26_ホレイショ②
ホレイショがアヤセを案内した店は、東地区のポロマック川北岸にある壁で囲われた区画内の一件の店だった。
多忙なはずの事務職員から依頼の内容を根掘り葉掘り聞かれ、報酬を受取るのに手間取ったり、ポロマック川南岸にある工房から北岸に移る際の艀を捕まえるのに難儀したり、港湾労働者や荷下ろしされた積み荷を商う仲買人達でごった返す港湾地区をかき分けるように進んだりして、ようやく店にたどり着いた頃には、日が傾いていた。時刻は午後七時を回り、城門も閉じられ、酒場という酒場には一日の生業を終えたプレイヤーや労働者等のNPCで溢れかえるのだが、ホレイショが案内したのは、大衆酒場のような佇まいであるが、客足もほどほどで、他の酒場のような騒がしさが全く無い落ち着きのある店だった。
「な? 良い店だろう? さあ、入った、入った」
ホレイショは自慢げにアヤセを案内する。
「あら、ホレイショさん、いらっしゃい!」
「よう、オチヨちゃん。また来たぜ。今日は頼まれていた樽を持ってきたぜ。どこに出せばいい?」
「本当ですかぁ! ありがとう、ホレイショさん! お父ちゃんもきっと喜びます。じゃあ、奥にお願いしますね」
「了解だ。済まんが、ちょっと待っていてくれ。すぐ戻るから」
そう言って、ホレイショは、オチヨという女性の店員と店の奥へ入っていった。アヤセは、眠そうにしているチーちゃんを脱いだケピ帽の中に収め、店の入口近くで待っていたが、程なくして二人は戻ってくる。
「アヤセさんっ! あんなに素敵なポテンシャルを付けてくれてありがとうございます! カラーリング、かっこいいですね!」
「おいおい、『熟成』じゃなくてそっちかよ! それよりも早く席に案内してくんな」
「あっ、ごめんなさーい。いつもの上がり席でいいですよね?」
オチヨは、十七、八歳くらいの黒髪のショートカットが似合う活発そうな少女だった。現実世界でチェーン系の居酒屋店員の制服を彷彿とさせる、裾が短くて、明るい色合いの浴衣のような服は、彼女によく似合っている。
「これは……、畳?」
店内の席は、カウンター席とテーブル席の他に座敷があり、そこには、類似品とかではなく、畳そのものが敷かれていた。真新しい畳からは、い草の香りが漂ってきそうだ。
「そうだ。珍しいだろ?」
ホレイショは、履物を脱ぎ、慣れた様子で畳に腰をおろす。アヤセもそれに倣い下足の上、座敷に座るホレイショと正対した。脱刀して、プリスを脱ぎ傍らに置くと同時に、既にケピ帽の中で眠っているチーちゃんを置いたプリスの上に載せた後、畳に着座する。
「お前さん……」
「正座に慣れていますので気にしないでください」
「お、おう」
胡坐をかいて楽にするホレイショとは対照的に、背筋を伸ばし正座をするアヤセ。ホレイショは、その姿勢の良さに戸惑いを見せたが、すぐに気を取り直した。
「店内は、時代劇で見る居酒屋みたいな間取りですね。ゲーム内でこれほど和の趣が出ている建物は、初めて見ましたよ」
「この辺りの壁で囲われた地区は『バンボー』って呼ばれていて、和のテイストが混じった建物が多いよな。それでも、ここまで近所の蕎麦屋みたいな内装の店は、バンボー内のみならず王国内を探したってそうは無いだろうぜ」
「『バンボー』? もしかしたら、『蕃坊』のことかもしれませんね」
「そりゃ何だ?」
「『蕃坊』とは簡単に言うと外国人居留地のことです。中国の唐の時代に広州とかで形成されて、アラビア人等が生活していたそうですよ」
「ほう、そうなのか。外国人の居住地区ということなら、何となく話が繋がるな」
「?」
「まあ、実際に確かめてもらった方が早いな。お前さん、酒はイケるか? あと、嫌いな食べ物はあるか?」
「ええ、酒は人より弱いですが、多少なら大丈夫です。食べ物は、唐辛子系の辛いものが苦手です」
「分かった。ここでは辛いものは滅多に出ないから安心してくれ。おーい、オチヨちゃん!」
ホレイショの呼びかけに、先ほどの女性店員が寄ってくる。
「ホレイショさん、ご注文ですか?」
「ああ、いつものやつを。つまみは、辛いの無しで適当に何品か頼む。それで、オチヨちゃん、さっきも言ったが、こいつは、アイテムマスターのアヤセって言うんだ。工房で一緒になったので連れてきたが、樽のポテンシャルを見てもらったとおり、有望な奴だ」
「先ほどは済みませんでした。アヤセさん、初めまして。私、オチヨって言います」
「初めまして、アヤセです。ここは、良いお店ですね。何だかとても落ち着きます」
「まぁ、ありがとうございます。今後とも、ご贔屓にしてくださいね!」
「オチヨちゃんは、この店の看板娘だ。それでよ、いきなりで悪いんだが、前に俺に話してくれた『バンボー』の住民達はどこからやって来たのかってことを、こいつにも教えてやってくれないか?」
「あ、はい。いいですよ。私達、バンボーの住民ですが、二百年くらい前に東の海を渡ってきた人達の子孫なのだそうです」
「!」
オチヨの話にアヤセは息をのむ。
「何でも、元々住んでいた国を何らかの理由で追われたそうなのですが、私達もどうしてそうなったのか分からないのですよねー。こうやって食べ物とか服とか家はご先祖様の知恵を受け継いでいるのに、肝心の部分が伝わっていないのが不思議ですよね」
「伝承が欠けるのにも何かしらの理由があるのだろうけどよ、それも今となっては分からないよな。ありがとうオチヨちゃん。それじゃ、注文頼んだぜ」
「はーい。それじゃあ、お酒とお料理はすぐにお持ちしまーす」
オチヨが厨房に戻るのを見送りながら、ホレイショが口を開く。
「どうだ。聞いたか?」
「はい。聞きました。『蕃坊』という居住区の存在や、住民が隠しもせず東国からの亡命者の末裔を公言したりと、これだけヒントがあったら大陸東部の未開放部分は、海の向こう側にあると察しがつきそうです」
「ああ、その通りだ。東部攻略は『新大陸』への航路開拓が攻略の重要な鍵になるだろう」
「今まで、東部は『大陸の袋小路』というイメージが共通認識でしたが、これで状況が変わりますね。それで、広さも分からない大洋が行く手を阻んでいる東部の攻略は、他の方面と全く違う対策が求められそうです。北部で攻略競争をしているトップクランでさえ、そう簡単に突破できるとは、到底思えません」
「西部や南部もそれぞれ特性があるが、陸続きには変わりないからな。そう思うと東部の特殊性や異様さが際立っていることが分かるってもんだぜ」
「海には船でしょうから、『操船術』の技能レベルが必須になりますね。あ、でも空もあるか? いや、それはあまりにイレギュラー過ぎるな……。やはり、普通に考えれば、船舶だな。東部以外の方面では、先行組のクランやプレイヤーに有利な傾向でしたが、ここでは、やり方次第で後続組も攻略競争に参入できるかもしれませんね」
「まさに、それよ。だから俺達もそれに賭けて、皆で力を合わせて頑張っていたんだ……」
「俺達?」
ホレイショの最後の言葉は、辛いことを思い出すかのような絞り出された声で語られた。アヤセが事情の深さを感じ取り、続きを問おうとした際に、オチヨが二人へ膳を運んでくる。ちなみにこの店の座敷には、テーブルが無いため、料理や酒は膳に置いて飲食をすることになる。運ばれてきた膳には、魚の刺身に畳鰯のような料理と、これも畳と同じように類似品では無く、徳利とお猪口そのものが載っていた。
「話の続きはこの後だ。まずは酒を味わってみてくれ」
ホレイショがアヤセに徳利を差し出す。それを受けてアヤセは、お猪口を手に取り液体を注いでもらった。
アヤセは、液体を口に含む。口に広がったのは、アヤセが想像していたとおりの香りと味だった。
「日本酒! これは日本酒だ!」
「この酒をおそらく飲めるのは、ここだけしかないと俺は思っている。現状かなり貴重なものだろうな」
TEWでは、現在に至るまでイネは発見されておらず、当然、米を原料とする食品も出現が確認されていない。攻略勢もイネや米製品の発見に心血を注いでいるという話は、アヤセも知っていたが、まさか王都の一角でこんな簡単にお目にかかれるとは思ってもみなかった。
「イネの存在は、この大陸においてまだ報告が上がっていない。この酒は、東の新大陸からはるばる運ばれてきた物だ」
「東方との交易は既に行われているのですか?」
「ああ。王国が東方と交易をしている。だがな、今の王国の航海技術レベルでは外洋には出られない。東方側が設けた中継地点まで行くのが限界だ。東方側は、持込む交易品全ての需要が高いことを知っていて、随分値段を釣り上げている。まぁ、あちらさんも運べる量に限りがあるし、わざわざ危険を冒して遠いところまで交易品を運んで来るのだから、暴利とも言い切れないな」
「詳しいですね。人によっては、喉から手が出るほど欲しい情報だと思いますよ。一体どこで情報を手に入れたのですか?」
「ここまでは、仲間達と調べた結果だ。俺達は、情報をキングストン公国で手に入れたんだ」
「キングストン公国……。確か、東部諸国の一国で、つい最近帝国に滅ぼされた国ですよね?」
「ああ。王国の北隣にあった都市国家だ。実は、東方と交易していたのは、元々王国と公国の二国だったんだが、公国が滅亡したことによって、王国だけが唯一の貿易相手国になったっていう経緯がある。王国も公国が滅亡した現状、ライバルが増えるのを嫌って、東方交易は、高レベルの機密事項として扱っている。俺達は、つい先月までキングストン公国を拠点に活動していたんだが、公国が滅亡して俺だけ王都に逃げて来たのさ。今はこうして、日銭を稼ぐため、工房に出入りして、小さな仕事にありついて生活している有様だ」
ホレイショは寂しそうに語り、日本酒をあおるように一気に飲み干す。
アヤセが徳利を差し出したが、彼はそれを断った。
「ありがとうよ。だが、めいめい手酌でやろう」
アヤセは、ホレイショの申し出に頷き徳利を引っ込めた。
「それで、逃れてきたのはホレイショさんだけだったのですか? 他の方はどうされたのでしょうか?」
「実はな、今日、お前さんを飲みに誘ったのは、どうしても頼みたいことがあったからなんだ。だが、その前にお前さんの疑問に対する答えも含めて、俺の話を聞いてくれないか? 少し長くなるが……」
「それは、構いません」
「そうかい。そいつは、助かるぜ」
ホレイショは再度、お猪口をあおる。そして、静かに語り始めた。
「俺の、いや、俺達の目標は、自らの手で設計・造船した帆船で世界の海に繰り出して、まだ謎に包まれている全海域を開放することだったんだ」
出だしから壮大な話が語られ、驚くアヤセだったが、話の続きを待つ。
「初めは、二、三人の小さな集まりだったそうだが、同じような目標を持ったプレイヤー達が、当時航海技術レベルが大陸最高だったキングストン公国の首都であるポートキングストンに集い始めて、次第に大きな集団になっていった。俺も職場の仲間に誘われて、その集まりに参加したんだ」
(「職場の仲間」とは現実世界の話だろうな)
「ゲーム上の俺の職業は大工だから、船体やらマストやらを作る役割だったんだが、仲間の中に造船工学の専門家がいてな、一番の難点と思われた設計が、思いのほか上手くいったのがツイていた。そのうち、公国も興味を示して、人や金や物の援助を申し出てきた。キングストン公とその娘の姫さんが人格者で、身分に捉われず俺達に接してくれて、公私にわたり色々と面倒を見てもらったんだ。向こうも造られている船の価値を知っていたという面もあっただろうが、俺達は、キングストン公と姫さんに数えきれないくらい恩を受けたって訳だ」
「……」
「実際、船体自体は完成していた。十八門搭載のブリガンティン。小型だがその分小回りも利くし、最新鋭の大砲を積むから火力も十分、『彼女』は何より気品があって、どんな既製の船よりも外見も性能も優れているという自負を俺達に持たせる船だった。大砲の開発が遅れていたが、後は、艤装を終えればいつでも大海原に出帆できる……。俺達の夢は、手を伸ばせば届くところまで来ていたんだ」
ホレイショは、お猪口をあおる。一気に日本酒を飲み干すと、徳利から酒を注ぎ直し、再びあおる。
アヤセは、これだけ飲んでも、酔う素振りを見せないホレイショに対し、心のなかで感嘆する。ゲーム中のアルコール耐性の強弱は、プレイヤー自身のバイタルで判定されるようなので、現実世界においてもホレイショの酒量は、きっと相当なものなのだろう。当の本人は、アヤセの驚きをよそに、また杯を重ねる。
「だが、俺達の夢は、帝国のクソッタレ共にぶち壊された! 突然、二十万近い帝国軍が公国に攻めてきて、あっという間にポートキングストンが
「……」
ホレイショは、膳にお猪口を置き、目を固く瞑る。公国首都ポートキングストンが陥落し、帝国軍の暴挙によって生み出された凄惨な光景を思い出しているのだろう。アヤセは、ホレイショの気持ちが落ち着くまで黙って待つ。
「ひでぇことに、略奪や破壊には、帝国軍に組込まれたモンスターやトップクランのプレイヤー共も加わっていやがった。後で聞いたが、NPCの帝国兵共より、寧ろこいつらの方が嬉々として積極的にやっていたって話だから始末が悪いぜ」
「モンスター? 帝国軍にモンスターがいるのですか?」
話の腰を折るつもりはなかったのだが、アヤセは思わず尋ねてしまう。
「ああ、どんな方法か分からないが、帝国軍は大小様々なモンスターを使役している。頭が悪いのと、敵味方の区別もつかず人殺しを好む傾向が欠点らしいが、いくらでも使い捨てにできる戦力だから帝国軍も重宝してるようだな。全く汚ぇ真似しやがって!」
「自分も帝国領内の村落で、モンスターの群れに襲われて死に戻ったことがありました。もしかしたら、あれは、帝国軍所属だったのかも……」
(通常、モンスターは安全地帯の村落等に入って来られないのだが、帝国軍に使役されているモンスターは、扱いが軍馬とかと同じになって、モンスターとして認識されず街中に入り込んで来るのかもしれないな。敵味方の区別もできないくらいだから、帝国民であっても例外なく被害を受けるのだろう。これなら、以前、大陸西部に向かう途中、安全地帯で自分が襲われた理由として説明がつきそうだ)
アヤセは、戦争を有利に進めたいがために、ある意味自国民に犠牲を強いる帝国のやり方に不快感を抱かずにはいられない。そしてもう一点、こちらの方も決して看過することができない問題があった。帝国に所在するトップクラン団員の従軍だ。
「それにしてもトップクランがそこまで非道な真似をするとは……。ですが、プレイヤーが参戦できるなら戦争イベントなのでしょうが、このイベントで略奪や破壊ができるなんて話を聞いたことがありません」
「ああ、今回は、いつもの戦争イベントとは違っていた。幸いイベントという括りなのか分からんが、奇跡的にNPCの住民に死人は出なかったようだな。しかし、そうは言っても公国側の騎士や兵隊は大勢死んだし、挙句の果てには、イベントに参加していないプレイヤーまでもが犠牲になった。かくいう俺もその一人だ」
このゲームでは、様々なイベントが実施されるが、その中の一つに「戦争イベント」というものがある。万単位のプレイヤーが参加する大規模なイベントであるが、あくまで戦場で両軍に別れて戦闘を進行するものあり、今回のようなポートキングストンにおける略奪や破壊等の行為は含まれない。
もし、戦争イベントによる略奪と破壊に勝者側のプレイヤーが参加できるのなら、通常では計り知れない恩恵を受けることになるだろう。例えば、王城内の宝物庫奥に眠っている、門外不出のレアアイテムを強奪するチャンスを得ることだってできるし、戦意喪失した満身創痍の敵国騎士や兵士、果ては、その場に居合わせたイベントに参加していない自分達より弱いプレイヤーをPKペナルティ等のリスクを気にすること無く一方的に狩って、膨大な経験値を掻き集めることができるからだ。これだけのメリットがあれば、この際良心を捨てて自分の欲望を満たそうと狂奔する輩が現れてもおかしくはない。
(正に「戦争が成せる狂気」と言ったところか。だが、どうして今回のイベントでこんなことができるようになったのだろうか)
―今やほとんどのトップクランが帝国と結託してやりたい放題だ-
以前、クラン「ビースト・ワイルド」の牛頭が言っていた言葉をアヤセは思い出す。牛頭達の所業には、共感の余地は一切無いが、帝国とトップクランとの関係の実情としては、この言葉が全てを物語っていると思われる。
(これは、そもそもイベントではない? いや、これだけ多くのプレイヤーが巻き込まれているのだから、イベント以外考えられない。だが、発動権が運営ではなく、帝国と結託したトップクランにあるとしたら? 何かしらの方法で本来プレイヤーが介入できないところまで潜り込んで、帝国軍に使役されるモンスターのように軍属扱いになって裏で帝国軍に働きかけて、おまけに略奪と破壊に加わっている? 一見荒唐無稽に聞こえるが、トップクランの帝国軍に対する影響力を考えると、あり得ない話ではないかもしれない)
トップクラン「ブラックローズ・ヴァルキリー」のアイオスの顔がアヤセの脳裏をよぎる。
(アイオス副長は、以前自分には、帝国軍に大きな伝手があるって自慢していたな。確かにあのクランの財力や本人の交渉力があれば軍内に強力なコネを作り出だすのは、不可能な話ではないだろう。それに、何よりあそこの幹部達は、自分の欲望に正直すぎるくらい忠実な奴らだ。連中にとって、自己の欲望を満たすチャンスが目の前にあったら、例え万人が不幸になろうとお構いなしに違いない)
アイオスや他のクラン幹部達を思い浮かべ、苦々しい思いになるアヤセ。奴らはポートキングストンに姿を現し、略奪や破壊に加わったのだろうか?
「最終的には、ブリガンディンもトップクランのプレイヤー共に面白半分に破壊され、それを阻止しようと抵抗した俺達も全員死に戻りをくらった。生産職の俺達は、誰一人としてヘラヘラ笑うあいつらに、傷一つ付けることすらできなかった。……船を失い、実力の違いを見せつけられて、ほとんどの仲間が絶望して、そして嫌気がさして引退しちまったんだ」
「……」
自らもトップクラン「ブラックローズ・ヴァルキリー」に対して私怨を持っているアヤセは、ポートキングストンで非道の限りを尽くしたトップクランの団員達に対するホレイショの怒りや自分達の夢を守りきれなかった無念さを身に染みて理解できた。
「今までつぎ込んできた、金と時間と労力が一瞬で無駄になるのは、相当こたえるな。心が折れた仲間達の気持ちも分かる。だが、俺はまだあきらめちゃいねぇ! 今度こそ船を完成させて、帝国とポートキングストンの略奪と破壊に加わったクランの連中に対し、目に物を見せてやる! そして、公国を帝国の支配から解放するんだ!」
ホレイショはお猪口の酒を飲み、一息つく。
「住民に死人が出なかったとは言ったが、皆戦争で何かしらの被害を受けている。……略奪で全財産を奪われ、家まで失ったヤツ、戦死した騎士や兵士の遺族、帝国の兵士に乱暴された女達、俺達のブリガンディンの破壊を止めさせるためにプレイヤーの前に立ちはだかって、瀕死の重傷を負ったヤツもいた。戦争イベント自体は終わったが、公国の住民達は今でも占領軍の帝国によって苦しめられていることに変りはねぇ!」
(敗戦国の宿命、か。それにしても、こんな結果を生み出したトップクランの奴らは、到底許していいものではないな……!)
現在のポートキングストンの惨状が目に浮かぶ。
「単純に船を建造すると言っても、携わる人間は計り知れない数になる。大工に鍛冶師、裁縫師、それに錬金術師は、色々と重宝がられたな。とてもではないがプレイヤーの人数だけでは手が回らないと思い知らされて、挫折を味わい、計画を諦めかけたことが何度もあった。だが、俺達の夢は、決して潰えることが無かった」
胸にこみ上げてくるものがあるのか、ホレイショの目がかすかに光る。
「それは、俺達の夢に共感してくれた大勢のNPCの後押しがあったからだ。キングストン公や姫さんだけじゃねぇ、本当に、本当に大勢のポートキングストンの住民NPC達だ。船が完成一歩手前まで行けたのもそんな連中の手助けがあったからこそだ。……極端な話、船が壊されたってどうってことない。また作り直せばいい。だが、今まで俺達と苦楽を共にしてきたNPC達が、苦しむ様は見ちゃいられねぇ。俺達の受けた恩は、こんな時にこそ返さなければならねぇんだ!」
(帝国とトップクランに対する復讐とキングストン公国の解放……。それが今のホレイショさんの目標なのだろうか?)
「とは言え、職場の仲間にもまた戻って来るように呼び掛けているが、仕事の関係もあって、中々復帰が難しくて残念ながら今は俺一人だけだ。さすがに一人ではできることが限られちまう。一応、航海技術レベルが比較的高い王都に移り住んで、さっきも話したが、工房を出入りして日銭を稼ぎながら、少しでも使えそうな物をベン爺さん達から集めて回っている状態だ。このままでは、船の完成がいつになるかわかりゃしねぇ……」
ホレイショはため息を漏らす。高い理想とそれに追い付かない現実が、彼を憂鬱にさせていることが窺い知れる。
ここまで話を聞いたアヤセは、ホレイショが自身に頼みたいことが何なのか察しがついた。
「俺の話は以上だ。すまねぇ、暗い話になっちまった。それで、本題に戻るが、お前さんに頼みたいことなんだが……」
「ええ。何となく分かりました。簡単に言うと造船の手伝いですね」
「……! ははっ! さすが話が早いな! その通りだ」
ホレイショは、アヤセが自身の考えを察したことに我が意を得たりと笑顔を見せるが、すぐに真剣な表情に戻る。
「本当のことを言うが、今まで『あの』アイテムマスターが扱うポテンシャルなんて、アイテム類の性能の足を引っ張るか、おふざけ程度のものでしかないと決めつけていた。だが今日のお前さんを見て、付与を行うアイテムマスター次第では、とんでもない可能性を引き出せることを実感させられたぜ。お前さんも知っていると思うが、船には種類を問わず、膨大な素材が必要になる。当然、質も求められることには変り無い。お前さんの力があれば、素材の能力の底上げができるだろう。それがあればブリガンディンとは言わず、フリゲート艦やそれ以上の等級の船を作り上げることだって、夢じゃないはずだ」
アヤセの目を見る真剣な眼差しはとても熱い。同じ復讐という目的を持ちながら、自身と目の前にいる男には、明らかな違いがあることにアヤセは気付く。その違いとは一体何なのか? アヤセは自問する。
(この男と自分の違いは、「思い」の有る無しだろう。船に対する思い。……簡単だが決定的な違いだ)
自分でも言ったとおり、ホレイショは当初の目標を諦めてはいない。トップクランへの復讐や公国奪還の目標も掲げているが、彼の根底には船に対する深い思い入れや未知なる世界への探究心があり、それが大きな原動力になっているのである。アヤセは初め、自身とホレイショが同じような目的を持っていると思っていたが、それは思い違いで、復讐だけが目的の自身とは、似ても似つかないものだったのだ。
「勿論、お前さんにもやることがあるだろうから、何も全部を手伝ってくれと言っている訳じゃない。俺が集めてきた素材に片手間でポテンシャルを付与してくれるだけでもいい。お前さんの才能を見込んで頼ませてもらう! 頼むっ!」
ホレイショは、目の前の膳に顔を突っ込ませる勢いで頭を下げる。
これに対するアヤセの答えは、既に決まっている。ホレイショにとって、帝国とそれに与するトップクランに対する復讐は、あくまで目標の過程でしかないかもしれないが、アヤセ自身の目標と共通するところがある。同床異夢でいずれ袂を分かつことになるだろうが、それまでは相互に利用する価値があるはずだ。
「頭を上げてください。ホレイショさんの志はよく伝わってきました。自分も最新艦に乗船して東方へ行ってみたいですし、帝国に苦しめられているポートキングストンの人達の力になりたいとも思いました。ですから、申し出に是非協力をさせてください。ただし、造船の知識は全く持っていませんので、できることと言えば、ポテンシャル付与と素材調達を余裕がある際にお手伝いする程度になりそうですが」
「本当か? その申し出だけでも構わねぇ! ありがてぇことだぜ!」
ホレイショは、自らの申し出が快諾を得られたことに再び笑顔を見せた。
「それに……、自分もトップクランに思うところがあります。傍若無人に振舞う連中を叩き潰せるなら、何だってするつもりです」
一瞬、本音を覗かせ、冷たい表情を見せたアヤセにホレイショは気付いたが、話の区切りがついたタイミングを見計らうように、オチヨが一本の徳利を二人の前に運んで来る。
「ん? 酒は頼んでいないはずだが?」
「これは、店からのサービスです」
訝しむホレイショにオチヨは、答える。
「ごめんなさい。盗み聞きをするつもりはなかったのですが、お二人のお話が聞こえてしまって……。いつも一人で頑張っているホレイショさんが、今日こうして、協力してくれる人に出会えて、本当に良かったなって……。お二人の出会いをお祝いさせて欲しいとお父ちゃんも言っていました。もちろん、私もです。私、ホレイショさんの夢を応援しています。目標に向かって頑張っているホレイショさんの姿を見るのが私、大好きですから!」
そう言って、顔を真っ赤にしたオチヨは、店の奥に驚くほどの速さで消えてしまった。
ここまでストレートな愛情表現を見せられたら、いくら鈍いアヤセでもオチヨがホレイショに惚れていることくらいは分かるというものである。
アヤセの視線を受け、ホレイショは苦笑いをした。
「おいおい、止めろよ! 俺はそんな柄じゃないぞ。……まぁ、正直に言うと、あの娘の気持ちは薄々気付いてはいた。だが、NPCとは言え、下手したら親子くらいの年齢差がある小娘を
「済みません。決して他意があった訳ではありません」
「ああ、分かっている。あの娘に今後どう言い聞かせていくかは、俺の問題だ。頭が痛い問題には違いないが。それよりも、せっかくここの大将が酒を奢ってくれたんだ。きっといい酒に違いない。オチヨちゃんが言ったとおり、これで『固めの杯』と決め込もうぜ」
「そうですね。自分達の門出を祝して乾杯しましょう」
すぐに二つのお猪口には、酒が並々に注がれる。お互いお猪口を眼前に掲げ、それを二人は一気に飲み干す。
アヤセの口の中で広がった芳醇な香りに爽やかな後味は、以前上司に連れられて飲みに行った、高級な店で出された「高い日本酒」を彷彿とさせた(酒の弱いアヤセは、酒量を控えてこの日本酒をあまり飲まなかったが、会計時に割り勘で示された金額を見て、あの時もう少し飲んでおけば良かったと後悔するくらい高級で美味い酒だった)。
「やっぱり、美味い酒だったぜ。大将とオチヨちゃんの心意気に感謝しないといけないな。それで、改めてよろしく頼むぜ。今日からお前さんは俺の相棒だ」
「ええ。よろしくお願いします」
「それでよ、早速一つ提案なんだが、俺達はお互い相棒同士だからな、お前さんのその丁寧な話し方は、俺達の間では止めにしないか?」
「うーん、そうですか? どうも、職業柄敬語を使うのに慣れていまして、自分的にはこっちの方が気軽なのですが……」
「お前さん一体、どんな仕事をしてんだ? だが、俺達は対等な『相棒』なんだ。年齢も俺の方が上だろうから、敬語を使わないといけないと思うかもしれないが、だからこそ、年齢や立場を取っ払って同志として行動するためには、言葉も対等にしないといけない。……違うか?」
ホレイショの提案にアヤセは、少し考え込むが結論を出す。
「……分かりました。『相棒』という対等な関係にこそ意味があると言われるのでしたら、その提案を受けさせていただきたいと思います。改めて、よろしく頼む。相棒」
「ああ、今後ともよろしくな、相棒!」
ホレイショは、再び酒で満たされたお猪口を眼前に掲げるが、一気には飲み干さず一口だけ口に含む。
「こんなに美味い酒は、味わって飲まないとな。勿体ないぜ!」
二人は、大笑して、おそらく今後滅多にお目にかかれないであろう名酒を少しずつ味わうのだった。
――これよりしばらく後、東方新大陸発見のニュースが、大陸全土を駆け巡る。この偉業はプレイヤーを中核とした、ある集団によって成し遂げられるのだが、二人の出会いは、その端緒となる小さな出来事であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます