第21話 縫いぐるみ発事故行き
なんとかオールを操ってボートで近づくと、水面に浮かぶそれは、やっぱり黄色い縫いぐるみらしいと分かった。
「可哀そう。助けてあげようよ」
緋色の綺麗な瞳を向けて、訴えてくる菜摘。
「うん。そうしよう」
彼女のリクエストに応えるべく。左右のオールをちょっとずつ動かして、ゆっくりと縫いぐるみに近づいていく。
なんとか手が届きそうな場所まで来て、菜摘がボートから身を乗り出して手を伸ばす。
グラリ!!
「きゃああ!」
「うわわわ!!」
小さなボードのバランスがくずれて、片方に傾いて、二人の体が斜めになる。
危ない、転覆するんじゃ……!?
一瞬そう思って身構えると、菜摘は両足をぱっと広げて踏ん張りながら、縫いぐるみをさっと拾い上げた。
彼女が上半身をボートの中に戻すと、グラグラと大きかった揺れは、ちょっとずつ小さくなっていった。
「やったあ、もう大丈夫だよお」
水がポタポタと滴り落ちる猫の縫いぐるみに向かって、菜摘が微笑みかける。
その子は子猫程の大きさで、目を細めてにっこりと笑っているように見える。
「お、うん。よかったね」
胸が思いっきりドキドキしている。
危うく水に投げ出されてしまうんじゃないかって思ったから。
それに……それ以上に……
「ねえ、礼司」
「はい?」
「……見た?」
頬をぽっと赤らめながら、じっと怖い目を向けてくる菜摘。
「あ、うん。助けられてよかったね」
「………じゃなくてさあ………」
両の脚をきゅっとしめて、空色のミニスカートの上をポンポンと叩く。
「あの、なんのことでしょうか……?」
「さっき私がよろけた時……見えなかった……?」
「いえ、私はなにも……」
「……本当は?」
えっと、多分……だけど……
菜摘が身を乗り出してボートが揺れた時、両脚をぱっと広げて踏ん張ったんだ。
その時に、短いスカートの奥から純白のものが……
今でもその残像が頭にあって、心臓の動きを速くしているんだ。
だめだ、菜摘の顔が、まともに見られない。
「ねえってばさ?」
「……ごめんなさい、ちょっとだけ見てしまいました」
しらばっくれるよりも正直者でいた方がいいかなって思って、素直に白状した。
「……えっち」
菜摘の頬も、ほんのりと赤みが増していく。
……そんなこと言われても、仕方がないじゃないか。
これって事故のようなものじゃない?
それに、見ちゃいけないと思いながらも、俺の意志とは無関係に、体が反応してしまうことだってあるんだ。
「面目ないです……」
「もう……よろしい、素直に認めたのなら許す。今日だけ特別だからね」
拗ねていたような表情から、元の柔らかな表情に戻っていく。
「はい、ありがとうございます……」
母親に叱られた子供のように、首を垂れる俺。
でもさ、俺でなくたって、他の男子だって、きっと同じ感じだと思うよ?
そんな言訳を自分の中でして、自己を肯定してみる。
「この子、どうしようかなあ?」
「そ、そうだね、係の人に預けるとか?」
「だね。でも持ち主が現れなかったら、この子はどうなっちゃうのかなあ?」
心配そうに縫いぐるみを見つめる菜摘。
でもひとまずは、係の人に訊いてみようかということになり。
水の上の散歩をゆったりと楽しんでから、元の桟橋の方へとオールを漕いだ。
桟橋の上には、先にボートを降りた流星と美里原さんが立っていて、手を振っていた。
俺が先に桟橋の上に乗ってから、菜摘の方に手を差し出した。
「ありがと」
菜摘は俺の手を掴んで、不安定な足場からひょんと桟橋の上に上がった。
また手を掴んでしまった。
ボートに乗った時よりは落ち着いていたけれど、それでもやっぱり恥ずかしい。
今日は二回も菜摘の手を握ったし、不可抗力とはいえ抱きしめてしまったし、それに事故もあって……
だめだ、思い返すと顔が熱くなるので、今はやめておこう。
乗場にいた係のおじさんに縫いぐるみのことを尋ねると、
「預かっておいてもいいけど、多分取りにはこないと思うよ? 大事なものだったらその場で回収するか、その時に連絡が入ってるはずだからさあ」
ごもっともかもしれないけれど、正直面倒くさそうな空気も漂ってくる。
「じゃあどうしようかな。連れて帰って乾かすのもありかなあ」
「菜摘がそうしたいなら、それでいいんじゃないの?」
「そうね、じゃあそうしよっかな。せっかく礼司と一緒に助けたんだしね。よろしくね、君」
両手で抱えた縫いぐるみに目を落として、声をかける菜摘。
優しい子なんだなと、微笑ましく思えてくる。
「これからどうする? 弁当のお礼に、晩飯でも奢るけど?」
さすがは流星、こういうところは気が利いていて、スマートだ。
「あ、いいね。俺もそれに賛成するよ」
早速こっちもそれに乗っかる。
あんなに美味しいお弁当を作ってもらったんだ、このまま何もしなのは、申し訳がない。
「いいね~、どうするなっち?」
「うん。私も大丈夫だよ~」
「よし。じゃあ決まりだ!」
それから少し街ブラを楽しみながら、夜は何がいいかとかを話し合う。
途中にコンビニがあったので、店員さんにお願いして、レジ袋を一枚売ってもらった。
菜摘が濡れた縫いぐるみを手に持ったままだったので、それに入れると持ちやすいかなと思って。
すると、「ありがとお、礼司!」と、笑って受け取ってくれた。
結局、色々と好きに頼めるからとの理由でファミレスに寄ることになって、駅近にある店で一緒の時間を過ごすことに。
「私はマルゲリータとチキンガーリックステーキ、ライスセットかな。あとデザートもありあり?」
「おいおい、結構食うな。しかも野菜なしで大丈夫なのかよ?」
「へーきへーき。今日はいっぱい歩いたから、エネルギー注入!」
流星と美里原さんが並んで座っていて、楽しそうに話し合う。
「礼司は海鮮丼ね? 私はキノコパスタにしようかな」
菜摘は俺のすぐ横に座って、注文用のタブレットを指でなぞっている。
オーダーを入れてほどなくすると、テーブルの上は皿で埋めつくされた。
美味しい料理を頬張りながら、今日の水族館のことや、今度開催される文化祭こととか、楽しい会話が舞う。。
なんだか信じられない、そんな気分だ。
安君以外には友達もいなくて、何もない夏休みを過ごしていた。
それが今こうして、流星、菜摘、それに美里原さん、三人と過ごせている。
花火の夜の菜摘との偶然の出会いは、俺のモントーンの日常を、少し変えてくれたのかもしれない。
夕食を食べ終えて満腹のお腹を抱えてから、電車に乗って今日は解散だ。
途中から流星と菜摘が電車を降りていって、美里原さんと二人きりになった。
きっと家の方向が同じなのだろうな。
「ねえ礼司」
「なに?」
「よかったら、もうちょっとだけ付き合ってくれないかな?」
いつもは明るくて元気いっぱいの彼女が、珍しく静かな声を送ってきた。
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