第17話 高校生のノスタルジア
目の前の水槽は、日本の小川の中を再現している。
細かい砂利が底にあって、木の枝や岩が横たわっていて、水草が微かに揺れている。
そんな中を、小魚たちがゆったりと泳いでいる。
メダカ、小鮒、ドジョウ、モロコ…… それによく見ると、小さな海老やカニもいる。
多分どれも昔、直接手に取ったことがあるものばかりだ。
「懐かしいの? こういうの?」
菜摘が俺の顔を覗き込む。
「うん。俺の実家の近くに小川や池があってさ、子供の頃はよくそこで遊んだよ。魚を網ですくったり、釣りなんかもしたりね。家に持って帰って、水槽で飼ったりもしたかな。卵を生んじゃって増え過ぎて、川に逃がしに行ったりしたかなあ」
「そうなんだ。私はこんなの、見ことないなあ」
「多分、水が綺麗なところにしかいないんだよ。俺の実家って滅茶苦茶田舎だから、自然だけはいっぱいあってさ。釣った魚を持って帰って、焼いて食べたりもしたよ。取れ過ぎたら近所にも分けたりとかしてさ」
興味を持ってくれたのか、菜摘がぐっと肩を寄せてきて、こっちの肩と触れ合っている。
そこだけが、なんだかすごく熱く感じる。
「綺麗なとこなんだね、礼司が住んでたとこってさ」
「そうだね。景色は綺麗だった。春は桜が山一面に咲いてさ、山菜なんかが採れるんだ。夏には空一面に星が見えるんだ。川の傍には蛍なんかも飛んでてさ。いつも暗くなるまで遊んでたなあ」
「もうじき秋だけどさ、紅葉なんかも綺麗?」
「うん。遠くの山まで真っ赤になるよ。たまに松茸なんかも見つけるんだけどさ、間違えて毒キノコなんかも持って帰っちゃって、親に怒られたりしたっけな」
しゃべっているうちに遠い記憶が蘇ってきて、色彩豊かな景色が目の前に広がっていく。
友達と一緒に駆けた山野、蒼穹の空に浮かぶ眩い太陽、清らかな水のせせらぎ、しんしんと降り積もって世界を白く染める雪……
「それと同じような話、お母さんから聞いたことがあるんだ」
「お母さん?」
「うん。お母さんも自然がいっぱいのところで生まれて育ったんだって。私が子供の頃にたくさん話をしてくれたんだ。東京の桜は綺麗だけど、自分の生まれ故郷の桜も負けてないわよって。スキー場が近くにあって、冬にはよく滑りにいったんだってさ」
「あ、それね。俺もやったよ! 山のてっぺんから眺めると、ずっと遠くまで真っ白でさ。雪がキラキラと光ってて。そこから斜面に向かって突っ込むと、まるで空を飛んでるようで、最高に気持ちがいいんだ」
「そっか。じゃあ礼司は、スキーとか上手なんだ」
「そうでもないさ。麓に降りた時にはへろへろになるんだけどさ。でも飽きずに、何回でもまた上に上がるんだけどね。いっぱい転んで、全身雪まみれだったよ」
「いいなあ。私もそういうの、見たかった」
水槽の方に顔を向けて、小さな声を落とす菜摘。
「菜摘は行ったことないんだったっけ? お母さんの生まれた場所?」
「うん。いつか行こうねって約束してたんだけど、結局できないまま」
「そっか。いつか行けるといいね」
「……無理なんだ、もう……」
一瞬、心臓がドキリと跳ねる。
その横顔が、あまりにも寂しそうだったから。
そうだった……自分の無神経な言葉が、恥ずかしく思えて。
「お母さん、もういないしね」
胸にズキンと、鋭い痛みが走った。
勝手に昔を懐かしんで、能天気にしゃべった。
そのせいで、菜摘にまた、辛いことを想い出させてしまったんじゃないだろうか。
「ごめん、そうだったね」
「ううん。こっちこそごめんね、こんな余計なこと話しちゃって。つい思い出しちゃった」
やっぱり、俺の話のせいだ。
「こっちこそごめん。なんか余計なことを、いっぱいしゃべっちゃったな」
謝ると、菜摘は静かに首を振る。
「ううん。なんか色々と思い出せて、楽しいな。ねえ、礼司の実家って、どこにあるんだっけ?」
「岐阜県のT市の近くだよ。バスで大分山の中に行ったとこだけどね」
菜摘の表情が、ぴりっと固まる。
「それって多分……お母さんの実家があった近くだ……」
「え、そう?」
意外な共通点に驚いてしまって、言葉を失う。
二人で肩をくっつけ合って、水槽に浮かぶ小魚たちを目に映す。
「ねえ、なんで礼司は、そこからここに出てきたの?」
「それは……大学に進むのにいいかなって思ったし、こっちの生活に憧れたってのもあるかな。家の近くには小さなスーパーがあるくらい、コンビニもカラオケも本屋も何もないんだ。街の高校に通うのだって、バスで時間をかけないと行けなかったし。だから、今の高校の入試を受けたんだ」
「そっかあ。ここに住んでると当たり前だけど、無くなると困るものってあるよね?」
「うん。お陰で、今の生活は快適だよ。でも、なぜかなかなか慣れないんだよね。友達だってあんまりできないし。それに、時々は懐かしくなるんだよ。昔に見た景色とか、古い友達とかがね」
つい、また余計なことをしゃべってしまった。
こんな愚痴のような話を聞いたって面白くないだろうし、また辛いことを想い出させてしまうかもしれないってのに。
「いいなあ。私はそういうのは見たことがないから、羨ましい」
「え、そう?」
「うん。たまにさ、疲れた時って、遠くへ行きたくなったりしない? 私はそんな時、お母さんが話してくれたことを想い出して、勝手に色々と想像するんだよ。それで自分でプランを作って、空想のなかで旅をして過ごすの。綺麗な景色を見て、美味しいものを食べて、色んな人と触れ合って。変かな、こういうの?」
そんなことを想っているんだな。
俺なんかは、綺麗な女の子と一緒にどこかへとか…… いやいや、それは今はいいって!
「ううん、変じゃないと思うよ。想像するのは楽しいし自由だ。いつか本当に行けるといいね、お母さんの生まれた場所とかさ」
「そうね。でも実家はもう処分しちゃってて、そこに行っても知ってる人が誰もいないんだ。お父さんは仕事で忙しいから、あんまり無理も言えないしね」
「そっか……それだと、行っても寂しいね」
「私、礼司が住んでたとこ、見てみたいな」
……え? 俺の、住んでたとこ……?
思いがけない言葉に、また俺の小さな心臓がトンっと跳ねる。
菜摘と一緒にいると、俺の心臓君は忙しい。
「何もないところだよ?」
「でも、綺麗で静かな場所なんでしょ? なんだか心が落ち着きそう」
水槽にぼんやりと目を向ける白い横顔が、なんだか疲れて見える。
菜摘について、知っていることが増えた。
お母さんのこと、中学時代のこと、そして今の友達とのこと……
普段は明るくて表には出さないけれど、時折寂しそうだったり、涙を浮かべたりする。
それってもしかして、俺の前でだけなんだろうかな……?
つい、そんな自惚れが顔を見せたり隠れたり。
俺が思う以上に、彼女にも思う所があって、疲れていたりするんだろうか?
俺にしたって、今の自分にうじうじと思い悩んだり、昔を思い出して郷愁にふけったりなんだ。
「うん、分かった。いつか一緒に行こうか?」
「…………」
しまった、俺ってなんてことを言ってるんだよ!?
それって、菜摘と一緒に、俺の田舎まで行こうってことに、なるよな?
顔が熱い、心臓がバクバクと跳ねまわる。
いやいや、二人だけでとは言っていないし、どこに泊るとかも、全然触れてないし!
冗談だと思ってもらっても構わないし!
大丈夫、と思いたい。
「ありがとう。じゃあ、礼司が連れて行ってよ」
「え? あ、うん。分かった」
「約束だよ?」
良かった、変なふうには、思われてないみたいだ。
菜摘は穏やかにほほ笑みながら、小指だけをピンと立てた右手を、俺の目の前に差し出した。
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(作者よりご挨拶と御礼です)
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
本作はいかがでしょうか?
高校生同士のピュアな一面が描ければと思っております。
もしよろしければ、引き続きご愛顧を頂けますと幸いです。
★評価、フォロー、ハート応援等を頂いた方々には、重ねて御礼を申し上げます。
大変心強く存じます。
引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(カクヨムコン10にも、参加させて頂いております。今も精進してまいりますので、何卒、よろしくお願い申しあげます)
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