第7話 バー
思ってもいなかった展開に社に戻っても仕事に身が入らない。この後行く店でどんな会話を繰り広げれば良いのだろう。
とりあえず余り遅くならないよう急ぎの仕事だけ片付け、20時頃には南條と合流できた。
南條に連れて行かれたのは、看板の出ていない小さなバーだった。
「そこ暗いですから、気をつけて」
店内はほの暗く、他の客が気にならない。カウンターの他に独立したテーブル席が幾つかあり、外観より広く感じるシックでお洒落な内装に、落ち着かない気持ちになる。でも彼の手前、極力顔に出さないよう努力し、変な顔になっていないといいけどと考えた。
カウンターの奥の方で空いている席の方に慣れた様子で進む南條に、段差でさりげなく手を差し伸べられて、スマートな仕草に感心する。
「ありがとうございます」
男に腕を取って貰う事など初めてだ。自分が女性にしたことさえない。席だって俺に誰もいない席の隣を勧め、自分は他の客の隣だ。取引先とはいえ、同年配の相手にこんな気配りまでできるだなんて。少し気恥ずかしいが、嬉しいのが正直な気持ちだ。
「お腹空いてませんか?簡単に食べられる物作ってくれるんで、任せてもらっても?」
「ええ」
初めての店だから任せることに抵抗はない。というか、南條のリードが心地よい。
「では、イベントの成功を願って」
南條の乾杯の音頭にチクっとする。そうだ仕事の相手だ、当たり前のことなのに。
「乾杯」
モヤモヤしたことに見ない振りをしてグラスを合わせる。グラス同士がぶつかり高い透明な音が小さく鳴り、何故か南條が口端を上げて見ていた。
「雨宮さん、可愛いすぎ」
「な、何をおっしゃるんですか。28の男を捕まえて。そういえば、南條さんはおいくつでいらっしゃるんですか?」
「雨宮さんはもっと若く見えますね。しっかりされているのに見た目が若々しいので、年齢不詳とか美魔男とか言われたりしませんか?」
さりげなく個人情報を探る。南條の方が躱し方も上手だった。
「そんな言葉聞いたこともありませんよ。でも南條さんの気配りには頭が下がります。うちの課長からも南條さんから勉強してこいって発破をかけられました」
「気配りだなんて。課長さんに買い被られているな。相手が雨宮さんだからこそすることなのに」
流し目で笑う表情が色っぽく、目を奪われてしまう。ダメだぞ俺。取引先の人に邪な気持ちを持つんじゃない。
少し話しただけで、南條の話術の巧みさに引き込まれてしまう自分がいた。その後も仕事の話は触りだけで、南條の趣味の旅行話や美味しい店の話など、話題も豊富な南條が終始場を盛り上げてくれる。
楽しい会話と雰囲気にあっという間に数時間経ち、何杯おかわりしたのかもわからなくなっていた。普段ビールしか飲まない祐希は火照った顔を片手で仰ぐ。
「雨宮さん酔っぱらってしまいましたか?ご自宅はどちらですか?何ならうちに泊まっていただいてもいいんだけど。そうなると俺が自信ないな」
ニヤッと笑い、スタッフにお会計を頼む仕草をする。
そんな顔で冗談を口にしても、いい男がする分には気持ち悪さを感じさせない。他の男がしたなら、男相手でもセクハラだと憤慨していただろう。
「南條さん、女性にそんなこと言ったらセクハラで訴えられますよ」
「そこは気を付けていますよ。雨宮さんにしか言いませんし」
普段雨宮はそんなキャラではないものの、何故か今日は日中から、南條には揶揄われてばかりの気もする。ところが嫌な気持ちどころか、急浮上したり急落させられたり忙しい。
そうか、女性には気を付けないとしょっちゅう惚れられたら困るもんな。でも俺の前でも気を付けてほしい。すでに傾きかけている心に気づかないふりで祐希は1人ごちる。
「じゃあ、また今度。連絡先の交換もできたので、雨宮さんからの連絡待ってます」
2人で店の外へ出るとどちらともなく別れ際にIDを交換した。
早速南條が、意外な犬のスタンプと今日は楽しかったとのメッセージを目の前で送ってくれ、祐希もこちらこそと返す。
お互い別々の駅となる南條と別れて早々の帰り道で、ずっと忘れていた胸の高鳴りを感じている自分に戸惑う祐希だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます