第3話 居酒屋
「だから、今日は好きな店でご馳走しますよ、梶山様〜」
「そうか〜?なら今日は嵐山で揚げたての天ぷらと一緒に玉雪でも飲もうかな〜」
「はいはい、ほら行くよ」
昨夜、突然の夜中の訪問にも、寝床と夜食を準備して待っていてくれた友だ。そのくらいしてやってもバチはあたらない。
今日は定時で仕事を切り上げ、偶に降りる駅で待ち合わせた俺と諒は、駅からほど近い居酒屋へ向かう。
「明日は休みだから、気持ち良く飲むぞ~」
「俺の奢りだからって、飲み過ぎるなよ」
諒と飲むのも久しぶりだ。気楽な相手との美味しい肴に俺も飲み過ぎないように気を付けなきゃ。
並んで白木のカウンター席につく。
この店は中年の店主とその甥っ子がやっている、小ざっぱりした居酒屋だ。調理担当の店主が日本酒好きで、安くていい銘柄が並んでいる。祐希は強くないのでビール党だが、諒は日本酒好きなため、2人の時はよくこの店を訪れた。
「いらっしゃい、祐希さん。いつもの生ですね。
諒さんは?取り敢えずの生ね。生2丁」
注文を取り、自ら注ぎに行く店主の甥っ子の賢悟は、一時期2人の大学時代のサークルの後輩だった。
ほぼ飲みサーだったため、祐希は偶に顔を出す程度だったが、出席率の高い諒と賢悟はそれなりに顔見知りで、その縁もありこの店を知った。
「どうよ、最近」
昨夜、梶山は祐希を迎える準備を整えると先に就寝していたねやと、今朝は2人とも慌しく出勤したためまともに会話していない。
「ん。仕事は忙しいっちゃ忙しいけど、昨日みたいな残業も珍しいし、概ね順調ってとこかな。諒はどう?」
届いたビールで各々早速喉を潤す。お通しをつまみながら注文に忙しい諒にも尋ねた。
諒とは学部が違い、IT系の企業で3年勤めた後、現在はフリーで仕事をしている。
「まぁな。1人でしなきゃならないことに追われてるが、自分のペースで働く方が向いてるしな」
確かに、諒は学生の時から自分の熱中する事には惜しみなく時間を割いている奴だった。当時はゲームで、今は作る方だが。
お互いの近況を確認した後は、共通の友人を話題にし、最近見た映画やアニメ話で盛り上がる。
「それもそうだが、浮いた話はないのかよ」
「ッゴホッ」
やめろよ、急に。
「ないよ、そんなもの。あったらここにいない」
慌てて吹き出したビールを拭きながら答えた。
「お前な、いい加減、もう昔の事は忘れて、新しく始めろよ」
言葉は少ないが、俺を心配してくれているのが伝わる。
ありがたいが、うまくいかないんだ。実のところは、昔のことが尾を引いているのかもしれない。
失恋したあの後、先輩が仲の良い友達に向かって、雨宮が言い寄ってきて困るんだよな、と話すのを聞いてしまった。噂にもなったみたいだから、諒も当然知っているだろう。
「そんなのとっくに吹っ切れてるさ。ただピンと来る人がいないだけだ。お前はどうなんだよ」
何杯目かのジョッキに口をつけて、もう俺の話は終わりと言外に伝える。
諒はその時々で付き合うタイプが違う。老若男女問わずストライクゾーンが広いのだ。
最近こそ付き合っている人はいないとのことで、まだこの話題を続けたそうな諒の目を避け、席を立った。
「俺、トイレ」
「いらっしゃいませー」
その時ちょうど店の引き戸がカラカラと開き、賢悟の威勢の良い声がする。
仕事帰りらしい背の高い男と低い男の2人連れが店内に入って来るのが目に入った。店の喧騒が一瞬消えた。
あっ、終電の。
背の高い方は、昨夜駅のホームにいた男だった。こうして見ても良い男だ。180㎝はあろうかと思われる体躯は見るからに筋肉質で、黒い短めの髪は額を出してセットされている。賢そうな骨格に、程よく日焼けした肌、黒い瞳にスッキリした眉、程よく高い鼻と中厚の唇で、モデルみたいだ。
そのまま眺めていたい気持ちだったが、2人は空いたばかりのテーブル席に案内される。喧騒も元通りだ。俺は、席を立った理由を思い出した。
トイレから出た所の廊下を曲る時、向こうから来ていた人物とぶつかりそうになる。
「失礼」
「あ、すいません」
危なかった。酔ってるのか俺。
顔を上げると、さっきの終電男だった。
すれ違い離れる方向に歩いているだけで、心臓が高鳴る。
ヤバい。いい男との至近距離なんてご無沙汰だからかよ、俺。しっかりしろ。
「俺、酔ったみたいだ。今日はお開きにしようぜ、お会計お願いします」
席に戻るなり、諒と、賢吾に告げる。
飲み残していた酒を一気飲みし、渋々立ち上がった諒の腕を引っ張り、店を出る。
「何、慌ててんだ?祐希。ヤバい奴と出会したのか〜なんてな」
自分が慌てて帰る必要がないことは百も承知だ。だが、目を奪われる程の良い男との2度の偶然は、祐希の心を取り乱させた。「その通りだ。さっさと帰るぞ」
「ギャハハ。祐希のヤバい奴なら俺もヤバいな」
陽気な諒を歩かせながら、駅に向かって歩いて行った。
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