第28話 文化祭前夜
明日からサカノウエ祭が始まる。
年に一度、学校全体や地域が参加する、大きなイベントだ。
この何日かは一年二組と将棋部の掛け持ちで、行ったり来たりした。
ただいま将棋部の部室で、明日からの確認が行われている。
綺瀬崎さんを囲むのは全部で五人、当然安君もここにいる。
部長の三年生が盲腸で入院中なので、副部長で二年生の綺瀬崎さんがここを仕切っている。
「じゃあ役割分担は、それでいいかしら?」
「はい、もちろんです」
最近将棋部に出入りするようになって、部員全員の顔と名前を知る所となった。
その中の一人が、大仰に頷いた。
「初日は武田君と小野城君が対局コーナーで、繁久君と桐谷君が喫茶コーナー、二日目はその逆ね。みんな休憩やクラスの方もあるから、私がそこはカバーするわね?」
「綺瀬崎さんは、クラスの方はどうするんですかあ?」
「私はクラスに事情を話して、ほとんどここへいるわ。顧問の大野木先生も手伝ってくれるから。担当同士でも相談して、休憩や見学にも行ってね」
どうにかこうにか、準備とメンバーは揃った。
喫茶コーナーで使うのは紙コップや紙皿だけれど、出す物は部長と綺瀬崎さんとで厳選したお菓子にコーヒーと紅茶だ。
壁や窓際には、クリスマスのような飾り付けも並んでいる。
俺もクラスの方には事情を話して、こっちに長くいさせてもらうようにしている。
「小野城君、将棋の対局ってできるようになったのか?」
「まあ、駒は動かせるっすから。後は気合でやります!」
「わはは、いいねえ! じゃあ任せるぜ。困ったら参ったって言えばいいからな!」
「なんかそれ、恰好悪いっすねえ」
安君はすっかり、ここに馴染んでいるようだ。
外はもう暗い。
あとは明日と明後日の本番を待つばかりだ。
「桐谷君、よろしくね。私の師匠が来るのは二日目だから」
「はい、了解です」
綺瀬崎さんに手を振られながら、安君と一緒にクラスへと戻る。
一年二組の教室も、すっかり様変わりしている。
廊下に面した窓にはカボチャのお化けや、蝙蝠の絵が貼ってあって、その向こうは黒い幕が掛かっていて見えない。
血文字のようなデザインでスリラーハウスと書かれた看板も貼られていて、実はこれは俺と安君が作ったものだ。
遠くにある非常灯と、外から差し込む月明かりだけが、廊下を照らしている。
鞄を回収して帰るかな。
扉を開けて中に入ろうとすると、その前にガラリと扉が開いた。
その向こうにいたのは、菜摘だった。
「あ、礼司じゃん。あっちはもう終わったの?」
「うん、今日はね。あとは明日、喫茶店の担当だよ。菜摘ももう帰るの?」
「うん。他の子たちとリハをやってて、いま片づけが終ったから」
「あのよう礼司、俺先にいくわな」
「ああ、悪い……」
安君は先に教室の中に入っていって、自分の鞄を持ってからバイバイと手を振った。
「真友はもう帰ったの?」
「多分ね。流星のクラスの方を見に行くって、鞄を持って出て行ったから」
「そっか……」
もしかして菜摘、真友に気を使ったのかな。
それに多分、安君も俺に。
「おお、まだいたのか、お前ら」
暗い廊下の向こうから声がして、そっちを振り向くと、クラス担任の
いつも通り、どっしりとしたお腹に足が生えて歩いているみたいだ。
「あ、遅くなってすみません、先生!」
菜摘が謝まると、筒木野先生はにっこりとして頬に皺を寄せた。
「いや、いいさ。準備があったんだろう? もう暗いから気を付けて帰れよ。おお、すっかり準備ができてるなあ」
自分が担当するクラスの教室の方に目をやってから、筒木野先生はまたどこかへと歩いていった。
「あ~、びっくりした。そろそろ帰ろうか?」
「……ねえ、ちょっと寄り道をしてから帰らない?」
「え? 寄り道って……『ポプラ』?」
「ううん。全然違うとこ」
微かに笑みながら首を横に振る菜摘が、仄かな月明かりの下でぼんやりと浮かぶ。
どこなんだろうと思うけど、菜摘がそう言うのなら、断る理由はない。
夜の学校は、昼間とは空気が違う。
しんとしていて、暗い廊下と教室が続いている。
どこも飾り付けを終わっていて、たまにまだ灯りがついている教室からは、明るい声が漏れ出ている。
暗い廊下を抜けて、上に通じる階段を、足元に気を付けながら登っていく。
「なんかちょっと怖くて、ドキドキしない?」
「うん、そだね」
この学校にも、一応七不思議といったような噂はあるようで。
音楽室の絵画に描かれている作曲家の目が動く、家庭科室にある姿見から黒い影が見える、中庭にある学校創立者の銅像が真夜中に動く、とか。
こんな時に限って、なぜかそんなことを思い出して、体がブルリとする。
「ねえ、この学校の七不思議って知ってる?」
「聞いたことはあるわ。でも、なんで今そんなこと言うの?」
「いや、夜の学校にいることってあんまりないからさ。つい思い出しちゃってさ」
「もう、やめてよ。怖いじゃん!」
「もしかして菜摘は、そういうの苦手?」
「……知らない、もう!」
怒ったように顔を逸らす菜摘。
昔いた田舎では、夏に肝試し大会があった。
子供会で準備がされて、地域のお父さんとかがいろんな所にかくれて、子供は学校の中を探検した。
普段見ない夜の学校はちょっとスリルがあって、遅い時間まで友達と一緒に過ごせるのが嬉しかった。
そんなことを思い起して懐かしんでいると、着いた先は校舎の屋上だった。
「ここね、夜に一度来てみかったんだ」
鉄柵の傍まで歩みを進めて、菜摘の顔がぱっと華やいだ。
「やっぱり、綺麗だったなあ」
この高校は小高い丘の上にあって、三階建ての校舎の屋上の周りには、景色を遮るものはない。
ずっと遠くまで光の海が続いている。
またたく建物の光、少しずつ動く車の光、白、赤、青と色も違っていて、まるで星の海を見ているようだ。
「うん。綺麗だね、ここ」
止まったように感じる時間の中で、二人でじっと景色を眺める。
「ねえ礼司、文化祭のダンス、だれかと踊るの?」
菜摘の声音が、静かに耳に流れ込んでくる。
「ううん、まさか。そんな相手、俺にはいないよ」
「じゃあさ、私たちで踊らない?」
―― え?
秋を迎えて、夜は少し肌寒い。
でも俺の体はぱっと熱くなって、心臓がどくどくと震えた。
「えっと……俺と、菜摘で……?」
「うん。どうかな?」
「あの、流星は、どうするのさ……?」
「……今は私、礼司と一緒がいい」
うまく考えることができなくて、俺は知らないうちに、首を縦に動かしていた。
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