第3話 隣国ヴァルケル


 ヴァルケルへは馬車で二十日の道のりだ。

 今回は、私以外にも九人の令嬢が文化交流会に参加する。

 ただ、みんな男爵家や子爵家の令嬢ばかりで、上位貴族の娘は一人もいない。



(ヴァルケルは今、国王派と王弟派が激しく争っている。娘をそんなところに行かせるなんてとんでもない、というわけね)



 私が文化交流会への参加を打診されなかったのは、王太子妃教育でそれどころではなかったからだ。

 でも本来は、外務大臣の娘である私が安全な場所にいて、男爵家や子爵家の娘をヴァルケルへ行かせるというのはあまりよろしくない。

 そう考えると、マルセルとの件がなくても今回の参加は意義があるといえる。



「わぁ、お嬢様! 町並みが見えてまいりましたよ! 案外、素朴なんですねぇ」



 車窓からの景色を楽しんでいると、黄土色の建物がちらほらと見え始めて、アンナがはしゃいだ声をあげた。


 イシルディアは白壁の優美な建物が多いけれど、ヴァルケルは黄土色の素朴なレンガ造りの建物が多いようだ。

 温かみを感じさせるデザインの家々は、建築になんらかの基準があるのか統一性があり、かつては美しい通りだったのだろうと思わせる。

 でも、いまは修繕が追いついておらず、なんとなく寂れた印象を受けた。



(お隣といってもだいぶ雰囲気は異なるのね。でも気候は似ていて過ごしやすいわ)



 初めての外国にドキドキしつつ窓の外を眺めていると、あっという間に王宮へと到着した。



「……そばに」

「はい、お父様」



(そうよね。お父様とともに参加者の代表として挨拶するなら、私が適任だもの)



 ふんすと気合いを入れていると、困ったように眉を下げたお父様と目が合った。



「お父様?」

「……行こう」



 頭の上にハテナを並べながら、お父様のエスコートを受ける。

 しばらく進むと、王宮の入り口にずらりと出迎えの人々が並んでいた。


 中央で凄まじい存在感を放っているのが、ヴァルケルの国王であるレオパルド・ヴァルケル陛下だろう。



(身長は他の人たちより頭ひとつぶん低いのに、横幅が二倍はあるわ……)



 城下町の人々が質素な印象だったぶん、ゴテゴテと大きな宝石を身に着けたレオパルド王を見て、なんともいえない気持ちになる。

 彼は黄色い髪がわずかに残る頭に汗を浮かべ、同じく黄色い目をいやらしく歪めて、我々をキョロキョロと見渡した。

 

 少し離れた場所には、レオパルド王と似た色合いの大柄な男性が立っている。

 こちらは、エドゥアルド・ヴァルケル王弟殿下。

 彼は非常に優秀な人物で、立太子が確実視されていたけれど、先王の急死により結局王位に就くことはなかった。



「やあやあ、ようこそお越しくださいましたな。ご令嬢方もようこそ!」



 レオパルド王が一歩前に出ると、お父様も少し……ううん、かなり凄みのある笑顔を浮かべて前に出た。



「歓迎感謝する。今年の文化交流会もよいものになると信じている。が、こちらは少々情勢が不安定なようだ。我がイシルディアの子女たちを連れてきた以上、その安全を王自ら保証いただきたい」



(お、お父様!? 長文も喋れたのね……?)



 私が内心驚いていると、ヴァルケル王は声にならない悲鳴をあげて一歩後退った。

 黄色い目に明らかな怯えを浮かべ、ぶるぶると震えている。



「も、もちろんだとも。ご令嬢方の安全は、この私が保証しよう」

「感謝する。こちらは私の娘だ。エレアノールという。今回は娘も文化交流会に参加させていただく」



 蚊の鳴くような声で返事をしたヴァルケル王は、私を見ると目を見開き、上から下、下から上と舐めるように視線を動かした。

 ゾッとしつつもカーテシーをする。



 「お初にお目もじいたします。ラヴェル公爵家が長女、エレアノール・ラヴェルでございます」



 ヴァルケルは友好国というわけではなく、出迎えも外交上の儀礼に過ぎない。

 お父様はイシルディアという大国の公爵であり外務大臣なので、ヴァルケル王が一国の主だとしてもへりくだる必要はないのだ。

 一方、私は自分が爵位を持っているわけではないので、礼を尽くす必要がある。



(とはいえ、穴が開きそうなほど見つめられたら、さすがにいい気はしないわ)



 居心地悪く感じていると、ヴァルケル王を押しのけるように、ずんぐりした青年が私の目の前に立った。



「え~、かわいい! 決めた、俺この子を婚約者にするわ。公爵令嬢だし身分的にもちょうどいいじゃん!」

「は……?」



 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 まだシャンベル男爵令嬢の方が礼儀正しいな、などと思う日がくるとは夢にも思わなかった。

 お父様のいるあたりからは、ギシリと歯の砕けそうな音が聞こえる。



「ヴァルケル王、息子の教育はどうなっている。うちの娘と婚約など万に一つもないことだが」

「はぁぁ~? 公爵風情が何言っちゃってんの?」

「ば、馬鹿者! お前はちょっと黙っておれ!」



 自己紹介すらされていないけれど、間違いなくグレゴール・ヴァルケル王太子殿下だろう。

 お兄様が言うところの「うち以上のぼんくら」であるこの王子は、イシルディアとヴァルケルの天と地ほどの国力差がまったく分かっていないらしい。


 彼はお父様がギロリと睨むと、目を見開いて硬直し、ひぃひぃ言いながら尻もちをついた。



(お父様が外務大臣を任されている理由が、分かった気がするわ……)



 もしかしたら、普段お父様が無口で無表情なのは、私たちを怖がらせないためなのかもしれない。



「ラ、ラヴェル公爵。息子はちょっとした冗談で場を和ませようとしただけでしてな。ラヴェル公爵令嬢はイシルディアの王太子妃になるお方。ご令嬢自ら望まない限り、うちの息子と婚約なんてとてもとても!」

「……ふん。では、申し訳ないがそろそろ休ませていただいてもよろしいか」

「ええ、ええ。ごゆるりと。ご令嬢方が休まれるエリアは男子禁制にしてあるので安心ですぞ」



 ……まだヴァルケルには、婚約破棄の情報が届いていないらしい。

 第一王子に知られるとまた面倒なことになりそうで、旅の疲れがどっと押し寄せた。




 ◇ ◇ ◇




 私たちが案内されたのは、こじんまりとしつつもかわいらしいデザインの建物だった。

 庭には可憐な花が咲き誇り、童話のような世界観だ。

 イシルディアの令嬢たちも気に入ったようで、やっと笑顔が見え始めた。



「こちらには我が国の令嬢方も滞在しております。男子禁制のため、護衛の方々も建物の中まで入るのはご遠慮ください」



 ここまで案内してくれた侍従がそう言うと、護衛たちは建物の周囲を巡回するかたちで警護をおこなうことにしたようだ。


 とはいえ、もしヴァルケルの人間がイシルディアの貴族令嬢に危害を加えたら、この国はただでは済まない。ヴァルケル王に破滅願望でもない限り、危険なことはそうないだろう。


 唯一の心配は、そんな常識が通用しそうにないグレゴール王子だけれど……そこも踏まえて男子禁制にしているのかもしれない。




「わぁ、お部屋もこじんまりしていますが、かわいいですねぇ。なんだか落ち着きます」



 室内へ入ると、アンナは榛色の目をキラキラさせながら部屋の中を歩き回った。

 如才ない彼女のことだから、さりげなさを装いつつ、不審なものがないか見て回っているのだろう。



「アンナ、着替えが終わったらひとまず下がっていいわ。疲れたでしょう、ゆっくり休んで」

「承知致しました。ではお着替えと簡単な荷物整理が終わりましたら、一旦下がらせていただきますね。続きの間におりますので、ご用がありましたらお呼びください」



 私も慣れない旅路でクタクタだ。

 アンナに手伝ってもらって絹で作られたライトブルーのシュミーズに着替えると、ふかふかのベッドにぽすりと体を沈み込ませた。



 ずっと馬車に乗っているというのは、思った以上に疲れる。

 しかも移動中は手持ち無沙汰なので、陛下やマルセルのこと、婚約破棄や先行きに対する不安など、嫌なことばかり考えてしまう。



(あの日以来、セルヴィオの夢も見られていないし……)



 以前は毎日といっていいほどセルヴィオの夢を見ていたのに、チェリーのケーキを食べる夢を見て以来、ぱたりと途絶えてしまった。

 それからというもの、祈る思いでベッドに入る日々が続いている。



(晩餐までは時間があるし、また少しだけ眠ろう。今日こそセルヴィオの夢を見られるといいのだけど……)

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