第2話 家族の温もり
馬車の扉が開かれて、びくりと体が跳ねる。気がつけば自宅へと帰ってきていたらしい。
いまだ混乱から抜け出せず、心細い気持ちで我が家を見上げる。
リリーの繊細な彫刻が施された白亜の壁。尖塔が空に向かってそびえ立つ優美な城だ。
マルセルとの関係に悩んではいたけれど、今朝ここを出るときはまだ、大好きな家族とこれからも幸せに過ごせると信じていた。
(王命ならもう覆せない。私が婚約破棄されたことで、家族もきっと後ろ指をさされるわ……)
暗い気持ちを抱えて玄関の前で立ち尽くしていると、底抜けに明るい声が聞こえてきた。
「エラ〜!!」
声のほうに目を向けると、プラチナブロンドにエメラルドグリーンの目を持つ美丈夫が、嬉しそうに両手を広げている。
「お兄様……」
「おや、今日は飛び出してくるなと言わないのかい? ついに僕の愛が届いたのかな!」
お兄様は弾んだ声を上げると、嬉しそうに私をぎゅうっと抱き締めた。
正直、婚約がなくなったこと自体はそこまでショックではない。
でも、幼い頃から積み重ね、大切にしてきたマルセルとの思い出や絆が、彼にとっては無価値なものだったのだと思うとやるせない。
それに、男爵令嬢に婚約者を取られた公爵令嬢は、きっと嘲笑の的だ。お兄様の面子も潰れるはず。
あまりに自分が情けなくて、じわりと視界が滲む。
「お兄様、ごめんなさい……」
「エラ?」
私の声が震えていることに気づいたお兄様は、ギョッとした表情を浮かべてから、私を抱き締めていた手をおろおろと彷徨わせた。
「エラ、どうした? またマルセルが何かやらかしたのか? うちにはなんの得もないし、婚約なんかやめたっていいんだぞ?」
また抱き寄せられ、すっぽりと包み込まれた腕の中で、そっとお兄様の胸に耳を付ける。
どくどくと力強い鼓動を感じると、不安な気持ちが少しだけ和らぐような気がした。
「お兄様にぎゅってしてもらったの、久しぶりね。嬉しい」
「なんだって!? ああっ! 私の妹がかわいすぎる!」
お兄様は感激したような声を出すと、私を抱き上げてくるくると回った。
話をはぐらかしたことに気づいているはずなのに、何も聞かないでいてくれる優しいお兄様。
「お兄様、大好きよ」
「エ、エラ~!!」
しかし、お兄様の笑顔もそこまでだった。
「私ね、婚約を破棄されたの。シャンベル男爵令嬢が婚約者になるからって。これは王命だって言われたわ」
「……は?」
言葉にすると実感が湧いてきて、不甲斐ない気持ちと申し訳なさで涙がポロリとこぼれる。
するとお兄様はスッと表情を消し、私を抱き上げたまま凄い勢いで駆け出した。
「父上~! 母上~! エラがぁぁ!!」
お兄様はお父様の執務室へ辿り着くと、ノックもせずドアを蹴破るようにして入室した。
執務机で書き物をしていたお父様と、書類を抱えたお母様が呆れた様子でこちらを見やる。
「騒々しい。いつになったら落ち着くのかしら」
「……」
お母様は絶対零度の視線をお兄様に向けている。一方、お父様は無言だし真顔だ。
お母様はお兄様から視線を外して深い深いため息をつくと、気を取り直したように私へ視線を移した。
「おかえりエラちゃん、ずいぶん早かったの……あら?」
笑顔で私を見たお母様は、私の頬に残る涙の跡に目を留めて表情を消した。それからお兄様をじろりと睨む。
「いや、言っとくけど俺じゃないからね! 原因はあのぼんくら王子!」
お兄様が声を荒げつつことの次第を説明すると、お母様はポカンと口を開けてしばらく静止したあと、目を吊り上げて勢いよくお父様を振り返った。
「あなた、どういうことなの! この婚約はあちらの希望で結んだものでしょう。こんな扱いをされる筋合いはないわ!」
「あいつ、王妃陛下が長期で城を空けるタイミングを見計らってたんだ! 計画的犯行だよ絶対!」
目を少し見開いた状態で静止するお父様を見て、焦れたようにお母様が叫ぶ。
「なんとか仰って! 婚約解消ならまだしも、エラになんの落ち度があって一方的に破棄されなくちゃならないんですの!?」
「……隣国」
「ふざけないでちょうだい! よりにもよって、どうしてヴァルケルなんかに!」
私にはお父様の言いたいことはさっぱりわからなかったけれど、お母様の反応からして、ほとぼりが冷めるまで隣国ヴァルケルへ行ってはどうかということらしい。
そんなお父様の発言を聞いて、お兄様は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「ヴァルケルはいま相当きな臭いじゃないか! なんでエラがわざわざ、そんな危ないところへ行かないといけないんだ!」
「そうよ! 何かあってからでは遅いのよ!?」
怒り狂うお母様とお兄様をじっと見つめていたお父様は、相変わらず真顔でぽつりと呟く。
「……文化交流会」
「そんなの……ん? あらまあ! たしかに、文化交流会はあなたも参加するものね。あなたが一緒ならヴァルケルもありかしら……」
文化交流会は、イシルディアと隣国ヴァルケルが合同でおこなっている催しで、外務大臣であるお父様は毎年出席している。
たしか今回は、楽器の演奏に秀でた子女を集めての演奏会だったはず。
自慢ではないけれど、私もハープの腕はなかなかのものなので、参加しても違和感はないだろう。
「ダメだダメだ! あそこの王太子はうち以上のぼんくらだ! エラが目をつけられたらどうするんだ!」
「うるさい子ね! それならエラのことを好き勝手に言う連中から、どうやってエラを守るつもり!?」
おそらくお母様は、最近出回っている私の悪評――私は醜い嫉妬でシャンベル男爵令嬢をいじめる悪女らしい――を気にしているのだ。
根も葉もない噂だけれど、王太子の婚約者である公爵令嬢を引き摺り降ろしたい人たちは、嬉々として触れ回る。
そこへ婚約破棄の情報が広まれば、多くの人のなかで噂は真実へと姿を変えるだろう。
イシルディアは大陸の西端にあって、陸路で友好国へ行く場合はどのみちヴァルケルを経由する必要がある。ひとまず文化交流会に参加するのは、たしかに悪くない案に思えた。
「私、ヴァルケルへ参ります。私が噂を否定して回っても、逆効果でしょうから」
「なぁぁ! それなら俺もついてくぞ!」
「このバカ息子! 公爵と次期公爵が同時に家を空けていいわけないでしょ。あなたはこちらで火消しでもしてなさい!」
「そんなぁ!」
お兄様とお母様の掛け合いを聞きながら、クスクスと笑う。家族の温かさに、そっと感謝を捧げながら。
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