心を捨てた王と、夜だけ身代わりの妻となった王女の話

月乃ひかり

第1話

──完璧なまでに劣勢だった。


 いや、窮地に陥っているとさえ言っていい。

 それでも何とか持ちこたえているのは、この塔の階段が狭く曲がりくねって、敵兵を一人ずつ相手にできるからだ。


 階下からは、逃げ惑う女たちの悲鳴や剣戟けんげきの音が途切れることなく、響き渡っている。

 ランヴァルトは眼前の敵の首を跳ねると、また新たに挑んでくる敵に剣を振りかざした。


「お前ら、余を誰かと分かっての襲撃かっ!」

「もちろんですとも、国王陛下。だがもうすぐ、あなたの叔父、ミヒャエル様が国王となる」

「裏切り者めっ!」

「国王と王妃の首をとれば、莫大な報酬が約束されているんでね」


 男が下卑た笑みを浮かべて、ランヴァルトに斬りかかる。

 もはやランヴァルトの服は数えきれないほどの敵を殺し、所々切り裂けて、敵か自分のかも判別できないほどの血で汚れていた。

 すんでのところで剣先を躱し、急所に狙いを定めて己の剣を振りかざす。だが、一人倒してもまた次の敵がすぐに襲い掛かってきた。


「くそっ! きりがない」


 ランヴァルトは血の混じった汗を拭う暇もなく、次々と襲い掛かる敵の剣をなぎ払う。


 ──裏切られたのだ。

 まさか信頼しきっていた叔父が謀反を起こすとは。

 父が崩御して以降、ずっとそばで支え、ランヴァルトを国王として導いてくれたその人に。


 ──いや、今は余計なことを考えるな。

 敵を倒すことだけに専念しろ。自分に何かあっては、八ヶ月の身重の愛妃が殺されてしまう。


 ランヴァルトは自身が盾となって愛妃を先に塔の最上階に逃がし、じわじわと追い詰めてくる敵を倒しては、一段一段階段を上る。

 それでも最上階まで昇りつめたところで、あるのは物見台に使う小さな部屋だけだ。

 だが、ほかに道はない。自分が力尽きる前に、彼女を安全な場所まで逃がさなくては。


「リリィ! 早くその部屋に入って中からかんぬきを掛けろ!」

「いやっ、陛下が一緒でなければだめです。はやく、はやくっ!」


 ランヴァルトは舌打ちした。

 リリアーナは一度言いだしたらきかない性格だ。彼女は分厚い木の扉を少しだけ開けて、はらはらしながらランヴァルトが入ってくるのを待っている。


 なんとか一番上の階段の踊り場に着いたところで、傍にあった木の大樽を蹴り落とす。敵兵が怯んだその隙に、リリアーナの待つ扉の中に飛び込んだその時。


「──うっ!」


 リリアーナの胸を一本の黒光りする矢が貫いた。


「リリィっ──!」


 なんということだ! 

 ランヴァルトは崩れ落ちそうな彼女を抱きとめ、足で扉を勢いよく閉め閂を降ろす。彼女は美しいかんばせを苦痛に歪めていた。


「リリィっ! 大丈夫かっ」

「ああ、陛下。よかった……、ご無事で……」


 リリアーナに刺さった矢は運悪く心臓の少し上、肺を貫通しているようだった。

 なにより彼女を刺し貫いている矢を見て、憤怒が腹の底から沸き上がった。


 鉄の矢は戦の際に鎧をつけた兵士に向けて放つものだ。決して女こどもに向ける矢ではない。 

 リリアーナの顔色は真っ青だった。出血多量で今にも息絶えてしまいそうなほどに。

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