250という数字に何か意味を見出すならば

小狸

短編

 短編小説を書く時は、僕は精神を分離させて考えている。


 それは決して「感情を込めていない」とか「思いがこもっていない」とかそういうことではないと思う。思いたい。


 心を分離させなければ、短い小説など書けないからである。


 短いということは、分量として沢山書く事ができるということでもある。書くスピードが速いことこそが、僕の武器だ――なんて、そんな思い上がっていたこともあった。


 分離というと色々と比喩表現が思い浮かぶだろうが、俗物的な僕としては、水と油の関係を想像していただければそれで良い。


 心に触れないように書いている。


 心の周囲に油の膜を張り、意図的に本音を隠して執筆しているのだ。


 なぜそんなことをするかと言われれば、まあ、短編だからと言わざるを得ない。


 これは僕だけの考え方かもしれないが、人間の想像力は無限大ではないと僕は思っている。


 限度があり、いずれは限界が来る。


 今は書けていても。


 明日書ける保証はどこにもない。


 そう思っている。


 だからそうなった時に、少なくとも小説家を職業にしたい僕としては、困ってしまうわけである。


 おいおい、そんな弱気で小説家になんかなれないぞという声が聞こえてきそうではあるが、それはその通りで、だから僕は小説家になれないのかもしれない。


 勿論、インプットを怠るつもりはない。小説は毎日読んでいるし、図書館にも毎週末、仕事休みの時に通っている。


 ただ――もし本当に想像力が枯渇してしまったとして。


 今のところ小説以外に拠り所のない私は。


 もう本当に、どうしようもなくなってしまうわけである。


 それこそ、死ぬしかなくなる。


 分かっていただけただろうか。


 薄氷よりも薄い内容の短編小説を書き連ねる理由が。


 要は、怖いのである。


 いつか、書けなくなる日が来ることが。


 何でもかんでも継続は力なりと言うつもりはない。


 正しい継続方法は結果に繋がる場合がある――というだけの話だ。


 実際僕はまだ、小説家になることはできていない。


 でも。

 

 それでも。


 そんな短編小説でも。


 少なくとも250作、続いたということを。


 今日は言祝ことほぐこととしよう。




(「250という数字に何か意味を見出すならば」――了)

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