大名古屋共栄圏
上雲楽
東京
鬼頭が東小金井のアパートに帰宅すると、またポストに名古屋から国際郵便で召集令状が届いていて、集団ポストの下に設置してくれている公共のチラシ捨てに一度入れたが、個人情報だしな、と思って、室内に持ち帰った。適当にダイニングテーブルに召集令状を置いて、お風呂を掃除したり、トイレに行ったりしているうちに、同居している佐橋が帰ってきたらしく、浴室の半透明の扉越しに、佐橋が、
「帰省しなくて本当にいいわけー」
と叫んだ。鬼頭はハーブの匂いの湯舟でせっかく仕事のこととか、召集令状のこととか忘れる心地になっていたのに、この問答の繰り返しにうんざりして、湯舟に浸かったままジャバジャバと顔を洗ってから、いらんから捨てといて、と叫び返した。
若干、威圧するつもりで叫んだのに、佐橋はオッケーと軽い調子で言い放って、扉の前から立ち去った。扉から見えた佐橋のシルエットは、召集令状を持っていた。もし、鬼頭が、じゃあ帰るわ、と言ったらその場で手渡すつもりだったのだろうか、と鬼頭はイライラして、もうしばらく湯舟の中でリラックスしたかったが、佐橋が気を遣ったつもりなのか、湯舟が追い炊きを始めて、熱くなって、ハーブの匂いも薄れてしまったから、キャベツでも刻んで発散しようと、風呂から出た。
生姜焼きの匂いがする。佐橋は気を遣って料理までしてくれているらしい、鬼頭は適当に身体を拭いて裸のままキッチンに行くと、キャベツ刻まれてた。佐橋は鼻歌を中断して、
「今日、スーパーで赤味噌あったから、味噌汁、きっと故郷の味になるね。運命みたいじゃない?」
「実家はだいたい、合わせ味噌だった。母は千葉出身だし」
鬼頭は冷蔵庫を開けて、牛乳パックを軽く振って、だいたい三分の一くらいしか残ってないな、と体感して、直に一気飲みした。途中で息が続かなくなって、二回に分けて一気飲みした。
佐橋は、なら、おふくろの味のリクエスト受け付けるけど何がいい、と朝に剃ってから半日の間で少し伸びたあごひげで左の手の甲を擦って、右手で生姜焼きの肉をひっくり返した。いろんな人からたまに聞かれるけど、毎回、特に思いつかず、今回もひねり出すのが面倒で、
「マックのダブルチーズバーガー」
と答えた。普段なら、味噌おでんとか味噌カツとか、亡命者らしいことを言って、話題を提供するのが社交術だが、佐橋は何を言っても、
「へー」
で終わりだろうから、いいか、と思った。佐橋は、
「てかさ、夜マックの倍ダブルチーズバーガー、マジでうまいよね。バランスとか度外視の馬鹿味で最高」
と、やはり適当な口調で言った。鬼頭は何か戦意だったようなものが削がれて、意地悪な返事をしたな、と反省したい気持ちになって、
「でも、給食の味噌汁は赤味噌だったから、懐かしいって感じ」
とほほえんでみせたら、佐橋は、
「へー」
と言って、生姜焼きを盛りつけた。
まだご飯が炊けていないので、鬼頭はダイニングテーブルに肘をついて、置きなおされていた召集令状を手に取ってみた。最初のころ送られてきていた、白かった封筒が、無視しているうちにだんだん警戒色になって、今は蜂みたいな色になっている。この色が最大なのか、さらに変化するのか、強いて鬼頭の興味をひくのはそれくらいだった。大名古屋共栄圏も、いちいち亡命者に召集令状を送り付けて、税金の無駄遣いじゃないか。税金かけて大名古屋共栄圏を囲う万里の長城を作るのがそもそも無駄遣いだが、その作業員で亡命者を集めようとするなんて、むしろ浪費が目的なんじゃないかと、鬼頭がゴージャスな色の封筒を開封しようとしたら、佐橋に、もうすぐ炊けるから服着なよ、と言われた。
夕食の間、佐橋はテレビをPCモニターにして、違法アップロードされた中京テレビのバラエティを倍速にして垂れ流して、へらへら笑っていた。鬼頭はやかましいからバラエティは好きではなかったし、わざわざ摘発リスクを冒してまで中京テレビの、しかもゴールデン帯のバラエティを見たい気持ちが理解できなかった。そのことを伝えても、佐橋は、普通に面白いから、と繰り返すだけだったので、もう諦めている。東京も、大名古屋共栄圏の文化とかプロパガンダとかを本気で規制するつもりはないらしく、摘発のニュースも見たことがない。あるいは、鬼頭が興味なくて見逃している可能性はあるが。
鬼頭は中京テレビのゴールデン帯のバラエティの視聴をこの世で最も下等な行為の一つだと思っていたから、蔑む目つきでテレビを眺めて味噌汁をすすっていたが、そのように仕向けることこそ、中京テレビの思う壺なのではないかと思った。それに何の利益があるのかわからないが、こうして違法アップロードされたテレビ愛知とかメ~テレとか中京テレビのバラエティの動画が放置され続けていることが、東京にとっても大名古屋共栄圏にとっても利益があることの証明じゃないかと疑った。
番組の出演者は、大名古屋共栄圏――東海四県――出身の者に限られているわけではなく、東京から帰化した者も半分くらいはいた。なおさら、日本テレビのバラエティと大差なくて、佐橋の情熱がわからない。合法でも、ネットフリックスの予算だけはかけた俗悪バラエティを見させられるよりは、マシか、と鬼頭は自分を納得させようとした。
そうしたら佐橋がネットフリックスに切り替えて、予算だけはかけた凡作オリジナルアニメを視聴しだしたので、みんな摘発されてしまえばいいのに。
鬼頭は夕食を食べ終えた箸をペーパーナイフ代わりにして、封筒を開けたが、途中で中央の方に破れが逸れて、けっきょく、封筒を手でむしり取った。
「最終警告。万里の長城建設は国民の義務です。すぐに参加志願書に署名して返信し、帰国してください。従わない場合、法令により十年以上の強制労働が課せられます」
一枚目はわかりやすくけばけばしい色でそう書いてくれた。二枚目は、法律用語だらけの、警告文だか、建設計画だか、よくわからないし、字も小さいから読む気がしない。三枚目はもっと間抜けでもわかりやすいように、いらすとやの絵の子どもとか犬とか花とかと一緒に、「万里の長城ですみよいくにづくり」とか云々書いてあった。横目で見ていた佐橋が三枚目をさっと抜き取って、
「ルールなんだからやっぱり行った方がいいんじゃないの。しかも、労働報酬、今の職場よりちょっと高いじゃん」
鬼頭はまた佐橋の手から紙を奪って適当に四つ折りにして、
「こうやって亡命者を寄せ集めて、どうせ強制労働とか、虐殺とかする魂胆なんだよ。強制労働を拒否する罰が強制労働なんて馬鹿馬鹿しい」
「でも、こうやって封筒が毎度届くのって、大名古屋共栄圏に、亡命した人の居場所が筒抜けってことでしょ。無視したら本当に死刑とかなっちゃうかも」
「そんな話、今まで聞いたことない」
「東京が隠蔽しているかも」
佐橋の指摘はもっともな気がして、鬼頭は黙って、空の食器をシンクに持っていった。あるいは、名古屋にいる、父と母と妹が、人質にされたり、連帯責任で罰を受けるかもしれない。家族仲はとりわけ良いわけではなかったが、虐殺されてもいいや、と思えるほどではなかった。
「仕事、抜けられないし」
鬼頭はそれくらいしか言い訳が思いつかなかった。佐橋は、
「だよねー」
と言って、箸をねぶりながらテレビ鑑賞に戻った。
大名古屋共栄圏 上雲楽 @dasvir
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