第10話 小桜さんは子犬っぽいので、すぐ抱き着く
南校舎の廊下。
放課後は人通りの少ないこの場所が今、凄まじい空気になっていた。
俺。
1年生の
三者の間の空気がぐにゃりと歪んでいるように感じる。
もちろんそれは俺の勝手なイメージだけど、とにかく冷や汗が止まらない。
理由は単純。
哀川さんが腕組みをしながら、ハイライトの消えかかった目で、
「誰? この泥棒猫みたいな子」
と小桜さんを見据えて、昼ドラでしか聞いたことないようなセリフを言い放ったからだ。
怖っ。
普通に怖っ。
なに?
いきなりどうしちゃったのさ、哀川さん……っ。
でもどう考えてもここは俺が間に入らないといけない場面だった。なので平静を装い、どうにか口を開く。
「哀川さん、とりあえず失礼だから初対面でそういう物言いはやめておこうね……?」
「そうですよ!」
俺が発言した途端、小桜さんがぴょんぴょんと跳ねながら話を被せてきた。
あ、待って。
小桜さん、お願いだから今は待って。
でも俺の心の声は届かない。
「わたしは猫さんっていうより、しっぽをぶんぶん振りながら甘える子犬さんタイプです! 訂正して謝罪広告を出して下さい! 大々的に!」
「そっち!? 確かに俺も小桜さんは子犬っぽいって思ってたけどさ……!」
「へえ……ハルキ君も同じ意見なんだ?」
「ちょ、なんでそこに反応するの、哀川さん!? ってか、何を怒ってるの……!?」
「別に怒ってないわ。あたしはただ事実の確認をしたいだけ」
黒髪をかき上げ、哀川さんは改めて小桜さんを見据える。
「で、誰なの? この泥棒子犬みたいな子」
あ、そこは言い直すんだ。
ひょっとすると哀川さんも子犬っぽいと思ってたのかもしれない。
「わかってくれれば構いません。えっへん!」
小桜さんは無意味に胸を張っている。
あ、言い直したらオッケーなんだ。
もう何がなんだかわからない……。
「とりあえず……こちらは小桜ゆにさん。手芸部の後輩なんだ」
「手芸部?」
哀川さんが形のいい眉を寄せる。
「ハルキ君、手芸部に入ってたの?」
「ああ、うん、バイトもあるからほぼ名義貸しみたいなものなんだけどね。
「ふーん……」
何か含みを残すような言い方でうなづく、哀川さん。はい、怖い。
実際、俺が手芸部に顔を出すのは週1ぐらいで、あとはだいたいバイトに行っているか、家で溜まった家事をしている。
たまに夏恋や小桜さんに半ば連行されることがあるけど、それでも多くて週2,3回といったところだと思う。
で、たぶん今日はその連行日だったのだろう。
「小桜さん、こちらは哀――」
「知ってますよ」
言葉の途中でカットインし、小桜さんはニコッと笑う。
「哀川
「あれ? 知り合い?」
「いいえ。でも知らないわけないです。だって哀川先輩といえば夏恋先輩と並ぶ、この
え、二大美少女……?
つい目を瞬いてしまう。
俺は哀川さんがぶっちぎりで学校一の美少女と称えられていると思っていた。でも小桜さん……いやひょっとすると1年生の間では哀川さんと夏恋で二大美少女ということらしい。
そんなことを考えていたら突然、小桜さんが俺の腕に抱き着いてきた。その視線は哀川さんの方へ向いている。
「まさか春木先輩があの哀川先輩とお近づきになってるなんて知りませんでした。改めまして、小桜ゆにです。気軽に『ゆにたん♪』って呼んで下さい」
「…………」
哀川さんは無言。
ただじっと小桜さんの視線を受け止めている。
というか、若干睨まれている気がする。
俺が。小桜さんではなく、俺が。
とりあえず怖いので、小桜さんには離れてもらおう。
そう思って腕を伸ばしかけたが、先に小桜さんが言葉を続けた。
ハイライトの消えかかっている哀川さんへ向けて。
「そのネイル、ピンクなんですね?」
え、ネイル?
なんで今、ネイル?
確かに今日の哀川さんはピンク色のラメ入りネイルをしてるけど……。
「……へえ」
突然、感心したように哀川さんが吐息をこぼした。
自分の指先をさすり、口の端を小さく上げる。
「わかるんだ?」
「わかります」
「あなたも可愛いポシェットしてるわよね?」
「はい、一番のお気に入りです」
哀川さんが指差したのは、小桜さんのトレードマークのポシェット。
もともとは白地だったものだけど、今は上から布を被せて、きれいなピンク色になっている。
偶然にも哀川さんのネイルと同じ色だった。
「いいわ」
それを見て、哀川さんは何かを納得したようだった。
「哀川美雨よ。あなたのことは……ゆにちゃん、でいい?」
「『ゆにたん♪』がいいんですけど」
「それはお断り」
「ざーんねんっ。じゃあ、ちゃん付けで妥協します」
「なら、あたしのことも名前呼びでいいから」
「はいっ、よろしくお願いします、哀川先輩!」
……えっ。
名前呼びでいいって言われたのに、苗字呼び。
俺、絶句。
横で聞いていて心臓がキュッとした。
しかし哀川さんは逆に楽しげだった。
値踏みするような目で笑う。
「ゆにちゃん、いい性格してるわね?」
「仕方ないんです。古来から敵に対する対応は、恭順か徹底抗戦って相場が決まってますから」
「確かに。その考え方は一理あると思うわ。悪い虫は早々に駆除しないとね?」
「ですです。大切なお花畑が悪い虫に食い荒らされてからじゃ遅いですから」
「ふふふふ」
「えへへへ」
お、お互い笑い合ってるのにぜんぜん空気が和やかじゃない……。
なぜかわからないけど、2人を見ていると、黒猫と子犬が威嚇し合ってる絵が浮かんでくる。
「あ、あのさ……なんで2人ともそんなにギスギスしてるの?」
そう問いかけた途端である。
「誰のせいだと」
「思ってるんですか?」
黒猫と子犬から同時にギンッと睨まれた。
「ひいっ!?」
思わず悲鳴を上げてしまった。
しかもたたらを踏んだ拍子に小桜さんの手が離れ、不運にも立ち位置が2対1のような構図になった。当然、1の方は俺。
「だいたい春木先輩は誰も彼もに優しすぎるんです。どーせまた常識外れな人助けして、哀川先輩のこと落としたんでしょう?」
「ちょ、小桜さん、人聞きが悪い!」
「ちょっと待って、ゆにちゃん。ハルキ君ってそういう人なの?」
「そういう人ですよ。わたしの時もそうでしたもん。この人の正体は『自分をモブだと思い込んでる、女たらし予備軍』なんです」
「何言ってんの、小桜さん!? ってか俺、そんなやつじゃないから……!」
「へー、ほー、ふーん……ハルキ君ってそうなんだぁ」
「違うってば!?」
「ハルキ君の反論は無視。ゆにちゃん、続きをお願い」
「ひどい……!」
「春木先輩は釣った魚にエサをやらないタイプです。女の子を落としたら、落としっ放し。自分から手を出してくることも一切ありません」
「あー」
「わかるわかる、みたいな顔しないで!」
「なのに女子からのアプローチには鉄壁なんです。抱き着いたって頬っぺたの一つも赤くしてくれませんし、ガードが固すぎるんですよ、春木先輩は」
「ん?」
「え?」
それまでうなづいていた哀川さんが突然、首をかしげた。直後、予想外のリアクションに驚いたように哀川さんの顔を見たのは、小桜さん。
あご先に指を当て、哀川さんは眉を寄せる。
「ハルキ君のガードが固い……?」
観察するようにじっと見つめられ、俺は思わず「う……っ」と頬が引きつった。
ええ、はい、
哀川さんにはからかわれて何度も赤面してますからね。本当にガードが固かったらそんなことにはなってないですからね。
だからそんな目で見るのはやめて頂きたい。
「ふーん……?」
ニヤニヤと哀川さんの顔にイタズラっぽい笑みが広がっていく。
あっ、よく見たら目のハイライトも戻ってきてる。
なんなんだ、この人。
「そっかぁ。ハルキ君ってガードが固い人だったのねー。そっかそっかぁ」
哀川さんがニヤニヤしながら俺の肩に肘を乗せてくる。
うわぁ、なんかすごい舐められてる感じがする……っ。
「あの、やめてくれるかな? 肩、重いんですけど……」
「あら、女子に対して重いなんて失礼ね。そんなこと言って、本当は嬉しいくせにー」
「……っ」
耳元で囁くように挑発された。
舐められてる。
なんかもうメチャクチャ舐められてる。
腹が立つけど、ここで騒いだら負けなのは明白だ。
だから
そうしていると、
「は、春木先輩~……っ」
なぜか小桜さんが涙目で頬っぺたを膨らませていた。
「え? ど、どうしたの、小桜さん……!」
「――デートして下さい!」
「へっ!?」
小桜さんに思いっきり腕を引っ張られた。
俺の肩に肘を乗せていた哀川さんは「あらあら」と体勢を崩すが、その表情にはなぜかさっきよりも余裕がある。
むしろ余裕がないのは小桜さんだ。
俺の腕にしがみつくようにして言い募ってくる。
「デートして下さい、春木先輩!」
「え、デートって……」
「新しい毛糸玉の買い出しです! もともと今日は手芸部の買い出しに付き合ってほしくて、春木先輩のこと探してたんです」
「あ、ああ、なるほど……」
小桜さんがきた時に言っていた、『こんなところにいた』はそういう意味だったのか。
この分だとたぶんスマホにメッセージも送ってくれてそうだけど、さっきまで哀川さんと話していたから見ていなかった。
買い出しなら普段も付き合ってるから別にいい。
でもデートっていうのはさすがに……。
「んー……」
その時、発言したのは哀川さん。
「オッケー、許したげる」
「なんでぇ!?」
「許可が下りました。行きますよ、春木先輩っ!」
哀川さんに「いってらっしゃーい」とひらひら手を振られ、強制連行。
小桜さんにグイグイと引っ張られて、なぜか買い物デートをすることになってしまった。
いや何考えてるのさ、哀川さん……!?
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また週末に更新します。
次回は『第11話 小桜さんと買い物デート(?)』です。
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