私の見たイスラム教の効用 V.1.1

@MasatoHiraguri

第1話 私の知るイスラム教とは

 

イスラム教徒とは(アラーの)神を信じる人たちのことですが、イスラム教発祥の地アラブの人々に限らず、白人、黒人、黄色人種と、これを信仰する人種は様々であり、民族や国という境はありません。

仏教の場合、アラブ人や白人・黒人でこれを信仰する人は全くいない、というほど少ない。普遍的な神ではなく釈迦という人間が、ああ言った・こう言ったという教え、だからなのでしょう。

利益追求組織としての宗教であれば別ですが、純粋に心の安寧・魂の救済を追求する運動を組織的に展開するには「神」という絶対的・普遍的な存在を教祖とし・宗旨とした宗教でなければ世界に広まることはない。

「神」というのは太陽と同じで、世界中どこからでも見える、普遍的・永遠的・絶対的な存在であり、その故に、これを信じることで得られる安心感がある。

太陽は見れるが神は見えないではないか、と言われるかもしれないが、この見えない神を太陽のように見ようというのが、信仰というものなのです。

物心ついた時から、日に3度の食事よりも多い5回も、神に心を近づけようと祈る人たちは、大人になっても目が澄んでいる(人が多い)。

嘘つきのタヌキや狐とちがい、ラッコやパンダのような目をしています。「日本昔話」における、人を化かすタヌキや狐では、神は見えないのかもしれません。まあ、それくらい、タヌキや狐は人間慣れしてる、というか小賢しいということなのでしょう。(「シートン動物記」を読むと、狼というのは神に近い生き物、という感じがします。)

イスラム教徒が全員正直だとは言えないかもしれませんが、少なくとも「神という絶対尺度」に照らして生きている、という点では信用できる。もっとも、そういうきっちりした人間というのは、日本人にとって多少、窮屈で退屈に感じるかもしれません。

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