第17話 六月から続く雨

「……高井さん、その、大丈夫?」

 感想戦もそこそこに終えた僕は、隅っこの席で座っていた一年生ふたりのもとに駆け寄る。先に対局が終わっていた長谷川君が高井さんをフォローしてくれていたみたいで、僕はひとまずホッと胸を撫で下ろした。


「あ、麦田さん。……大丈夫ですよ。これで連敗も止まりましたし。次も、勝ちます」

 は、いいけど、空元気だこれ。大丈夫なわけがない。表情に力が入っていないし、何より、眼鏡の奥の瞳は今にも泣きだしそうだ。


 今日の練習対局会は、高井さんにとってある意味これまでの努力の成果を確認する機会だった。実際、彼女は目まぐるしいスピードで僕の教えたことを吸収していったし、強くなった。


 お世辞抜きに、こういう練習対局会に出ても、二勝四敗くらいはできるんじゃないかって僕は考えていた。うまくいけば、指し分けの三勝三敗。

 それが午前で三連敗の、四局目は不戦勝。こんなの、実質四連敗みたいなものだ。

 自分の努力が間違っていたんじゃないかって、思ってしまっても不思議じゃない。ましてや「負けたくない」という気持ちが誰よりも強い高井さんだ。普通に負けるよりも、メンタルに来るものは激しくても不思議じゃない。


 何か、何か言わなきゃ……!


「五回戦の組み合わせを発表します。一番席、小樽商業谷口やぐちさん、札幌豊園麦田さん」

 しかし、あっという間に五回戦の手合いはつけられていて、僕は何も高井さんに言ってあげられることができなかった。


 その後、僕は五回戦を混戦の末落とし、六回戦は勝利で終え、五勝一敗でフィニッシュした。長谷川君は比較的強い人と当たった午後を一勝二敗で凌ぎ、指し分けでゴール。そして、高井さんはその後も指し手に精彩を欠いたのか、五回戦六回戦も落とし、一勝五敗で終了。不戦勝の一勝があり、総合最下位は免れたけども、帰り道の高井さんの表情は終始沈み切っていた。


 開始前、高井さんを挑発した吉原さんは、棋力の成長を見せつけ四勝二敗の好成績。これだけやれても団体戦のメンバーに入れるかどうか怪しいのだから、札教大札幌は恐ろしい選手層だ。


 不戦勝の件も知っているからか、終了後も結果の紙と高井さんの顔を見比べては、心底面白くなさそうにため息をつきながら帰っていく吉原さんの姿が、印象的だった。


「あっ、歩夢。ほら、帰りに何か甘いもの食べて帰ろう? 大通寄ってさ、オーロラタウンで、アイスとか、クレープとかっ。一日中考えて頭疲れたしさ?」

「……そんな気分じゃないよ」

「俺が食べたい気分なの。休みの日に制服で男がぼっちでデザート食べてたら痛い奴になるじゃん、付き合えって」


 市立札幌高から最寄りの地下鉄駅までの道のり、長谷川君がそんなふうにしてなんとか高井さんを励まそうとしてくれていた。

 僕は僕とて、どんなふうに今日の高井さんの将棋を総括してあげればいいかわからないでいると、ふとポケットに入れていたスマホがブルブルと着信を知らせた。


「……春来さん? ごめん、ちょっと電話出るね──もしもし、麦田です、どうかしましたか?」

 春来さんから電話がかかってくるなんて珍しい。緊急のバイトに関する連絡くらいでしか、電話しないから。


「……翔ちゃん。やっぱり、ダメかもしれない」

「え? な、何がダメなんですか……?」

 電話口から聞こえてきたのは、神妙な様子で話す春来さんの声。確か、春来さんは今日研修会だったはず……。


「久美。今日の例会も連敗してね。Bがついたの。……今、裏で泣いてる」

「……は? な、泣いてる……?」

 Bがつくとは、わかりやすく言えば降級にリーチがかかること。直近十局で二勝八敗の成績となるとBがつき、もう一度Bの成績を取ると、降級となる。そんなことより。


 あの久美が、泣いている?


「……六月末と今回の例会で八連敗。確かにここ最近の久美、例会で調子が上がらないこともあったけど、こんなにひどくなることはなかった」

「は、八連敗……? じょ、冗談か何かじゃ」

「……六月入ってから、おかしいんだよ。本来の将棋をできてない。久美なら刺し切れる攻めも失敗して、逆転される。そんな将棋ばっかり」


 六月、って。僕が団体戦を辞めるからってみんなに伝えた時期じゃないか。

 そこで僕は薄々、春来さんが言いたいことを察した。どうして、このタイミングで春来さんがわざわざ電話でこのことを教えてくれたのかも。


「……じゃあ、僕にどうしろって言うんですか。僕だって、正直今は久美だけに構っていられないんです。久美だったら、これくらい乗り越えられるんじゃ──」

 だからこそ適切ではないとわかっていても、あえて僕は春来さんに強い口調で話してしまう。


「──うん。本来なら、久美が自分でどうにかすべき問題。もう高校生なんだから、ある程度の物事の分別はつけないといけないのは翔ちゃんの言う通り。でも、言ったでしょ? 翔ちゃんが思っている以上に、久美は脆いって」

「……無理ですよ。今の僕に、久美を助けることなんて」


「とにかく。落ち着いたら私と久美で話すから。さすがに今の状態で翔ちゃんと会わせても、いい方向に向かうとは思えないし。でも、近いうちに時間ちょうだい。ゆっくり、話したいし」

 有無を言わせない春来さんの大人としての対応に、僕は何も返すことはできず、ただ「わかりました」とだけ答え、通話を終えた。


「む、麦田先輩、どうしたんですか、電話……」

 まあまあな剣幕で僕が話していたものだから、後ろから様子を見ていた長谷川君は恐る恐るといったふうに僕に尋ねてくる。


「……大したことじゃないよ。気にしないで。ごめんね、ちょっと大きな声出して」

「いっ、いえ。先輩たちにも、色々ありますもんね……」

「あれ、っていうか、高井さんは?」

 ふと周りを見渡すとさっきまで長谷川君と一緒にいたはずの高井さんの姿がどこにもいない。


「……歩夢なら、さっさと地下鉄の駅に帰っていっちゃいました。すみません、俺、何の役にも立てなくて……。一応、あいつの幼馴染なのに」

 やるせない表情で長谷川君は下を向いてしまっている。


「全道大会のときだって、歩夢の手を取らないといけないのは俺だったのに、何もできないで」

「そんなことない。そんなことないから。僕に比べたら、全然、長谷川君は頑張ってる。みんな、やるべきことはやっているんだ。足りてないのは、僕のほうだから、そんな、気にしなくても」


 男ふたり、しんみりとした面持ちのまま駅に着いては、六両編成の地下鉄に乗り込んだ。ほぼ会話が生まれないこの時間が、僕にとっては嫌に長く感じてしまえた。


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