第1章 痕(7)

 そうして、ついに化け物退治に行く時がやってきた。

 抜き身の包丁を下げて夜の街を歩くわけにも行かない。

 タオルでくるんだ包丁を持って、私はジャナの後をついて歩いた。

 駅へ向かい最終電車に乗ると、並んで座って学園前駅を目指す。

「それで、どうすればいいんですか」

 私は興奮気味にたずねた。

「あんたは言われたとおりにすれば良い」

「わ、わかりました???」

 駅へ着くと昨日と同じように、パーテーションから入り、シートをめくる。

 ジャナは百合子さんの姿を解くと、すぐさま臨戦態勢に入った。

 なにせ昨日とは違い、今日の私は目印付なのだ。

 予想通り。

 化け物はすぐに、その姿を現した。

「でたぁ……」

 思わず情けない声を上げてしまう。

 改めて眺めたその姿は、おどろおどろしいことこの上ない。

 小屋ほどもある身体に生えているのは、八本の文字通り丸太のような人の腕で出来た脚だった。

 その脚が大きな黄色と黒の縞模様の丸々とした腹を支えている。

 頭部には普通の蜘蛛のように、八つの目がついていた。

 といっても、この前見たとおり、その目の部分には八つの大きな人の首がついている。それぞれの首はキョロキョロと周囲を見回すが、その瞳に白目はなく、それぞれ二つの眼窩には真っ黒な眼球が収まっている。蜘蛛の目を見たことがあるだろうか? 単眼と言う真っ黒な目だ。おそらく、人と蜘蛛が同化してしまっているのだろう。

 しかし、化け蜘蛛の大きな目の周りには、蜘蛛にはない更に小さな目──小さな人の首がブツブツと顔を出している。

 人の首はザンバラ髪で、顔中に皺が寄り、最早、男か女か、大人か子供かも分からない有様だ。

「万理愛! 例の物用意して!」

「はい!」

 私はタオルから包丁を取り出して、握り締める。

 取り出された小さな刃物を見て、化け蜘蛛の目達がせせら笑ったように思えた。

 ジャナは今日は袖ぐりの深いランニングにパンツスタイルで、翼膜を広げると、なんと蜘蛛の巣に飛び乗ってしまった。

「ジャナさん!?」

 敵の巣にわざわざ飛び込むなんて正気の沙汰じゃない。

 けれど、ジャナは器用に縦糸を選んで歩きながら答えた。

「大丈夫。蜘蛛の巣はね。粘つくのは横糸だけで、縦糸は粘度を持たない!」

「でもどうして!」

「蜘蛛は目が悪いと言われている。明るい暗いしか分からない。その分巣にかかった獲物を、糸の振動で判断しているんだよ」

 そう言ってジャナは糸を踏み鳴らす。

「こっちだ! ほうらそっちより、もっと美味しそうな獲物がいるよ!」

 化け蜘蛛は揺れる振動に、本能なのかすぐさまジャナの方へと向き直り、八本の腕で糸を伝うと、凄まじい勢いで巨体が近づいてきた。

 ジャナは慌てずに腕を空へと差し伸べる。

 そこには、支柱となっている街灯のうちの一本があった。

「万理愛、目を閉じるんだ!」

「は? はい!」

 返事をして目を瞑った瞬間、ジャナが唱えるのが聞こえた。


『汝の限り光れ!』


 そうジャナが唱えると、まばゆいばかりの光があふれた。

 目を閉じていても分かる。瞼越しに、強烈な閃光が走るのを感じた。

 たぶん、街灯が輝きを強めたのだ。

 白いパネルに仕切られた空間は一瞬、昼間のように照らし出しされたに違いない。

 閃光がおさまったので目を開けると、正面からまともに光を浴びたらしい化け蜘蛛は前脚部を上げ、目達が口々に悲鳴を上げていた。

「人が集まる前にかたづけるよ! 万理愛、包丁!」

 巣から飛び降りると、ジャナがこちらへと駆け寄る。

 私は手にしていた包丁をジャナへ渡した。

 化け物がのたうち回る隙に、ジャナは再び唱える。


『汝の姿よ伸びよ』


 ジャナは受け取った深谷家の包丁の刃先にそって手をかざす。

 すると包丁の刃先が見る間にのびて、70cm位の大きさになった。

 後で聞いた話だけれど、刀で言うところの「うちがたな」程の長さだったらしい。

 そして、ジャナは私の目前にその包丁製の打刀を横にして突き出して、言ったのだ。


「万理愛! 舐める!」


「はい……え? ええええ!?」


「言われたとおりにする!」


「こんな長いもの、舐め、舐めきれるかなあ?」


 私は刀を受け取り、おずおずと舌を伸ばした。

「先端だけで良い。水分いっぱい取らせただろ。舌を斬らないようにね」

「き、緊張しちゃって」

「下顎のえらが張った部分のすぐ後ろ、耳の前下方に唾液の出る腺があるから、そこ揉んで! 早くしな!」

 刃物を舐める緊張感と、人に見られながら舌を出して舐めることの羞恥心とが同時に襲ってきて、私は目眩がしそうだった。

 それでも耳の下を揉み、チロチロと舌を出して、慎重に刀の刃先を舐めた。

「で、出来ました!」

「よし!」

 その間に化け蜘蛛の光を受けた目──つまり人の首──が体内へと沈み込み、周囲にあった小さな首の目が、大きな目があった位置に寄って、替わりに大きく広がった。

「ジャ、ジャナさん来ます!」

 視界を取り戻した化け蜘蛛は、今度は、真っ直ぐに私の印を目がけてやって来る。


「さあ、終いだよ!!」


 ジャナは上空へ舞い上がると、身をひるがえして刀を化け蜘蛛の頭頂部に突き立てた。

 それから縦に刀を走らせ、一息に背を切り裂いたのだ。

 唾に濡れた刀は邪気を払って、見事に化け蜘蛛の身体を真っ二つに切り伏せる。


 取り込まれた首の目達が、耳をふさぎたくなるような断末魔を上げた。


 化け蜘蛛の身体は、自らの消化液で切断面からドロドロと溶け出した。

 やがて頭部からごろりごろりと転げ落ちた首の目達が口々に叫ぶ。


 ──ドウシテ私ダケガ!


 ──オ前モ引キズリ込メタノニ!


 ──何故オ前ダケガ助カル!


 ──恨メシイ!


 ──憎ラシイ!


 ──妬マシイ!


 ──オマエモ引キズリ込……………………

 

 私を見て口々に呪詛を叫ぶ目の首達は、かつて人であったであろうモノだ。

「ジャナさん……」

「逃げるよ、万理愛!」

 ジャナが化け物の消滅を確信すると、包丁刀は見る間に元の大きさへと戻った。

 私は包丁を返され、そのままジャナに抱き上げられる。

 ジャナは後ろを見もせずに上空へと飛び上がった。

「かつてこの辺りの沼地は、土地が悪く、貧しく、不作が続いて沢山の人が死んだんだ。掛け声をかけ、力を合わせて農作業をしてきた人びとは、その努力が報われずに飢饉で亡くなった時、その思いが陰の気に傾いて、化け物と化した。飯も炊けない火の消えた竈へ巣を張った蜘蛛に、人の恨みが乗ったんだろうさ」


 つまり、蜘蛛の化け物が人びとを襲っていたわけではない。

 人の怨念が、蜘蛛に乗り移っていたというのだ。

 宿を失った怨念は、実体を保てずに、消滅していったようだ。

けれど、最後まで見届けていない私は確信が持てなくて、恐る恐るたずねた。


「本当に、倒せたんですか?」


「万理愛、手首をごらん」


「あ……無い」


 見れば左手首につけられた、赤い痕が消えている。


「た、助かった……の……?」


「だからそうだっての!! 小さな魔力をいくつか使ったから、早く逃げないと……あんたは、帰ったら早くお風呂入って寝るんだよ。明日は学校だろ」


「うう、やっぱりコンビニ帰りみたい……」


 ほっとして涙腺がゆるみ笑った私は、きっとべそをかいていたに違いない。


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