藤堂さん家の複雑な家庭の事情

ユウ

藍子の週末

ツイてない午後


 どんよりとした雲が空に広がる六月の金曜の午後。



 用事があって学校帰りにやって来た、学区外にある歓楽街。



「いやマジで。ブスばっかでシャレになんねえ。言う事だけは一人前で可愛げもねえしよ。つーか、筋の通らねえ意見ばっか言ってきて、ムカついて仕方ねえんだよ。自己チューも大概にしろって話だよな。ブスのクセによ。可愛い奴なんかひとりもいねえぞ? マジでブスばっか」


 実は、結構早い段階で気付いてたりした。



「行く前はそれなりに期待してたのに、ブス率の高さにビビったっての。女子の入学条件がブスかデブなんじゃねえかと疑ったくらいだぞ? マジ半端ねえ」


 時間を潰す為に入ったファミレスの、あたしの後ろのテーブル席に座ってる人が、今あたしの学校に教育実習で来てる実習生の井上いのうえ先生だって事。



「その上頭もわりいんだぞ? 終わってんじゃん。あいつらの頭ん中クソが詰まってんじゃねえ?」


 でも向こうはあたしの存在に気付いてなくて、もうかれこれ三十分も一緒に来てる大学の友達らしき人たちに生徒の愚痴を言い続けてる。



 ここなら同じ学校の生徒は来ないだろうって、わざわざ値段が高めのファミレスに入ったのに、まさか教育実習生とカチ合うなんて思ってもみなかった。



 当然向こうもそう思ってるからこそ、こんな風に愚痴を零してるんだろうけど、お陰でそろそろ店を出たいのに席を立てない状態で、聞きたくもない愚痴を聞いてなきゃいけない。



 背中合わせの状態であたしの真後ろに座ってる井上先生は、あたしの存在に気付く様子もなく。



「あと一週間も実習期間残ってるんだぞ? マジでダルい」


 渾身のって感じで溜息を吐くから始末が悪い。



 テーブルに置いてあったスマホの時計を見ると、十八時十分。



 そろそろ本当に店を出ないと予定の時間に間に合わないのに、後ろの大学生軍団は一向に帰る素振りを見せない。



 むしろ。



「腹減ったなあ。何か食おうぜ」


 まだまだ居座るつもりらしい。



 井上先生は生徒の顔をいちいち覚えてないはずだから、きっとあたしの顔を見ただけなら、実習先の学校の生徒だとは分からない。



 あたしのクラスの担任の先生に付いて実習を受けてる訳じゃないから、高い確率であたしを分からないに違いない。



 だから今のあたしの格好が私服だったら何にも気にしないで席を立てるのに、残念ながらどう足掻いてもあたしは制服姿。



 いくら何でもこればっかりはバレると思う。



 教育実習ってものは母校に行くものらしいから、制服を知らないって事はまずない。



 一度家に帰ってから出掛ければよかった――なんて、今更後悔したところで、あとの祭り。



 制服も覚えてないって事はないかな――なんて希望は、いくら何でも持ってる方が無駄。



 そんな中、さてどうしようかと、本気で考え始めた時、あたしの運の悪さは最高潮に達する。



「どうせ教師になるつもりねえし、とりあえず教員免許取っとくってだけだから、テキトーに流すけどな。――つーか、便所」


 背後の気配が立ち上がって、ゾッとした。



 トイレに行くにはあたしがいる方向に来る事になるからゾッとした。



 あたしが向いてる方向にトイレがあるから、行く時はあたしに気付かないだろうけど、戻ってくる時には気付かれる。



 けど、そこまで思って井上先生がトイレに行ってる間に帰ればいいんだと、クソが詰まってるらしい頭で閃いたあたしは、テーブルに広げてた教科書とノートをすぐに片付け始めて――。



「…………」


――鞄にノートを入れようとした時、ちょうど隣を通った井上先生と目が合ってしまった。



 あたしが動いてたから何となくこっちを見てしまったんだろう井上先生は、体はトイレの方に向けたまま顔をほんの少しこっちに向けてる。



 何気に見たってだけだからあたしが誰だか気付いてない。



 一度帰宅したのか、ブルーのシャツにジーンズ姿っていう、学校では見る事のない格好をしてる井上先生は、あたしと合った目を正面に向けようとした。



 その直後。



 先生の視線がスッと下降した。



 あたしの顔から体へと、何気なくって感じに下降した。



 ほんの数秒の間に行われた一連のその動きは、本当の本当に何となくされたもので、合ってる目を逸らしたいって意思が働いてのものかもしれない。



 けど、それがマズかった。



 一旦正面に向き直った井上先生はハッとしてまた振り返ってくる。



 分かりやすい「二度見」に、あたしは最初の姿勢のまま動けずにいて。



「あっ」


 なんて声は出さないものの、井上先生の表情が明らかにそう言った。



 再び目が合ったまま流れる数秒の沈黙。



 その間、井上先生の脳内で巡ってる思考が手に取るように分かる。



 うちの生徒だって思った直後に、今さっきまで自分が友達に話してた事を思い出して、「シャレになんねえ!」と思ったに違いない。



 表情がその思考を語ってる。



 驚きのあとに出てきた焦りの表情が、わざわざ本人に聞かなくても全てを物語ってる。



 だからどうにも居た堪れなくなった。



 でも何をどうすればいいのか分からなかった。



 何も聞いてませんって振りをするには無理がありすぎる。



 聞いてた事が前提なら、どんな態度に出ればいいのか分からない。



 分からないから合った目を逸らす事も出来ないで、ただただ黙って見つめる事しか出来ず――。



「何年?」


 唐突に井上先生に質問されて、反射的に「二年です」と小さく答えた。



 焦りが全くなくなったって事はないみたいだけど、最初に受けた衝撃はある程度消えたらしい井上先生は、あたしの返事に「ふーん」と答えて、何故だかあたしの正面のソファに座る。



 何で座るの!?って思うあたしの気持ちなんて総無視で、そこにどっしりと腰掛けた井上先生は、テーブルの上に散らばる教科書とあたしの顔を交互に見た。



 後ろの席がザワッとする。



「井上、何やってんの?」


 なんて声も聞こえてくる。



 だけど井上先生は目だけでそれを制して、またすぐにあたしに向き直った。



「何してんの?」


 少し間を開けて口を開いた井上先生の声は微妙に威圧的で。



「え、えっと、週明けに小テストがあるから勉強を……」


 あたしは何にも悪い事をしてないのに、モゴモゴと答えてしまう。



「家ですりゃいいじゃん」


 愚痴を聞かれた事で開き直った部分があるのか、井上先生の言い方は横柄おうへいな感じも含まれてて。



「い、家ではゆっくり出来ないから……」


 あたしは何にも悪くないのに委縮してしまう。



「何で?」


「え?」


「何で家じゃゆっくり出来ねえの?」


「そ、それはその、甥っ子がいて騒がしいから……」


「甥っ子?」


「はい。お姉ちゃんの子供が……」


「何で姉ちゃんの子供がいんの?」


「え、えっと……」


「シングルマザー?」


「というか、お姉ちゃん離婚して戻って来てて……」


「出戻り?」


「ま、まあそうで――」


「ところであんた、名前何?」


「と、藤堂とうどう藍子あいこです」


 話の流れは一切無視の質問に、おどおどと答えるあたしは俯き加減。



「藍子ちゃん、当然さっきの俺の話聞いたよなあ?」


 なんて、完全に威圧してますって感じの声で聞かれたら、俯かせてるひたいをテーブルになすり付けたくなってくる。



 何で聞かれた方よりも聞いた方が肩身が狭くならなきゃいけないんだろうって思ってても、もう既にこっちが強く出るタイミングは逃してるから、「藍子ちゃんなんて馴れ馴れしく呼ばない下さい」って言ってやる雰囲気でもない。



 だから。



「聞いてたっていうか、聞こえてきたっていうか、それはもう絶対的に不可抗力な訳でして……」


 言い訳をするみたいにボソボソと言葉を紡ぐしかなくて、理不尽だって思っててもどうにもならない。



 そんなあたしに。



「まあ、いいけど」


 聞こえてくる声は適当な感じ。



 思わず、テーブルを見つめてた視線を上げてしまった。



 正面に座る井上先生は、本当にどうでもいいって感じでこっちを見てる。



 悪びれてる様子は一切ないし、反省してる風でもない。



「言った事、マジで思ってる事だし」


 実にあっけらかんと言い切るから、その頭の中にこそクソが詰まってるんじゃないかと思って、「はあ……」と間の抜けた声が出てしまった。



「んでもまあ、いちいち友達に話したりしないで欲しいんだけど」


「はあ……」


「実習終わるまで黙っててくれね?」


「終わるまで?」


「終わればもう関係ねぇし」


「まあ、別に言いませんけど……」


「って言いながら言っちゃうんだろ? お前ら女子コーセーってそういうもんじゃん。くだらねえ噂話とか、誰かのくだらねえ批判が好きだろ?」


「はあ……」


「こっちは大変なんだよ。付いてるセンセーの機嫌も取らなきゃなんねえし、バカみたいな雑用押し付けられるしな。それもあと一週間で終わるから、ここまでの努力を棒に振りたくないんだよ。分かるか? 分かんねえだろうな。お前らみたいなノーテンキなガキには」


「はあ……」


「オトナは大変だって事だよ。だからベラベラ喋るなって言ってんの」


「言いませんけど」


「俺、その言葉信用しちゃっていいの?」


「どうぞ」


「マジで言わねえだろうな?」


「特別言うつもりはありません」


「あっ、そ」


「はあ……」


「なあ、お前」


「はい?」


「何で勉強なんかしてんの?」


「……はい?」


「小テストなんか勉強しなくてもそこそこの点数取れんだろ。それともお前バカか?」


「まあ、頭はよくないです」


「だろうな」


「はあ……」


「んでも、小テストで点数悪くても大して問題ねえだろ。ダブる訳でもねえのに」


「まあ、そうですけど……」


「何お前。家、厳しいのか? 点数悪いと怒られんの?」


「怒られはしないですけど……」


「けど?」


「折角行かせてもらった高校だし、いい点取ったら喜んでくれるし……」


「ふーん」


「……というか、人より頑張らないと平均的な点数取れないんで」


「相当頭悪いんだな」


「はあ……」


「って事は、明日も勉強すんのか?」


「一応、そのつもりで……」


「ここで?」


「いえ、図書館で」


「どこの?」


「……はい?」


「どこの図書館?」


「えっと……どうして……ですか?」


「どうしてって勉強見てやるっつってんだよ」


「……え?」


「頭悪いお前がひとりで勉強出来ると思えねえから勉強見てやるっつってんだよ」


「…………」


「どこの図書館に、何時に行く?」


「…………」


「おい、聞いてんのかよ」


「…………」


「シカトしてんじゃねえぞ」


「…………」


「さっさと答えろ、藤堂藍子」


 そう言った井上先生は眉間に深いシワを寄せ、どこからどう見ても脅してるような顔付きであたしを睨んだ。

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