第82話

「だめ?」


「………」



ついさっきまで、もう駄目だと思っていたのに。



そんな六神の狡いギャップに、安い女は容易くなびいてしまうから私たちのストーリーは無駄に長くなるのだ。



「……だめなら、ストーカーに走るか」


「だめ、じゃない。」


「まじで。」


「……ま、まじで。」



その瞳が、瞬間的に見開いて、あっという間に目尻を下げ細まった。



ポケットから何かを取り出した六神が、それを私の頬につける。



「誕生日、おめでと。」


「冷た、」 



COSTAコーヒーを渡されて、私が「ありがとう」とお礼を告げれば、満足そうにまた微笑んで涙ぶくろを誇張させた。



形容しがたい感情が芽生えて、自分の感情を理解できないまま私も六神にゆるく微笑み返した。




「あー、めちゃくちゃ嫌われたかと思って焦ったー」



六神が脱力したように言うもんだから、呆れまじりのため息をついた。瞬間だった。

  

 

六神の唇が、私の唇に触れる。



不意をついた六神と、不意をつかれた私。 



でも六神は、「昼飯まだだったわ。」と自己中心的極まりない余韻を残し、一段ずつ階段を降りていくのだ。



「あ"〜」と伸びをしながら。



一方の私は、形容しがたい感情がさらにシェイクされて、脳がマーブル状の抽象絵画を描き始めていた。



ただ確かなのは、さっき首まで真っ赤だと言われた時には気付けなかった体温が、豪速に上昇しているということ。



さらに午後、まゆゆが“池駒に謝るべきか”を悩んでいる姿を見て、まずは“彼氏を優先してやれよ”と冷静にツッコミを入れた頃。



六神にも心の中でツッコミを入れていた。



ストーカーもキスも、友達と悪友には普通しないでしょう、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る