第22話 悪党、発つ

 目抜き通りから北部に目を遣ると、昨日まであったターワバ大聖堂の尖塔があった部分に青空が見えることに多少の違和感を感じはするものの、モヘレブに住む多くの庶民の暮らしが変わることはない。

 ジョゼッフォ・バイロウが、逃げられた奴隷を連れ戻すために、太守官邸を産業振興会に占拠させたことや、ターワバ大聖堂に放火したことは人々の噂になっていたが、モヘレブに暮らす者は、大なり小なりモヘレブ産業振興会の世話になっているため、産業振興会への表立った批判はなかった。

 聖堂に火をかけたバイロウについては「悪党」「犯罪者」と誰もが陰口を叩いていたが、太守官邸が産業振興会の支配下にある今、その大きな取引先のひとつであるバイロウを捕まえることが難しいことも分かっていた。


 ――世の中は結局、金のあるヤツが勝つようにできているのさ


 バイロウが使用人のヴィートに言ったことは真実だと、モヘレブの庶民も思っていた。


 そして、バイロウは昼過ぎにモヘレブを出立する。

 ジブフタ河を上り、商業都市ベモジィと経由して帝国東部に向かう。

 不渡りを避けることができたバイロウは、船に乗って上機嫌である。

 ターワバ大聖堂の聖職者たちも奴隷として手に入れ、予想外の臨時収入も得られた。想定していたよりも損害額は少なくて済みそうだ。

 船尾楼に備え付けられ豪奢なソファに深く腰掛け、手にした札束を数えながら、フガフガと鼻を鳴らして笑っている。

 サイドテーブルに載ったシェリー酒がなくなるスピードもいつもより速い。


 船長らは港湾職員からの出港許可の合図を確認し、離岸を開始した。

 市壁に手前に掛かる両開きの跳ね橋が上がるのが見える。


「年始早々……忌々しい!モヘレブを離れられたと思うと清々する!!!

 しばらくのんびり寝て過ごそうと思っていたのに、とんだ邪魔が入ったもんだ。

 ソロクスにさっさと街を出ろと伝えろ!」


 バイロウは、ヴィートに向かって、酒を注ぐよう黙って空いたグラスを突き出すと、船長への伝言も申渡してきた。


 その直後である。


「失礼します!!!」


 という大声ととともに、扉が勢いよく開いた。

 甲板で下働きをしていた少年が報告する。


「跳ね橋の上に……!!!」


 息を切らせて走ってきた少年の言葉が詰まった。


「跳ね……橋の上に……!!!ク……ッ」

「オウムか!?お前!!!何だ!?」


 先輩船員から一喝を受け、少年はビクリと肩を震わせた。

 呼吸を整えて、少年は言った。


「クレメンテ……クレメンテさんがいるそうです!!」

「クレメンテだとぉ?」


 バイロウが低い声でその名を繰り返した。

 浅黒い顔がみるみる真っ赤に染まっていく。血走らせた赤い眼で少年を睨んだ。

 バイロウのひと睨みで少年が怯えているのが見て取れる。


 すぐさま他の船員が双眼鏡でゆっくりと上がっていく跳ね橋を確認する。


「間違いありません!クレメンテです。クレメンテ・ドゥーニが座っています!」

「エドアルド・バジェのヤツはどうしたんだ!?モヘレブのヤツらは無能揃いか!?

 まだアイツを牢屋にぶち込んでなかったのか!?!?!?

 大事な奴隷商品を盗んだ野郎がノコノコ顔を出しに来やがって!!!

 ヴィート!!!クロスボウを持って来い!!!!!ぶっ殺してやる!!!!!!!」


 バイロウがソファからふらつきながら立ち上がった。

 酔いが回っているのが見て取れる。


「速く!!!」


 バイロウは、シェリー酒を注いだばかりのグラスをヴィートに投げつけてきた。

 ヴィートは酒で上半身を濡らしながら、主の求めに応じるために走った。

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