第7話:長野縦断チャレンジ
朝日が差し込む中、廃工場の前に集まった多くの避難民が見送りに来ていた。軽自動車とバイク一台が、静かにエンジンをかけ、次第に出発の準備を進めていく。廃工場は、長い間彼らの避難所として機能してきた場所だった。ここを去ることは、彼らにとって決して簡単な決断ではなかったが、次の安全地帯を求めて旅立つ時が来た。
咲良の周囲には、年配のおばちゃんたちが集まっていた。彼女たちは、ここにいる間、咲良に対してまるで娘のように世話を焼いてくれた。
「咲良ちゃん、無理しちゃだめよ。またいつでも帰ってきてね。」
「気をつけてね、どこに行ってもあなたは私たちの娘みたいなものなんだから。」
咲良は彼女たちの言葉に微笑んで答えながらも、心の奥底では緊張と不安を隠せなかった。彼女にとって、ここを離れることは未来の見えない不安な旅路の始まりだった。
一方、瞬の周りには、工場で一緒に遊んでいた子供たちが集まっていた。彼らは、瞬が作ってくれたおもちゃや、簡単な遊びで心の支えを得ていた。
「オタ兄ちゃん、また遊びに来てくれるよね?」
瞬はそのステレオタイプな呼び名に少し戸惑いながらも、笑顔で答える。
「もちろん、また来るよ。だからみんな、元気でいてな。」
子供たちは瞬を名残惜しそうに見つめるが、彼が再び戻るか分からない旅に出る事を理解しているのか、みんな目に涙を浮かべていた。子供ながらにもこの旅が如何に過酷なのかを理解しているようで、瞬自身も出発には一抹の不安が胸をよぎった。
奈多やドラゴンズヒルライダースのメンバーも、笑顔で送り出す。彼らはこの地で共に戦い、共に生き延びてきた仲間であり、離れるのは辛いものがあったが、それぞれが次の一歩を踏み出すことに理解を示していた。
出発後、一行は比較的静かな道を進んでいったが、所々で事故車や瓦礫に阻まれる道が多く、何度も迂回を強いられた。ゾンビの襲撃による荒れた道は、彼らの旅を困難にしていた。しかし、見晴らしの良い脇道を選び、何度も何度も迂回する事でようやく上田市に到達する。
上田市に入ると、すぐにその異様な光景が目に飛び込んできた。道端には転がる車の残骸や、ひび割れたアスファルトが延々と続き、かつての街の喧騒は微塵も残っていない。国道沿いの飲食店は破壊されており、ところどころに黒く焼け焦げた跡が残されている。ゾンビによる襲撃か、あるいは絶望した人間が放火したのか、そんな想像すら浮かぶほど、荒れ果てた街だった。だが、上田市の様子はどこか奇妙だった。人口が数万人以上はいるはずのこの都市で、ゾンビの数が極端に少ないことに気付く。都市部の大混乱を予期していた彼らにとって、この静けさは逆に不気味だった。
「……なんか変だね。東京と全然違う、もっとゾンビがいてもおかしくないはずなのに。」
咲良がつぶやく。悠介も周囲を見回しながら、底知れない何かが起こっていることを感じ取っていた。彼らは注意深く進みながらも、次第に不安を感じ始める。
その時、前方からバイクの音が聞こえてきた。ドラゴンズヒルライダースのメンバーがこちらに向かってくる。直樹と悠介は顔見知りで、彼らが近づいてくると一行は一旦停車した。
「お、直樹!こんなところで会うとはな~。奈多から聞いてたぞ、丁度お前たちとすれ違うかもなと話してたところだ」
ヘルメットを外した偵察グループリーダーの矢田が屈託のない笑顔で話しかけてくる。
「ここまでは安全にこれたか?」
その問いに直樹が答える。
「はい。上田市のあちこちが通れなくて結構時間を食いましたがなんとか。」
そうかそうかと頷きながら、険しそうな表情に変わった矢田が口を開く。
「実は、長野市にゾンビが大量に集結しているらしいんだ。俺たちもそのことを確認しに行こうとしてる。奈多にも無線で報告したけど、何が原因かはまだ分からない。」
その言葉に、瞬が不安そうに顔を曇らせた。
「ゾンビが集まってる?ゾンビは基本的に人間を見つけたら追いかけるくらいしか出来ないと思うんだけど…」
矢田は肩をすくめ、
「詳しいことはまだ分からん!、お前等も気をつけろよ」
と言い残し、バイクを反転させ、長野市方面に向かって行った。
矢田たちが去った後、田中勝が冷たくつぶやいた。
「偉そうに…どうせ肉体労働しか脳のない脳筋共が……」
その言葉に、他のメンバーは誰も反応しなかったが、空気が一瞬緊張した。
直樹があからさまに不快な表情を浮かべたが、何とか飲み込んだ様だった。
その後、彼らは坂代町に入り、千曲川に架かる大きなコンクリート製の橋の近くで休憩を取ることにした。橋の下で一行は順番にトイレ休憩を行うことにした。道の駅等のトイレを使う事も考えたが、屋内はゾンビが潜む可能性があるので、仕方なく野外で用を足す事となった。直樹と悠介が先行して橋の下の安全確認を行い、ゾンビがいないことを確認した。
「大丈夫だ、ゾンビは見当たらない。それにしてもここまで誰もいないと気持ち悪いな…。」
若干の不自然さを感じつつも、ひとまずは安全そうであるため、直樹が確認の合図を送ると、それぞれ順番に橋の下へと降りて用を足した。
咲良は不安げに周囲を見回しながらも、悠介と共に橋の下に向かう。男の悠介が咲良のトイレに付き合うのも変なのだが、咲良が怖いと言うので付き添う事にした。
川のせせらぎが静かに響き、遠くに見える山々が美しく輝いていた。
「こうして見ると、なんだか普通の世界みたいだよね……」
咲良がつぶやいた。 悠介は彼女に笑みを返し、
「そうだね…この辺をドライブした時のこと覚えてる?咲良のナビで善光寺に行こうとしたけど、迷った挙句に恐竜公園に着いたよね。」
と意地悪な笑みを浮かべた悠介が咲良を見る。
「あれは悠介が善光寺を戸隠神社って言い間違えたから変な案内になっただけだって!」
咲良が顔を真っ赤にしながら否定した。
「また…あの時みたいに戻れるのかな…」
そう悠介が呟いた時、橋の上から直樹の茶化すような声が響いた。
「おーい、まだか?ひょっとして"大"か?」
その言葉に咲良は顔を赤らめ、思わず怒鳴り返そうとしたその瞬間、彼女は足を滑らせて川に落ちた。咲良の体が冷たい水に浸かると、何か冷たいものが彼女の足を掴んでいた。それは、川底に潜んでいた下半身のないゾンビだった。
「助けて!」
水中でもがきながら、咲良は必死に悠介に助けを求めた。悠介はすぐに咲良に手を差し伸べ、必死に彼女を引き上げようとする。咲良の足を掴んだゾンビはズボンの裾をしっかりと掴んでおり、なかなか離そうとしなかった。
「しっかり掴まれ!」
悠介が叫び、力を込めて咲良を引き上げた。
咲良が何とか川岸に上がったものの、その際に消波ブロックで腕に擦り傷を負っていた。鈴木美香がすぐに応急処置を施してくれたが、田中勝がそれを見て、疑わしげな顔をした。
「その傷……ゾンビに噛まれたんじゃないのか?」
美香は冷静に、
「これは石で擦っただけ!噛まれてなんていません!」
と説明するが、田中は納得がいかない様子で疑い続けた。直樹や悠介が田中をなだめようとしたが、最後までぶつくさと文句を言い、険悪な雰囲気が漂った。
その後、鈴木夫妻が仲裁に入り、美香が「擦過傷」だと何度も説明し、事態は何とか収まった。再び車に乗り込み、国道18号を北上するが、次第にゾンビの数が増え始め、何度も迂回を強いられる。
再び車はエンジン音を響かせながら、国道18号を北上していた。長野市の中心に近づくにつれて、周囲の景色は徐々に変わっていく。荒廃したまばらな建物が少しずつ増え始め、次第にその規模も大きくなっていった。壊れたビル群が所々に姿を現し、高層のオフィスビルやマンションが立ち並ぶ。かつては賑わっていたであろう商業施設や店舗の看板が、今では死体の闊歩する街となっていた。
ただし、ビルのあちこちではまだ生存者はいるらしく、こちらに向かって手を振っていたり、「中に生存者あり」や「SOS」という垂れ幕が下がっているビルもあった。
「……またか。」
直樹がバイクのハンドルを握りながら、小さくため息をついた。前方に見えるのは、横転した大型トラックと数台の乗用車。その周囲には、ゆっくりと歩くゾンビたちが数体、うめき声をあげて彷徨っていた。道はすでに完全に塞がれており、迂回するしかなさそうだった。
「ここもか……どんどんゾンビの数が増えてきてる。」
悠介が、緊張した面持ちで周囲を見渡しながら言った。
「無理に突っ込むのは危険だ。別の道を探そう。」
直樹が冷静に判断し、車を一旦バックさせて別のルートを探す。しかし、進むたびに同じような光景が広がり、迂回を繰り返す羽目になっていた。
彼らが長野市中心に差し掛かる頃、状況はさらに悪化していた。すでに道の両脇には焼け落ちた建物や、無残に打ち捨てられた車が至る所に散乱しており、まるでこの都市がすでに死んでしまったことを象徴していた。道路上には、腐敗したゾンビの姿が目立ち始め、次々と車の前に現れた。
「数が……多すぎる……」
咲良が、震える声でつぶやいた。
ゾンビの数は数十体にも及び、軽自動車が進むたびにその数は増えていく。やがて、車が数体のゾンビに囲まれ、立ち往生してしまった。
「やばい……もう動けない!」
悠介が叫んだ。鈴木美香は悲鳴をあげ、咲良はあまりの光景に硬直し、田中勝も引きつった表情で喚き散らした。
「おい!何とかしろよ!ちゃんと考えて運転しろよお前!!」
車の周囲に次々とゾンビが集まり、フロントガラスに腐った手を叩きつけながら、うめき声をあげる。数体が車のボディに体当たりし、まるでドアを開けようとするかのように揺れ動いている。恐怖が一気に押し寄せ、車内の空気は緊張で張り詰めた。
「どうする!?このままじゃ……」
咲良が怯えた表情で瞬に訴える。
少し引いた距離でバイクの後ろに乗っていた瞬がバックから何かを取り出した。それは、彼が以前から作り溜めていた自作の火炎瓶と爆竹だった。
「これでどうだ!」
そう言って、瞬は火炎瓶を車の前方のゾンビの集まっている方向に投げ込んだ。
「リナファイヤー!!」
瞬のオタク魂あふれる叫びと共に、火炎瓶がゾンビの群れの中で破裂し、炎が周囲を包んだ。瞬く間に火がゾンビたちに燃え移り、うめき声がさらに激しく響き渡る。
続けて、瞬は爆竹を点火し、車の後方に投げ出す。激しい破裂音が響くと、ゾンビたちはその音に反応し次々に爆竹に向かって歩いて行った。視力の弱いゾンビ達は大きな音のする方向に集中する傾向がある。爆竹はゾンビに囲まれた時に使える手として、バイカー達から教わっていたのだった。
「今だ!脱出する!」
悠介が叫び、直樹はその隙を逃さずバックに切り替えアクセルを踏み込んだ。車は何人かのゾンビを撥ね飛ばしながらもなんとか元来た道を戻る事に成功した。
「ふぅ……瞬、さっきのはナイスプレーだったな!やるじゃねえか!」
直樹がほっとした表情を浮かべ、瞬に親指を立てる。
「いやー、上手くいってよかったよ……」
瞬も緊張の糸が切れたのか、力なく笑った。
しかし、安心する間もなく、迂回先にも多くのゾンビが群れを成しており、なかなか目的地までの道にたどり着けなかった。
地元民であれば裏道も知っているかもしれないが、生憎全員土地勘のない新潟県人だけだったため、すぐに行き詰まった。
「このままじゃ信越大橋まで行けない……」
悠介が焦った声を漏らした。
「これならまだあのクソ工場に居た方がマシだった…」
そう吐き捨てる田中をここに置き去りにしたい衝動に駆られたが、ぐっと飲み込んで悠介は車を進めた。
逃げ惑いながら善光寺近くまで辿り着いたが、ここでも大量のゾンビが道を塞いでおり、もう車では進むことができなかった。いくら県庁所在地の長野市と言えども、ここまでゾンビが集結しているのは腑に落ちない。ドラゴンズヒルライダースの矢田が言っていた「長野市にゾンビが集結している」という話には何か裏がある。そんな予感が悠介にはしていた。
「どうする?あちこち迂回しすぎてバイクの燃料もあまりないぞ?」
直樹が険しい顔で言い、その時、鈴木家の家長、鈴木健一がふと思い出したように言った。
「戸隠経由で行けるルートがある。ここからなら信越大橋を目指せるかもしれない。」
その言葉に悠介も思い出していた。去年咲良とドライブをした際に、黒姫の辺りで戸隠方面に向かった事を、
子供の頃言った焼きとうもろこしの直売所を探して道に迷った挙句に長野市街に着いたのであった。
「あ~、確かにそのルートなら人も少ないし行けるかもしれない!」
悠介が頷き、一行はすぐにそのルートを進むことに決め、直樹たちに伝えた。ゾンビの脅威が背後から迫る中、彼らは戸隠に向けて方向転換した。
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