第14話 蕎麦屋

 どうやって南條のいる席まで戻ったのか、記憶になかった。

「遅かったね。飲み過ぎた?」

 南條が心配そうに声を掛けてくれる。

「え?……混んでただけなんで大丈夫」

 笑顔を作り答えるが、強ばっているかもしれない。見ていた南條の顔が曇っている。

「すみません。烏龍茶貰えますか」

 俺の体調を気遣い、気を利かせてノンアルコールまで頼んでくれた。

 森下に義理立てするつもりはないが、周りから聞いた話など、南條本人に聞かせるつもりはない。南條が自ら話してくれる時かあれば別だが。

 それまでは、今の話はさっぱり忘れようと決め、烏龍茶を一気に飲み干した。

「酔ってはないんだけど、せっかくだから。ありがとう」

「食べないで飲んでたからじゃないのかな。ここもフードあるけど、近くに美味しい蕎麦屋があってね。締めになっちゃうけど行ってみない?」

「いいね。行きたい」

 また森下に会いたくない俺は喜んで賛成して、肩を並べて店を出た。

 森下がその背中を睨んでいるとも知らなかった。


「南條さんて、優しいですよね。前にもそう言ったら、俺限定って言ってくれたけど。きっと普段から、もしかすると小さい頃からなんじゃないかな」

 日本酒もあったが南條も要らないと言う。

 2人して温かい月見そばを注文し待つ間、疑問に思っていたことを聞いてみる。

「うーん」

 探偵よろしく人差し指を額に当て南條が言う。

「昔から背が高かったんで頼りにされることも多かったからかな?あと、父や兄も大きい人で、手を差し延べる姿を見て育ったからかも」

「でも、周囲の人と祐希さんは別格ですよ。俺の可愛い彼氏ですからね」

 声を潜めて慌てて付け足してくれる。嬉しい。悩んでいる間ずっと欲しかった言葉だった。

「祐希さんは、兄弟は?」

「姉と弟がいて真ん中なんで、大変だったよ。姉は理不尽だし、弟は生意気だし」

 学生時代から何度も友達に愚痴ってきたエピソードは事欠かない。る

「ははは。それ盛りすぎでしょ」

「違うんだって。姉のいる弟はみんなこんな目に逢ってるんだから」

 夜の蕎麦屋は割と賑やかで、南條との楽しい会話に、落ち込んでいた気分も持ち直していた。その時、南條の電話が振動で着信を伝えてきた。

「同僚からなので、ちょっとすいません」

 電話に出て小声で急ぎかを尋ねている。どうやら急ぎらしい。

「いいよ。気にしないで、ごゆっくり」

 声をかけると、南條が眉をしかめながら、保留にした通話を再開するために外へ出て行った。

 女性の声だったな。同僚は女性なのか。

 祐希の会社とて女性はたくさん働いている。当たり前のことなのに、また森下から聞いた南條の過去について思い出してしまっていた。

 婚約者の女性と結婚か。

 自分は結婚について、現実味を帯びて考えたことは1度もなかった。

 一生一緒に住むのなら好きな人が良い。付き合った女性には申し訳なかったが、そう思える人はいなかった。

 入口の硝子戸から少し見える南條の背中を眺めながら考えているうちに、蕎麦が届いてしまう。

 どうしようか迷ったが、南條なら待たれていても気にするだろうと先に箸を付けた。

 元々空腹だったわけではないので、割りばしに1本ずつ麺を引掛け啜る。出汁が美味い。

 ゆっくり食べる祐希の蕎麦が半分程になった頃、南條が戻ってきた。

「すいませんでした。先に食べててくれて良かった。」

 心からほっとしているような表情に、本当にいい人だなと思う。

「南條さんの麺は倍くらいに増えちゃったね」

「本当だ。でも大食いなんで大丈夫」

 そう言って割りばしを割り豪快に蕎麦を啜り始めると、あっという間に完食しそうな勢いだ。

 慌てて祐希も残りの蕎麦に取りかかった。


 食べ終わった南條は、明日早朝から休日出勤になったとしんみりと言った。

「今日はゆっくりできるかと思ってたんだけど、また来週だね」

 そうか。これからどうするのか気になっていたところだったから、はっきりスッキリした。思い悩むことが増えていたし、ちょうど良かったのかもしれない。

「仕事だもの、しょうがないよ。今日は思いがけず美味しい蕎麦屋に来れて満足したから。麺も風味が生きてるしつゆも出汁が美味かった。近所にあったら良いのに」

「口に合って良かった。俺も好きな味なんで、これからも2人の食の好みって大事でしょ」

 南條が俺とのことを常に考えてくれているようで照れる。

 これまでも、俺がぐずぐず考えている間に、南條は自分からアプローチしてくれていた。同じ男として、自分からもちゃんと口にしていかねばという使命感が芽生える。

「そうだね。また来よう。俺の好きな定食屋も今度連れてくよ。来週にする?」

「それは楽しみだ。でも来週は、家の近所に祐希さんが好きそうなオムレツ食わせる店があるから俺の家で泊まりでいい?それか、祐希さんの手料理また食べたいな」

 さらっと南條から上手の誘いがある。どっちも泊まりじゃないか。

 祐希は頷いた。

「わかった。食べたい物決まったらメッセージ頂戴」

 その日は駅で別れた。

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