第6話:てめぇに興味はねぇよ
「き、貴様…!その
「謗りってのは、
辰風は、外套を
「てめぇらだって、知っているだろ」
そう言って鋭い視線で、辺りをぐるりと見回す。民草だけではなく、雨乱と同様の青翠色の羽織を纏った集団ですら、目線を合わせなかった。逃げるように泳ぐ視線が、すでに言葉無き返答だった。
無言の海の中で、当の本人ですら視線が漂っていた。地面に片膝を着いたまま、視線が地面へと落ちる。切れ長の目尻が弱々しくなっていた。
「…その様子だと、自覚はあるようだな。両角一刀流の師範代さんよ」
雨乱は、下唇を噛んだまま
「……ろせ」
雨乱が、
辰風は、見下ろすように見つめたまま「聞こえねぇよ」と冷たく吐き捨てた。異様な沈黙が辺りに流れる。ずず、と瑠璃猫が茶を啜る音が、小さく鳴った。
「…殺せ、と申しておる!!!」
沈黙を破るように声を荒げて、顔を上げた雨乱の表情は迫真だった。眼は血走り、覚悟を決意した鬼気迫る口調で続ける。
「殺せ!6代目両角一刀流師範代の剣術は、ここに敗北を契した!峰打ちという情けの敗北の噂は、瞬く間に広がるであろう。せめて
「だから俺に殺せって言うのか?」
「左様。拙者は武士の中の武士でござる。その不名誉を抱いたまま、生き恥を晒すなど、耐えられぬ。大剣と言えど、其方も剣を携える者。なれば理解が出来るであろう」
そして雨乱は、介錯を求めるように、首を下げた。辰風は、冷めた視線を送ると、
「……下らねぇ」
一蹴して吐き捨てる。そしてひどく冷めた口調で、闊歩し始めた。しかし足音は、雨乱から徐々に離れて、瑠璃猫へと向かっていった。
相変わらず状況に似合わず地面に座ったまま、湯呑に口付ける彼女の側に来ると、「行くぞ」と一言投げかかる。吸い込まれそうな深紅の瞳は、頷くこともなく、ゆっくりと湯呑を地面に置く。
雨乱、武史郎を含めたすべての者が、2人に視線を向けていた。辰風は、そんな視線を物ともせず、再度「下らねぇんだよ」と漏らす。
「てめぇは、どこまで堕ちれば気が済むんだ。それに勘違いするなよ。俺は武士道を説いたり、説教がしたくて剣を振るんじゃねぇ」
ごお、と風が吹く。
辰風の外套と瑠璃猫の足首まで伸びた白銀の頭髪が揺れた。大剣の重厚な刀身と頭髪が合わさって、銀の後光が差すようだ。
何気ない光景かもしれないが、雨乱にとっては、眼を細めるほどの輝きに映った。
「俺らの目的は、黒鉄毒蛾という
「は、はな…?なんだそれは」
「てめぇのために忠告しておく。
辰風の肌に散ばった生傷が、やけに説得力を産んでいる。大剣の柄に巻かれた包帯に染み付いた血痕は、もしかしてそれらと対峙してきた歴戦の証だろうか。
「俺のすべての血肉は、
それ以降、誰も何も話すことはなかった。
辺りには辰風の「この店の亭主は居るか?」という問いだけが虚しく響いていた。この騒動のである。急に呼ばれた亭主も申立て辛いだろう。その雰囲気を察して、辰風は地面に1両(約10万円)を置いて去っていった。辰風と瑠璃猫が食べた食事代は、精々50文(約1250円)あれば事足りる。しかし、過剰に置いて行ったのは、彼らなりの配慮だったかもしれない。
店を壊して悪かった。残りは修繕費にも充てておいてくれ——それが辰風の去り際の言葉だった。
◇◆◇◆
やはり心が動いた時は、筆を走らせるに限る。
こいつは驚いた。不死身の辰風という通り名を聞いた時は、過ぎた名と思っていたが、中々に強き者よ。まさか一太刀で圧倒するとは。
噂に
しかし誠の不死身など、この世に在りはしない。
しかし些か、血が湧きそうになったのは事実だ。
ならぬ。まだならぬ。
まだ自制の時だ。この自覚を持たなければ、このまま奴を殺してしまいそうだ。
奴は所詮、ただの人間。
事が済めば喰ってやろう。
その時までは我慢だ。
そう我慢。我慢。我慢。
◇◆◇◆
「ふぅ…」
夜の
峰雨乱は、一呼吸は置いた後に、筆を
ここは、仙台藩中心部に位置する両角道場である。
門構えには金剛力士が彫られており、厳かな雰囲気が辺りを取り仕切っている。敷居に入って手前は、門下生の道場である。その奥に座敷に進むと歴代当主が住む一室へと進む。
もちろん住む権利を有しているのは、当主を担う峰雨乱であり、5代目当主・
「ふぅ…」
そんな物に包まれた一室の中央で、雨乱は再度深呼吸をした。
鼻孔を通る墨の香り。
頬に照る灯篭の暖。
あぁ。何と心地良い…。
今宵もこのまま寝床へ向かえば、熟眠であろう。
「痛っ」
天井を仰ぎ見る姿勢のせいか、胸に
「やはり、未だ痛みは引かぬでござるか…」
雨乱は、胸に巻かれた包帯を
剣を握った武士が斬撃ではなく、打撃で敗北する屈辱——それは天下の両角一刀流を担う6代目当主に対する最大の屈辱でもある。況してや、その場で死を乞うしまった始末だ。
しかし、門下生および仙台藩の誰もが、その話題に触れることは無かった。
(ふふふ…拙者の敗北は、まるで腫れもの扱いという訳か)
雨乱は自嘲気味に一人、暗闇の中で笑みを零した。
「日本の2大剣術と謳われた
胸の包帯を忌々しくも、虚しく眺めていた。そして握り拳を握ると、
「不死身の辰風とやら…次こそは……!」
瞳に黒い炎を宿したその時である。
「峰雨乱。まだ起きているか?」
障子の先で、一つの影が揺れている。
声質からして、幼さの残った若い声が、雨乱を我に返させた。
「…武史郎殿でござるか」
咄嗟に、普段の古風な口調に戻った。
「あぁ。こんな夜分にすまない。ただ少しあんたと話がしたいんだ」
当主ではない武史郎の居住は、この両角道場には無い。少し離れの貸家で住んでいる。つまり、わざわざ雨乱の一室に足を運んできたことになる。
「話でござるか。まぁ良い。少し筆を走らせて、
雨乱がそう言い放つと、襖が開く。そこには神妙な顔付きで、雨乱を見つめる武史郎が居た。
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