第8話

最初に印象的な場面があって、引きずられるように本の世界に入り込むのも好きだけど、ゆっくりゆっくりと踏み入って、いつのまにか深く、染み込むようにその世界観に魅了されていくのも好き。


そのどちらも、読み込むためには時間も場所も必要で。


今日はそのどちらも理想的に揃っていた。


幸せな時間が過ごせそうで嬉しくなる。


ペラリ、ペラリ、と自分が捲る紙の音だけが鼓膜を震わせ、じわりじわりと本の世界に浸食していった。


気付くと本に影ができていて、何の気なしに顔を上げると、目の前にはさっきまではいなかったはずの前の席に誰かが座ってこちらを見ていた。



「……え、」


「……すごい集中力、だな」



驚きと呆れを含んだ声音。



「……」



驚きのあまり言葉が出なかった。


と、同時に目の前にある人物が、確かに知っているはずなのに名前がとっさに出てこない。



「分かる?俺のこと」



まるで私の心を読んだみたいに、その誰かが聞いてくる。


知らない。


と、答えるにはあまりにも失礼なことだと分かっていた。


だって、一応クラスメイトだし。


終業式が終わっていないから、現在進行形のクラスメイトの名前を忘れただなんて、言えるわけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る