「「助け合い」の精神を持ちましょう」と言われ育ってきた。
だからみんな助けてくれると思っていた。
でも、実際は。そんなことはなくて。誰も助けてはくれなくて。
いい顔をして近づいてくる奴は次第に金をせびるようになってきて。
「連帯保証人になってくれない?」
その言葉を私は友人から聞きたくなかった。
自分の問題は自分で解決するべきだ。そう私は思っている。
助けを求めるなという話ではない。問題にけりを付けるのは自分でやれと言っているのだ。
最初から最後まで他人におんぶに抱っこなのはやめろ、と言っているのだ。
しかし友人には言葉は通じなかった。
時に同じ人間なのかと疑うことがある。
連帯保証人の友人然り、インターネットの誰か然り。
インプレゾンビだってあんな支離滅裂なことを言ってお金を稼いでいる。
虎の威を借る狐かのように、彼らには然してもない。
出会い系アカウントも、陰謀論を語る奴も、宗教信者も。
別に彼らのことはよく知らない赤の他人だけれど、そのタグだけでなんとなく自分と合わない人間であることは容易に想像できる。
別に彼らのことを否定するつもりはないが、 。
正義というちっぽけなのに大きなものは果たして「本物」なのだろうか?
あれはダメ、これもダメというのは果たして正義なのだろうか?
何かの制約をつくって自分を守ろうとすることを他人に当てはめるのは正義か?
「自分はこれが嫌いだから此奴もこれが嫌いだろう」というのは真実か?
僕らは多くを知りすぎたのかもしれない。
制限できる範疇をゆうに越して、青空を飛んでいる夢を見る鳥のように。
こんなことを書いて何になるのかなんてわかりっこない。
拗ねているわけではないが、こんな文章を読む価値はおそらくないし、これを読んでほしくてかいているわけでもない。
ただの自己満足。アンパンマンのように絶対的正義ではない自分を誰が買うかわからない無人販売所で売っているような、そんな 。
憂鬱で仕方のない将来にあくびをかまして、足踏みをする。
結局私たちに覚悟なんてものはないのかもしれない。
ドラマティックな人生に恋焦がれるのはもうやめているのに。
自分の将来を高望みなんてとうの昔にするのをやめたのに。
どうして、こんなにも未来が暗いのに。
未来に夢見てしまうんだろうか。
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