テセウスの愛情
うみしとり
第1話
昼休みの教室は少し騒がしい。
お弁当の匂いが入り混じった空気にふわふわと埃が舞っている。4月になったばかりだから少し温かくて、午後の授業では眠気と戦うことになることが高確率で予想されるからこの季節はそんなに好きじゃない。
暑ければ暑い方がいいし、寒ければ寒い方が心地いい。宙ぶらりんで放り出されるような感じがするから中途半端ってのが一番嫌いで、しかも寝てしまった責任は春じゃなくて私に帰されてしまうのだ。春は無責任だ。すぐに私を捨て去って、夏に押し込めてしまう。
一つだけ評価する点があるなら、桜が綺麗な事だろう。桜は咲くときに咲いて、散る時に散る……その潔さは人間として見習いたいものだ。幼稚園児の時に「将来何になりたい」と題された絵画コンクールで桜の花を一面に描いたことをよく覚えている……。
私はそんな春うららまっさかりの青春の隅っこで、友達二人と一緒に昼食を取っていた。
「
目の前に座った笹島冷夏が腕まくりした手でまっすぐ私に箸を向けた。
非常に行儀がよろしくない。そんなんじゃお嫁にいけないぞとおじさんの小言めいたコメントを脳内で抹消する。
保険というのは例の「生命保険」だろう。突然の事故なんかにあっても生き返ることができる夢のサービス。高度な医療技術を有する定瀬市だから可能な、地域限定の試験導入。
自治体と企業が一体になってテレビで繰り返し広告され、その効果が実証されるにつきユーザー数は9割を超えていた。
誰だって死にたくないのだ。
さて残りの偏屈な1割は誰か。それは私のような人だ。
「……いやちょっとさ、なんか怪しくて」
「入った方がいいよ。渚先も聞いたでしょ、あの噂」
彼女は卵焼きを口に放り込んで言った。
隣に座った
「聞いたよ……ひどい話」
「なにかあったの?」
「ここだけの話なんだけど、隣のクラスに最近休んでる奴居るじゃん?」
首を縦に振る。名前は憶えていないけれど、体調不良とかで長いこと休んでいる人がいるのを知っていた冷夏が口に手を当てて声を潜める。
「あの子、ほんとはジサツしたらしいよ」
ぴりり、と少し緊張感が走る。交遊がないとはいえ近しい人間にそうした事が起こっているのは心に引っかかるものがある。
そして私の口から出てくるのは、ありきたりな質問文だ。
「……どうして?」
「知らない。人が死にたくなる理由なんて山ほどあるでしょ。きっとそのうちのどれか」
大雑把な回答に私はため息をつき、彼女の目を見つめて話しの続きを促す。
おそらく彼女が話したがっている根幹はその個人にまつわるエピソードとは無縁らしい。
「それでさ、その子生命保険に入ってたらしいんだ。本人は知らなかったらしいけど、最近の行動で心配になった両親が入れてたんだってさ。もちろんジサツは契約に違反するからいくらか違約金払ったらしいんだけど……」
「生き返った?」
「そう。病院で目を覚ましたらしい。」
日が傾き、教室に影が落ちる。
「……それで」
「両親は大泣き、そりゃそうだよね。それから何度も何度も保険会社の人に頭をさげてたってさ」
私が聞きたいのは、そこじゃない。
「その子はどうなったの?」
冷夏は首を横に振る。
「知らない」
「……一番大事なとこでしょうに」
「多分転校するんじゃないかな、こんな噂が流れちゃ学校これないでしょ」
その噂を流してる張本人の一人から私は目を逸らして、冬音の方を見やる。
彼女は噂話に興味なさそうにスマートフォンでSNSのリールを目で追いかけていた。
「冬音はどう思う……? その子のこと」
私の問いかけに、彼女は眉を上げる。
「別に、どうでもいい。でもさ、本人が望んでないのに生かされるってのはちょっと違うと思う」
「…………違う?」
冬音は垂らしたロングヘアの隙間からこちらをチラリと見て言った。
「死のうとして、目が覚めて、何で死んだのって怒られる。私だったら凄い嫌」
冷夏が身を乗り出して口を挟んだ。
「でも生きてた方が良くない? 何か気分が落ち込んじゃってただけかもしれないし。生命保険サマサマじゃん」
「……そうかもね。知らないけど」
また興味なさげに視線をスマートフォンに移し、冬音はイチゴミルクのストローを口にする。
私は二人に問いかける。
「あの生命保険ってさ、なんで生き返れるか知ってる?」
「高度な医療技術がなんとかとか。脳さえ残ってれば体を修復できるとかで」
「それって見たことある?」
「ないよ……使った事無いし。てか企業秘密じゃね」
「じゃあ何されてるかわかんなくない?」
うーん。と冷夏は腕組みをして首を捻る。
「それはそうだけどさ、そしたらこのケータイだって中に何があるか分かんないけど使ってるわけじゃん。便利だったら使えばよくない……? 皆使ってるんだし。 結は考えすぎってか疑い深すぎっていうか」
「私、めんどくさいの」
「それは知ってる。でもほんと、入っといた方が良いよ……明日事故にでも遭うかもしれないし」
「……考えとく」
「ほら、あいつのためにも! あんたの好きピの……」
ガラガラ、と教室の後ろの扉が開いて、高身長の男子生徒が姿を現す。
「大船さん。いる?」
彼は席に私の姿を見て取るやいなやこっちに向かって手を振る。
「……噂をすれば」
冷夏が小さく呟き、私は立ち上がる。
「いるよ」
教室への侵入者、如月進はセンターパートに分けた猫毛をくしゃりと掻いて口を開く。
「昼休み、部室で話したいことがあってさ」
「いいよ。食べ終わったらいく」
「おっけ。じゃあ後で」
「また」
彼が教室を去っていき、私は席に戻った。
心臓が少しだけ、走った後みたいにうるさい。
「最近どうなのさ。あいつとは」
「……ぼちぼち」
「家行った?」
「……展開早すぎない?」
冷夏はおせっかいなおばちゃんのように……いやおせっかいなおばちゃんそのものであるのだが「おいおい」と豪快に笑って、私の肩をばんばん叩く。
「青春は短いんだぞ? あっという間に受験だ……その前にがっしり喉仏を掴んでおかないと……」
「首絞めてない?」
「とにかくだ。私はお前を応援している! 頑張れよ我が愛弟子。はやくご飯食べてさっさと行っちゃいなさい」
「弟子入りした覚えないが」
冷夏は力こぶをつくってどや顔でこちらを見つめる。運動部だからご立派な力こぶが二の腕からもりあがっている。
まあ、悪い奴じゃない。
大切な師匠のアドバイスには従うことにする。
二倍速くらいでご飯をかきこんで私は立ち上がった。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい。何かあったら教えてな」
「いってら~」
私は胸元のネクタイを締め直し、スマホに映った髪型をちょっと調整して部室へと向かった。
ロマンスなんかじゃない。
作戦会議のためだ。
「生き返る」だなんて怪しい生命保険、その裏側を解き明かすための。
テセウスの愛情 うみしとり @umishitori
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