2
夏休み中にある二回の登校日。
その日の朝は、ちょっと緊張してるみたいな気分になる。
夏休みに入るまでは毎日会ってたクラスメイトや先生に、久々に会うってなるとちょっと緊張。
ドキドキするような、ソワソワするような。
みんな変わってないかなって、夏休みに入って高々二週間しか経ってないのに、思っちゃったりする。
でもまあそれも学校に行くまでの話で、行ってしまえば何て事はない。
「
昇降口で名前を呼ばれて視線を向けると、ちょうど校舎に入ってきた
終業式の時より日に焼けたクラスメイトの長嶺は、「オッス」と片手を挙げながらあたしに近付き、挙げていた手でポンッとあたしの肩を叩く。
日に焼けてる
「久しぶり――って、二週間しか経ってねえけど」
白い歯を惜しみなく見せつけて言葉を発した長嶺は、あたしの頭よりも上段にある下駄箱から上履きを取り、「
それをぼんやりと見ていたあたしは、ふと長嶺に目を向けられ、ハッと我に返ってズリ落ちそうになってた鞄を持ち直した。
「何ボーッとしてんだよ、白石。暑さで頭ヤラれたか?」
口を大きく開けて笑った長嶺が、「行こうぜ」と歩き始める。
いつもなら、「何であんたと一緒に行かなきゃなんないのよ」ってくらいは言ってやるところなのに、長期休み特有の妙な緊張の所為か、いつものような言葉が出てこなかった。
「ねえ、長嶺。あんた何でそんなに焼けてんの?」
教室に向かって歩く長嶺の後ろを追い掛けながらそう声を掛けると、長嶺は「部活だ、部活」と振り返りもしないで雑な感じで答えてくる。
そして制服のシャツの袖を少しだけ上げ、「な?」とそこでようやく顔だけで振り返った。
日に焼けた長瀬の腕は、二の腕の力こぶが出来る辺りで色が変わってる。
焼けてない腕の色を見る限り、長嶺はちょっとどころじゃなく、相当日に焼けてるらしかった。
「サッカー部の部活って、毎日あんの?」
「あるある。朝から夕方まで」
「大変じゃん」
「でも俺は午後からしか行ってねえからそうでもない」
「何で午後からだけ?」
「午前中は忙しいから」
「忙しいって何してんの?」
「補習受けてんの」
「補習?」
「うん。補習」
「え? 補習って、あんた期末テスト赤点何個あったの?」
「……五?」
「五!?」
「六かも」
「ええ!?」
「もしかしたら、現国以外は全部赤点だったかも」
「えええ!?」
「そんなにびっくりする事じゃねえだろ」
「いやいやいや、びっくりするでしょ!」
「そうか?」
「驚くべきバカじゃん!」
「俺は体育会系なの」
「筋肉バカ!?」
「失礼な奴だな!」
「いやいや、そんなに赤点取る方が教えてくれてる先生達に失礼だし!」
「センセーも諦めてんじゃね? 俺の事気にしてくれてんのって担任の
驚くべきバカがそう笑ったタイミングで、教室の扉の前に着いた。
長嶺は「赤点の事、誰にも言うなよ?」って人差し指を口許に当ててから、教室の扉を開ける。
途端に教室の中のざわめきが廊下に溢れてきて、妙な緊張がほんの少し和らいだ。
「じゃあな」
そう言って先に入っていく長嶺の後から教室に入ると、当たり前に二週間前と変わらない光景を目にした。
ひとつの教室に四十人弱もの人数がいれば当然出来る、いくつかの仲良しグループ。
そのグループは二週間前と変わらず、定位置で固まってる。
あたしはあたしの定位置である、窓際の前列に向かった。
「おはよ、
こっちを向いて座ってたお陰で先にあたしに気付いた友達の
振り返った伊織は「おはよう」と笑顔で、ふたりのその、全然変わらないいつもの感じに、妙な緊張は更に薄れた。
「おはよ!
ふたりがいる机に駆け寄り、もうひとりの友達の名前を出すと、麻里亜は「こんな時間に来てる訳ないじゃん」とケラケラ笑う。
いつもギリギリでしか来ない藍子のその感じも、全く変わってなかったから少し笑えた。
「藍子、今日が登校日だって覚えてんのかなあ?」
「あの子、すっ呆けてるところあるからねえ」
机に鞄を置きながら首を傾げたあたしの問いに、麻里亜は答えながらケラケラと笑う。
そんなあたしと麻里亜を交互に見ながら、「藍子は大丈夫だと思うよ。補習受けてるから、どっちもしても学校来るし」と、伊織がにんまりと笑った。
本当に、何も変わらない感じ。
この感じにホッとする。
「あっ、そっか。藍子も補習受けてんだったね」
「藍子もって何? 他に誰か補習受けてんの? まさか天音、わたし達に内緒で受けてんじゃ――」
「違う違う。あたしじゃなくて長嶺」
「長嶺?」
「現国以外赤点だったらしくて、あいつも補習受けてんだって。さっき言ってた」
「マジで!?」
「マジマジ。あいつバカだよね」
「驚異的なバカだね」
「あれで運動神経よくなかったら救いようがないね」
「でも長嶺、顔はそこそこいいじゃん」
「そう? そんな風に思った事ないや」
あたしと麻里亜の会話はそこで途切れた。
立ったままのあたしの制服の裾を、伊織がツンッと引っ張った事で会話が止まった。
あたしと麻里亜の視線は自然と伊織に向き、伊織はそれを確認してから少し前屈みになる。
そして。
「長嶺って言えば、アレ本当に大丈夫?」
声を
「ああ、アレね。行くって言ってたけど」
答えながらあたしが目を向けるのは、教室の後ろの扉近くにいるグループ。
長嶺達男子がいるグループの中には、学年一格好いいって言われてる
飯垣は、確かに顔はいいと思う。
タイプ的には
ただ飯垣は、普通の人とはちょっとズレてる性格の持ち主で、いまいち何を考えてるのか分からないから、好意を寄せてる女子もそう
その、好意を寄せてるのに近寄れない女子のひとりである伊織は、「本当に大丈夫? お祭り明日だけど……」と、
「長嶺が行くって言ってたんだから大丈夫だと思うよ?」
「でもみんなでお祭り一緒に行こうって約束したの終業式の日でしょ? 忘れてるって事ない?」
「それはないと思うよ。いくらバカでもそれくらいは覚えてるでしょ」
「本当に?」
「……多分」
「た、多分じゃ困るよ!」
「分かった。帰りにでも確認しとく」
「絶対ね?」
「うん」
「ちゃんと、飯垣君も来るかどうかも聞いておいてね?」
「分かった」
答えたあたしに満面の笑みを浮かべた伊織が、ソレを頼んできたのは終業式の日。
学校の近くの神社である夏祭りに、どうしても飯垣と一緒に行きたいから、長嶺のグループを誘って欲しいと持ちかけられた。
長嶺達を誘う役割があたしに回ってきたのは、ただ単純にあたしが長嶺と仲がいいから。
凄く仲がいいって訳でもないけど、あたし達四人の中じゃあたしが一番仲がいいから白羽の矢が立った。
夏祭りに一緒に行きたい気持ちは分かる。
縁結びの神様で知られる、学校近くの神社の夏祭りには、いくつかのジンクスがある。
夏祭りで打ち上げられる花火を並んで見たら仲良くなれるとか、神社の裏手にある松の木の下でキスをしたら永遠に一緒にいられるとか。
そういうジンクスがあるから、どうしても好きな人と一緒に行きたいんだと思う。
実際そのジンクスが本当であるかどうかは余り重要じゃない。
ジンクス通りにするって事が大切なんだと思う。
だからあたしもダメ元でも昨日彼氏にメッセージを送った訳で、断わられるのは分かってても、「もしかしたら」に賭けたかった。
まあその賭けは、ものの見事に負けたんだけど。
「飯垣のどこがいいのか分かんない。わたしは断然、渋谷ちゃんの方がいいわ」
机に膝を突いて手に顎を載せる麻里亜が澄ました顔でそう言って、口許を緩めた。
それを伊織は意地悪だと受け取ったのか、ぷぅっと頬を膨らませて、「渋谷ちゃんなんてオヤジじゃん」と、対抗するようにモノを言う。
これもいつもの事ながら、この手の話が長引くと面倒な事になりそうだから、早々に話題を変えなきゃって思った――けど。
「はあ!? 渋谷ちゃんまだ二十七だし!」
「十歳も年上って充分オヤジだよ!」
「オヤジじゃなくて大人って言うんだし! それに渋谷ちゃんめちゃくちゃ格好いいしね!」
「飯垣君の方が格好いいよ!」
止めに入るタイミングを見計らい損ねた。
「言っとくけど、飯垣より渋谷ちゃんの方が人気あんだからね!」
「そんな事ないよ! 飯垣君の方が人気あるよ!」
「飯垣の方が人気あるってあり得ないし! 渋谷ちゃんの大人の魅力には誰も勝てないっての!」
「大人じゃなくてオヤジだってば! それにそもそも渋谷ちゃんには彼女いるじゃん!」
そこそこ大きな声で言い合ってる割には、きっちり「飯垣」って名前の部分だけは小声で言ってる伊織と麻里亜を、そろそろ本気で止めないとって思い始めた矢先。
「おーい、
廊下から渋谷先生の声が聞こえてきて、あたしがどうこうするまでもなく伊織と麻里亜の言い合いは終了した。
先生の声のあと、「待って! 先生待って!」と、藍子の必死って感じの声が聞こえてくる。
パタパタと近付いてくる足音がして、二秒後に教室の後ろの扉が開く。
開いた扉から転がるように藍子が教室に入ってきた直後。
「藤堂はオマケのセーフ」
渋谷先生が笑いながら、前の扉から入ってきた。
「全員、席に着けえ」
間延びした先生の言葉に、クラスメイトが自分の席に着き始め、あたしも伊織達から離れて自分の席に着く。
クジで決められた教卓の真ん前の席に座ると、後ろの席にスライディングするが如く突っ込んできた藍子が座った。
「ま、間に合った……」
「いや、藤堂。担任が俺じゃなかったらギリギリアウトだ」
走って来た所為で息を乱して言葉を発した藍子に、渋谷先生が笑ってそう言うから、教室の中がドッと湧く。
それをきっかけに、いつもの感じを完璧に取り戻して、あたしの中の妙な緊張は完全に消え去ってくれた。
「欠席は――いないな」
ぐるりと教室を見回した先生は、「優秀、優秀」と笑顔をつくる。
その、目を細めた柔らかい笑顔は、麻里亜
渋谷先生の「悩殺スマイル」にヤラれてる女子も少なくない。
実際、麻里亜が伊織に言ってたように、渋谷先生は飯垣よりも女子の中で人気があって、先生って職業の分、生徒達だけじゃなく、同じ教師や保護者の中にも、渋谷先生の「悩殺スマイル」にヤラれてる人がいるとかいないとか。
学年一格好いいと人気がある飯垣と、学校一格好いいと人気がある渋谷先生。
そんなふたりがいるあたしのクラスは、校内の女子の中では羨望の的。
このクラスの生徒ってだけで、何となく特別な気分になる女子もいるらしい。
でもあたしは、飯垣の人よりちょっとズレた性格は何を考えてるのか全く分からなくて苦手だし、渋谷先生の笑顔で悩殺される事もないから、その感覚が分からない。
――ただ。
「渋谷先生は、明日の祭り行くの?」
「行かないぞ?」
「とか言って、彼女と行くんじゃねぇの?」
「補習の準備で忙しくって祭りなんて行ってる暇ないっての。それに、彼女と祭りに行ってお前らに見つかったら、何言われるか分かったもんじゃないしなあ」
クラスメイトの男子の問いに、笑って答えた渋谷先生を見ながら、その穏やかな声のトーンと柔らかい笑顔に、同じ大人でもあたしの彼氏とは違うなと、比べて思ってしまう。
あたしの彼氏にも、この渋谷先生の半分くらいの優しさがあれば、今ほど寂しいって感じないんじゃないかって思ってしまう。
比べても仕方ない事だって分かってる。
彼氏が素っ気ないって事は最初から分かってた事。
好きで好きで仕方なくて、何度断わられても諦めきれなくて、やっと付き合ってもらえたんだから贅沢は言えない。
それでもあたしの誘いを「無理」って二文字で片付けるんじゃなくて、理由を聞かせてくれるくらいはして欲しかった。
無理な理由は分かってるけど、それでも一応言って欲しかった。
何も言ってくれないからネガティブな「もしかしたら」を想像しちゃう。
あたしと付き合った事を後悔してるんじゃないかなって、考えたくない事考えちゃう。
「ホームルーム始めるぞ」
先生の声に我に返ったあたしは、それでも胸のモヤモヤを消し去る事は出来なかった。
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