二日目の夕方


 補習から帰ってきた藍子は、家の前に停まってる車を見て、トワが来ている事が分かっていた。



 だからリビングに、心実と話すトワの姿があっても驚く事はなく、いつもと変わらない口調で「トワさん、いらっしゃい」と挨拶をした。



 ただ、ソファの上に翡翠のスーツが数着置かれてるのを見つけた時には少々驚いた。



 そこに置かれてる理由が、トワが取りに来たからだと分かったから驚いた。



 これはつまり。



「お兄ちゃん、今日も帰ってこないの?」


 ここ二日、一度も家に帰ってきていない兄が今日も帰ってこないという事になる。



 藍子の問いに、トワは少し躊躇うような表情を作り、「あー、うん」と返事をすると、様子をうかがうようにチラリと心実に視線を向ける。



 それは、ちょうど今の今まで心実としていた翡翠の話題を、出来ればしたくないという思いからの行動で、トワ本人としては他意はなかった。



 翡翠からトワに、家からスーツを取ってきて欲しいというメッセージがスマホに届いたのは午前中の事。



 言われるまま取りに来たのはよかったが、当然心実に理由を聞かれた。



 翡翠が【Kingdom】に行った日に、酔い潰れて帰って来ない事は珍しい事ではない。



 ただ、二日連続でとなると珍しい部類に入る。



 そして、トワが持って行こうとしたスーツの数が三着を超える事が、当分帰って来ないという事を示していて、これは珍しいを通り越してあり得ない事になる。



 だから心実は、それ以前から兄が何やらおかしいと思っていただけに、トワに何がどうなってるのか説明を求めた。



 けれど、トワが答えたのは「忙しい」という事だけで、何がどう忙しいのかすらも言おうとしない。



 トワは翡翠が金を必要としている事を言えないでいる。



 特別口止めされた訳ではないが、口止めしなかった理由を分かっているから何も言えない。



 翡翠は、言ってもいいと思ったから口止めしなかった訳じゃなく、トワならわざわざ口止めしなくても言わないと思っているからしなかった。



 そこまで分かっているトワは言葉を濁すような返答しか出来ず、その態度を怪しく思う心実はしつこく問い質した。



 それを何とか交わしてようやくその話題が終わった頃に藍子が帰宅し、同じような質問をされたから、また心実に蒸し返されるんじゃないかと、トワは心実の様子を窺ったというものだった。



 だけど、帰ってくる以前のやりとりやトワの心中など当然分からない藍子には、ふたりが隠し事をしていて、トワが心実に目配せをしたように見えた。



 その所為で。



「今、【Kingdom】が忙しくて帰って来れないかもしれないから一応持ってくんだって」


 さっきトワに聞かされた事をそのまま告げただけの心実のその言葉を、誤魔化そうとしてそう言っているのじゃないかと疑った。



 それどころか、藍子は兄が帰って来ないのが自分の所為なのではないかと思い始めていた。



 藍子には兄が帰って来ない理由に心当たりがある。



 ほぼ間違いなくその所為で帰って来ないんだろうと思っている。



 だから本当は「あたしの所為で帰って来ないの?」と聞きたかった。



 でもこうして誤魔化してるトワと心実が真実を言う訳はないと思い、結局藍子には「そっか」と答える事しか出来ず、ソファに置かれている翡翠のスーツに目を向け、人知れず罪悪感を抱くしかない。



 その藍子を、テレビの近くから見つめる琢もまた、翡翠が帰って来ない理由が自分にあるのではないかと思っている。



 琢がそう思って心を痛めている事に、誰も気付いてはいない。

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