一日目の昼


 兄が何やらおかしいと、心実が不審に思ったのは昼過ぎの事。



 いつもは放っておくと夕方近くまで眠っている兄が、昼過ぎに自発的に起きてきたから不審に思った。



 昼食の後片付けをしていた心実は、リビングに入ってきた兄を見てポカンとし、余りの驚きから思わず「は? 何?」と疑問の言葉が口をいて出る。



 驚いたのは心実だけではなく、ソファに座ってテレビを見ていた琢も同じようで、琢はソファの背もたれから顔を覗かせ、「翡翠君、どうしたの?」と目をしばたかせた。



「どうしたって何だよ?」


 気怠そうな声を出し、ダイニングテーブルまで歩いていった翡翠は、体を投げ出すようにして椅子に座ると、「珈琲」と言ってテーブルに突っ伏す。



 見るからに寝不足だというその態度に、心実の不審に思う気持ちは増幅し、



「眠いならもうちょっと寝てれば?」


 サイフォンにお湯を入れながら訝しげな声を出した。



 それでも、翡翠は「んー」と唸るだけで動こうとしない。



 ようやく動いたのは心実が珈琲をテーブルに置いた時。



 のっそりと顔を上げた翡翠は、ソファから様子を窺っている琢に目を向け、



「何で琢がいる? 幼稚園はどうした?」


 今更ながらの事を口にした。



「オレ、夏休みだよ?」


「あー、そうだったか」


「昨日も一昨日も家にいたのに覚えてない?」


「あー、そうだったな」


 珈琲をすすりながら頭をガシガシと掻く翡翠は記憶さえも覚束おぼつかない様子で。



「藍子はどうした?」


 なんて事を言ってくるから、心実はいよいよ兄が絶対的におかしいと思い始めた。



 兄の翡翠は、おかしいと言えば普段からおかしいのだが、今日はいつもと何か違う。



 どこがどうというよりは、全体的に違うという感じ。



 だからこれといった指摘も出来ず。



「藍子は補習でしょ。朝から準備手伝ってたじゃん」


 翡翠の近くに立ったまま、気怠そうなその姿を見下ろした。



「あー、そうか。補習か」


「今朝の事、覚えてないの?」


「忘れてただけだ。今、思い出した」


「あんた、まさか変なクスリやってんじゃないでしょうね」


「あん?」


「やってんなら病院ブチ込むよ」


「あんだと?」


 心実の怪訝な声に眉をひそめた翡翠は、「今更んなもんするか」と吐き捨てて珈琲を流し込む。



 そして言い訳をするように、「寝不足で頭動いてねえんだよ」と付け加えると珈琲カップを持ったまま立ち上がり、疑いの視線を投げてくる心実に目を向けた。



「藍子、何時に帰る?」


「夕方って言ってたけど?」


「一日補習かよ」


「バカだからね」


「なら会えねえか」


「何? 今日、早く出んの?」


「【Kingdom】」


「あっちか。――って、寝るの?」


 珈琲カップを手に持ったままリビングを出ていこうとする翡翠に声を掛けた心実は、



「いや」


 それだけ言ってリビングを出ていった兄がやっぱり何かおかしいと思った。



 ただそのおかしさが何なのか分からないから釈然としない気分で、それから二時間ほど部屋にもっていた翡翠が、シャワーを浴びて仕事に行く姿を釈然としないまま見送った。

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