12.あのこのはは。

~ゼインSide~











誘拐事件が起こった後、ルカは公爵家へゼインと共に帰った。両親と兄が慌ててルカを寝室へ運び、ゼインは目が覚めるまで横に付き添っていた。


「ルカ…目を覚まして…お願いだから…。私を独りにしないで…」


血の気のない小さな手を両手で包み懇願する。真っ白なシーツには涙の跡がとどめなく広がっていた。


「ルカ………」
















「ん…んぅ………」


ぴったりと閉じられた瞼が震え、徐々に開いていく。


「ルカ…!!」


喜びのあまりゼインは勢いよくルカに抱き着いた。


「ルカ…!ルカ…!ごめんね…!迎えに行くのが遅くなってごめん…!もう大丈夫だから…!

……………………ルカ…?」


返事がない。それに体が強張っている。


恐る恐るルカの顔を見てみると、未だ深い闇に囚われて怯えた瞳をこちらに向ける幼子がいた。


「え……ルカ…?」


ひくっ…と喉が動く。そして…


「や、やだ……ごめんなさい、ごめんなさい…!許してください…!何でもするから、殴らないでください、お願いします、ごめんなさい、許してください、ごめんなさい…!ヒュッ…カハッ…はっ、はっ…」


繋いだ手はいつの間にか解かれて、目の前の愛しい存在は己に向かってベッドの上で土下座をし始めた。


「ルカ…?何を、しているんだ…?」


そろ、と頬へ手を伸ばす。いつもの様に撫でさせてくれると信じながら。


「ひっ…!!ご、ごめんなさい!!やめてください!!お、お父さん、兄さん、許してぇえぇっ!」


ガバっと体を起こしながらそう叫ぶと、急に体から力が抜けたらしくシーツに倒れ込んだ。


「ルカッ!!」


一体何なんだ、これは…!

自分を見たら正気に戻ってくれると思っていたが、単なる思い上がりだったということと、笑顔しか向けてくれなかった存在が己を全力で拒否したという事実が何よりゼインの心を抉った。


「「ルカ…!」」


ルカの両親が先程の叫び声を聞いたのだろう、憔悴しきった表情で寝室へ入ってきた。


「何があったんだ」


クリスが顔を強張らせて尋ねてくる。


「は……、ルカが……、私を見て怯え始めました…。何度も『ごめんなさい』『許してください』と……。私を誰かと勘違いしているようでした…。」


ルカは『お父さん』『兄さん』と叫んでいた。おそらくクリスとジークではない。ルカは父様、お兄様と呼んでいるから。それに、家でのルカの様子は知っている。あれほど心を落ち着けている家にルカを脅す存在などいないはずだ。


「クリス殿、アレク殿。ルカが『お父さん』『兄さん』と叫んでいたのですが、心当たりはございますか…?」


すると夫妻ははっ、とした表情で私を見つめてきた。


「ルカは…暗闇を怖がるんです。特に産まれて数年は、夜でも明かりをつけてないと尋常じゃない程怯えていました。」


ぽつぽつと語るアレク。その顔は苦悩に満ちていた。


「そして驚いたのが、この子がある程度の言葉を話せるようになったときです。風邪を拗らせて、暫く王宮に赴け無いときがありましたよね。その時に、悪夢を見ていたようで…。内容は教えてくれなかったのですが、その時に魘されながら『お父さん』『兄さん』『お祖母さん』と。そして最後に、『助けてお母さん』。そう言って泣いていました。おそらく僕達ではないのです、この子の呼び方と違いますし、僕の母も、前王妃も、滅多に会える人物ではない。……この子は…何も教えてはくれないのです。」


そう告げられた私は、どのように答えたら良いのか分からなかった。


















それからの日々は地獄としか言いようが無かった。

ルカは目を覚ましても周りの全ての人に怯え、錯乱し、ベッドから出なくなった。私達が側に寄れるのはこの子が寝ているときだけ。その間に体を綺麗にしたり、水を少しづつ飲ませたりした。医師を呼んでも近付くことさえままならない状態で、ルカは目に見えて弱っていった。

私は両親や兄からも心配されるほど無気力になり、政務も手につかなくなってしまったので、暫く公爵家に世話になることになった。


そしてそれは私がルカのベッドの横でウトウトと微睡んでいる時に起こった。


『ねぇ、瑠夏の大切な人、ちょっと起きてくれないかしら』


その声は子供のような幼さはないのに高い音で、話し方も少しおかしく思えた。

そして目を開けるとそこはルカの寝室ではなく、明るい日差しが差し込む森の中だったのだ。

目の前には見たことのない人種の人間が立っていた。肩や腰付きが柔らかく、何故か胸が膨らんでいる。


『もう…女を見たことがないのはわかるけど、ジロジロ見ない!時間が無いんだから、手短に行くわよ!』


女…?確か以前、ルカが女の人を知ってるか、と聞いたことがある。女とはこの人のことか?


『違うわ、女っていうのは男とは別の性別よ。簡単に言うとね、瑠夏はあなたのいる世界に生まれる前に、別の世界で生きていたの。そこは男と女の2つの性別がある世界で、女しか子供を生むことができなかったのよ。そして今から言うことが大切な話。あの子は…瑠夏は、私の息子だったの。』


そう言うと目の前の人間は驚くようなことを言い始めた。


『私には二人の息子がいたの。長男と次男。私は体が弱くてね、二人産めたのが奇跡のようだったのよ。一人目を産むのに5年かかって、次男の瑠夏を産むのには13年かかったわ。でもね…やっぱり無理はしちゃいけないわよね。瑠夏を産んだら、体を壊してしまったの。』


そうルカの母君は懐かしむように瞳を閉じてお腹を撫で始めた。


『瑠夏を産んでからはベッドから出られなくなったわ。家の奥で、宝物を仕舞うようにして、熱心に看病されたの。夫と長男はね、私を愛し尽くしてくれた。それこそ瑠夏を放ってまで。義母が最低限の世話をしてくれたけど、それは私が必死に頼み込んだときだけ。私は部屋から出てまだ赤ちゃんの瑠夏を世話しようとするとすぐに夫に見つかってベッドへ戻されたわ。4年よ。こんな生活が4年も続いたの。その間は少ししか瑠夏と触れ合えなかったわ。それも打撲痕が多数ついた瑠夏よ。誰が私の可愛い瑠夏を殴ったのかすぐに分かったわ。夫と長男の拳が少し赤くなっていたの。それに2人と一緒に私を見舞いに来た瑠夏は2人への恐怖がありありと滲み出ていたわ。許せなかった…!!』


愕然とした。おそらくルカはその世界でも小さく可愛らしい子だったのだろう、それなのにその小さな体で父と兄からの暴力に耐えていたというのか。


『私が体を壊したのは瑠夏が生まれたからだと聞いたの。だから瑠夏を殴るほど憎むのだと。部屋の外で笑って言っていたのを聞いて、絶望したわ。私のせいで瑠夏は虐待を受けていたのだと知って、自分が憎く思えてきたの。でもそれからすぐだったわ、体が持たなかったのね、死んじゃった。』


自嘲するように微笑んで、空を見上げる。


『死んでからね、神様に会ったの。お前の願いを叶えてやるから俺の嫁になれ!って、ふふ、少し強引よね。もちろん了承したわ。その後、瑠夏の様子を見てみたら、もう心身共に限界を迎えていたの。夫達の目を掻い潜って海に飛び込んだのよ。まだ4歳よ?将来のこと、まだ何も決まってないのよ?なのに…なのに…!死んじゃった…!!』


ぽろぽろと涙を流して叫ぶルカの母。見ているのが辛くなるほど胸がギシギシと音を立てていた。


『だからね、神様に頼んで瑠夏を最後まで愛し抜く人の元へ送ってもらうことにしたの。それがあの家族と、あなたよ。』


なるほど、この方が私の元へルカを導いてくださったのか…。


「ありがとうございます、ルカの母君。あの小さくて花がほころぶような笑みを見せてくれる可愛い幼子を、その下劣な者達から救い出して、私の元へ向かわせて下さり、感謝してもしきれません…」


『いいの、本題まで来るのが遅くなってしまったのだけどね?これから瑠夏は目を覚ますわ。だから、瑠夏が外に行くことを怯えなくなるまであなたが側にいてあげてほしいの。覚悟なさい、長い戦いになるわよ。』


そんなの答えは決まってる。


「もちろんです、私は最後まであの子の側を離れるつもりはございません、お任せください。」


『ええ…。あの子をどうか、よろしくね。』


そして急激な眠気が私を襲った。









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