勃たたたん

西村たとえ

第1話

 圧倒的な差がついてしまった。

 目の前に、カプチーノの入ったカップが二つ並んでいる。なみなみと注がれた茶色い表面に、何やら描かれているのだが、それが文字であるか絵であるかということすら、理解しかねている。

 顔をあげる。気づかれないように、それとは別の方向への視線を向ける。いま、カウンターにいる女二人は、カプチーノ二つと注文した。何やらピースサインのようで、腹が立ってくる。

 どうかしている。店も客もどうかしている。出来上がるまでに、かなり時間がかかるのに。そうして、甲高い声が、商品の提供のタイミングを知らせる。これが、一つ八百円するのだ。もちろん、目の前にあるのは、おれが買ったものではない。おれなら、隣のメニューにあった豆乳ラテを選ぶ。すぐそばで市販の豆乳パックが傾けられるのさえ許せないが、カプチーノよりは数倍マシだ。だから、大丈夫。そもそも、豆乳ラテなら、なぜか四百八十円で済む。居場所代金込みと考えても、ここで払えるのはその程度だ。

 それなのに、この女は。

 いま、足を前に投げ出して、右足を左足に乗り上げた、その先端が、おれの脛ににあたっている。それなのに、この女はどうでもいい話をするのをやめない。

 また飼っている犬の話をしている。いかに毛並みが豪快である反面、こころが繊細であるかをおれに説いている。いっそのこと、その勢いで唾でも飛ばせばいい。テーブルに置いてあるおまえのカプチーノにそれが入るのを、おれは見守ってやるからな。無事に入ったら、おまえの相槌を打つふりをして、ほくそ笑んでやる。そうすることによって、こいつがこの店で映えているのを、精一杯許したいと思う。

 また、脛にあたった。

 今ので、二回目だ。おまえ、正気か。

 もしかして気づいていないのか?

 あるいは、本気でおまえの話に出てくる犬の毛並みの無意味さが、このやるせない間を絶妙に埋めると思っているのか?

 目の前の女は、インターン生として、某大手企業に高給をもらって働いている。実力だけではなく、この精巧な、どこかアンドロイドのような顔の造形がそうさせるのだろう、とおれは勝手に思っている。

 結局、気が付いたら綺麗にくりぬかれていたという態度の目のくぼみや、いい塩梅で削られた身体の曲線に対して、素直に受け入れてそれを活かすべきであるということを、美人の者は成長とともにみな心得ていくのだろう。

 だって、この女は昔、もっと野暮ったい格好をしていた。いなかの芋学生の中でも、もっとも芋学生らしかった。明らかにサイズの違った洋服を平気で着ていたし、ボーダーシャツの上からボーダーのパーカーを着ていたくらいダサかった。そんなやつだった。それなのに。

 さっき、カウンターでいわれた「私のほうが稼いでるんだから」という言葉の飛び道具が、ずっとおれを苛立たせている。そういって、さっと女は支払いを済ましてしまった。

 一瞬、悔しい、と思った。その直後に、ものすごく、興奮してしまったのだ。

 自分の息遣いの色合いが変化したようで、空気に自分の息が溶けていく様子がみえるようだった。いよいよ勃起するかと思ったが、どうやらそこまではないようだった。

 まぁ、どうせ、お生まれがそもそも違うのだから、あんまり嫉妬しても仕方がない。容姿にも圧倒的に差があるけれど、家柄だって段違いだ。この人は、生まれながらのエリートだからな。どうせおれは下流に生まれただけあって、これからも荒野を這って生きるんだ。なに、仕方のないことだ。

 こんな店に入るのだって、ほんとは躊躇するし。ずっとこいつの陰に隠れていたいくらいだ。でも、一緒にいるのは、それはそれで恥ずかしい。だって、さっきから、店内の客は男女問わずこちらを見ている。

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