第2話 神的人間と、人間くさい人間

私が京都の僧堂にいた時、現在の大阪・堺・南宗寺の老師が、(老師になる前)まだ雲水でいらした頃ですが、ある日の午後、2人きりで約3時間、薪割りをしたことがあります。

斧や薪の扱い方、休憩時の食べ物の食べ方等々、10数年間の僧堂生活による「慣れ」では説明がつかないほど「神がかり的」でした。

やはり、京都での雲水時代、妙心寺の坊主の700年遠忌(死者に対する十三年忌以上、十七年・二十五年・五十年・百年などの遠い年忌法会。遠年忌)なんていう行事に参加して、日本全国から参集した老師たちを(参禅で)拝見しましたが、かの雲水(老師)ほど、独自の雰囲気を持つ老師というのにお目にかかったことはありませんでした(早い話、みな人間的)。

6年間の禅坊主時代に出会った数百人もの坊主にも、ああいう神がかり的な雰囲気の坊主はいませんでした。京都での僧堂時代は、神まで行かずとも正直な人間(坊主・雲水)ばかりでしたが、関東に帰ってからの葬式坊主時代は、「嘘や肩書きで神がかり的な雰囲気」を身にまとおうとする「クソ坊主」ばかりというのは、関西と関東の何ごとかの違いを暗示しているのか象徴しているというべきなのか。

一つには、私のいた京都の寺というのは、観光寺院や葬式寺ではなく、茶道における精神的な総本山という位置付けでしたので、ゼニカネや体裁といった人間的なことを気にする必要が一切ない。ですから、神を目指すことこそありませんが、人間的な俗っぽいことに煩わされることが極端に低い。ですから、ごくごく稀に「神がかり的な」人間が(僧堂の)修行によって作り出されることがある。

禅宗に於いては、1年から10数年と僧堂の滞在年数に差があるにせよ、日本の坊主とは人間の域を出ることができない。人間を磨くことが彼らの修行であり目的なのですから。

かの高名な禅坊主「一休さん」とて、臨終の言葉は「死にとうない」という、あまりにも人間的な言葉だったのです。

しかし、ごく稀には「神がかり的な」人間という者は出てくる。ただし、毎日「神になろう」と努力しているわけではないので、ある時期だけ「神」で残りの人生はやはり人間として生き死にしていくかもしれません。

一方、イスラム教徒の場合、モスクでの礼拝時だけに限定されますが、数十人いれば数人は「神がかり的」な人間がいる。

毎日5回、神への働きかけを何十年もやっていれば、私たちに比べて神に近づけるのは当然かもしれません。

もちろん「神がかり的」な姿態(動きを含む、すがた。かたち。からだつき)というだけで、天地創造する神ではありません。

しかし、その人間の内面的な力・存在感が、その人の姿・姿態となって周囲の人の目に見えるということは、確かにその人が形而上・下において存在しているということであり、ちょっと飛躍しますが、来世(の存在)を得た、ということになるのではないでしょうか。(その人が死ぬ時まで「神」を持続できればの話ですが。)



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