達と思ってるかもしれないけど違うから。対等だって思ってる?違うから。」

何かが崩れていく音がした。

「漢字被ってるの、本当に気に入らない。名前変えて欲しいくらい。」

やめて。

「ほんとはあんたの事なんか嫌い。一応幼なじみだから近くにいさせてやってるの。感謝しなよ。」

悲しみが、怒りに変わるのを感じた。

家に帰ってノートを開く。願い事が叶うペンを握る。

「ほんとはあんたの事なんか嫌い。」

夕有姫の言葉が頭の中で反響する。夕有姫なんていなくなればいいのに。そうだ、夕有姫がいなくなればみんな自由になる。独り占めにするやつはいなくなる。付録も。名前も。私は願いを込めてノートに書く。一文字一文字、念を込めて。

「夕有姫がいなくなりますように。」

夕有姫がいなくなったらみんなで付録を使おう。陽菜ちゃんも。みんなでお揃いだね、可愛いねって。私の事も、はるじゃなくて波留姫って、ちゃんと呼んでもらおう。呼吸が荒くなる。夕有姫がいない世界。なんて素敵なんだろう。

だんだん落ち着いてきた私はとんでもない事をしてしまったのではないだろうかと思い始めた。だけど願い事が叶っちゃうペン、なんてどうせ冗談だ。何人かは叶うのかもしれないけどそれはきっと偶然。このペンで書いていなくたってそれは現実になっていたのだ。でもペンで願い事を書いたから叶った、と思い込むだけ。わたしはノートを閉じてベッドに入った。

翌朝。教室に夕有姫の姿はなかった。背中がゾクリとする。私が書いたから…。まさか、そんな事があるわけが無い。朝の会が始まる時間になっても夕有姫は来なかった。

「はーい、席に着いて。おはようございます。」

「おはようございまーす!」

先生が教室に入ってきてみんな席に着く。

「今日は白石さんはお休みです。風邪ですって。最近寒くなったからね、皆さんも気をつけるのよ。」

はーい、と返事をするクラスメイトの声を聞きながら安堵する。なんだ風邪か。夕有姫はいなくなったわけじゃない。やっぱり願いが叶うなんて冗談なんだ。…何故か胸がざわつく。風邪で休みなだけでしょ。明日になったらいつも通り。なのにどうして。

「齋藤さん、ちょっといいかしら。」

帰ろうとランドセルを肩にかけた時だった。担任に声を掛けられる。

「先生?どうしたんですか?」

「齋藤さんって白石さんとご近所さんでしょ?これ、宿題のプリントなんだけど届けてもらえないかな?」

「え…。」

正直に言うと行きたくなかった。昨日はっきりと嫌いだと言われたのだ。行きたくない。だけど担任から見れば私と夕有姫は仲良しな友達でしかも家も近い。配達を頼むには最適な人選だった。

「分かり…ました。」

「そう。ありがとうね、齋藤さん。じゃあこれ、プリント。よろしくお願いしますね。」

夕有姫の家の前。何度も押したインターホンに触れるのが怖い。もう友達の家じゃないんだ。そんなことを考えてしまう。だけどここでじっとしているわけにはいかないし、なにより夕有姫のために時間なんて使いたくなかった。早く家に帰りたかった。夕有姫が出てきませんように。祈りながらインターホンを押した。

「…はい。」

マイク越しに聞こえる声は夕有姫のお母さんだ。夕有姫は風邪なのだからよく考えれば出てくるはずがない。杞憂だったようだ。

「波留姫です。あの、学校からプリント預かってきたから…。」

「は、波留姫ちゃん…?あ、あぁ、ありがとうね。えっと、じゃあ、郵便受けに入れて置いてくれる…?」

「えっと?」

夕有姫のお母さんは夕有姫とは違って大人しく気の弱そうな人だ。だけどこんなにオドオドした話し方をする人だっただろうか。

「おばさん?」

「え…。え?ど、どうしたの…?」

「いや、あの…。おばさん、どうかした?」

「え!?な、なにが?どうもしてないよ。」

「そう…ですか?あの、夕有姫は、風邪大丈夫ですか?」

「ゆ、夕有姫!?だ、大丈夫よ、大丈夫…大丈夫…。」

「そ、そうですか。その、お大事に。」

おばさんの様子が気になったが、プリントを郵便受けに入れて家に帰る。友達じゃないって、嫌いとまで言ったやつの心配なんて必要ない。

翌朝。

「波留姫!大変!」

ママが部屋に入ってくる。

「…ママ?おはよ…。急に入ってこないでよ…。」

「ごっ、ごめんね。それより!夕有姫ちゃんが大変で!」

「…夕有姫?」

「その、落ち着いて聞いてね。夕有姫ちゃんが亡くなったかもしれないって。」

「え。」

夕有姫が亡くなった…?どういう事だろう。気が付くと救急車やパトカーの音がする。意味が分からず固まる私を、ショックを受けたと思ったのかママが抱きしめて背中をさすってくれる。大丈夫、大丈夫だからね。ママがいるからね。と何度も言うママの声は震えていた。

夕有姫は夕有姫のお母さんに殺されたらしい。詳しいことはよく分からなかった、というか教えてもらえなかったけど。ニュースでは小学生の女児が母親に殺された。虐待か。と夕有姫の話題で持ちきりだ。

「母親は娘のわがままに疲れたと供述しているようですね。」

「わがままって言っても…小学生でしょう。可愛い娘なのに酷い母親だなぁ。愛情がないんだ。」

「酷いって言うけどね、娘だからなんでも可愛いって、そりゃそうかもしれないけどねぇ、母親だからこそ抱え込みすぎて耐えられなくなる事もあるのよ!容疑者の母親ばかり責められているけど父親は何してたのよ!ねぇ?」

「周りに相談する人はいなかったのでしょうか。」

「父親は仕事で家を空けがちだったようだし母親は孤独だったんだろうね。現代社会の闇だ。」

テレビの中の人たちは好き勝手言う。夕有姫は大好きなお母さんに殺された可哀想な少女だ。学校でも問題児、夕有姫のお母さんは幾度ともなく呼び出され、意地でも謝らない夕有姫の代わりに頭を下げていた。夕有姫って学校だけじゃなくて家でもお姫様だったんだ。夕有姫のお母さんも耐えられなくなったんだろう。私のように。見ていたテレビの電源をママが落とす。

「私が…私がもっと連絡を取りあっていれば…。夕有姫ちゃんも、夕有姫ちゃんのお母さんも、こんな風にならなかったのかもしれないのに…私が…。」

私を抱きしめて涙を流すママを私ごとパパが抱きしめた。ママは夕有姫ちゃんが亡くなったと分かった時からこんな調子だ。パパはママと、多分私の事も心配して数日は仕事を休むようだ。私が夕有姫の家にプリントを届けた時、すでに夕有姫は殺されてしまっていたようだ。担任は家に謝りに来た。何か嫌なものを私が見てしまってはいないかと、自分が届ければよかったのに私にトラウマを植え付けてしまったかもしれないと。こちらが申し訳なくなるくらいに謝っていた。その事もあってパパは私をすごく心配している。

「ママのせいじゃないさ。残念な事だけど、どうしようもなかったんだ。波留姫も、つらいよな。大丈夫だぞ。しばらくはパパも一緒だからな。」

パパの大きな手が私の頭を撫でる。そっか。本当に。本当に夕有姫はいなくなったんだ。

「あのペン、本当に願い事を叶えてくれるんだ…!」

小声だったからかママとパパには聞こえていない。消えてくれたのはいいけど、ママをこんなに泣かせた事、パパに心配させてる事、あとついでに先生もあんなに謝らされた事。それは許せない。消えるなら存在も、元から無かったことになればよかったのに。それもお願いすればよかったかな。あれの事、覚えているのも腹が立つ。ちゃんと考えてお願い書けばよかった。学校はしばらく休みらしい。学校が始まったらあのピンクのペンケース、持ってこうかな。あ、そういえば来月はノートが付録らしい。それも使いたいな!みんなでお揃いにできるし最高!あー楽しみ!お願い叶えてくれてありがとう、魔法のペン!


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