星降る月夜、宿り木の下で

@screenwriterakari

第1話

疲れた⋯と心の中でつぶやく。


今日に限って、なかなか仕事が上手くいかなかった。

上司が捕まらない、プレゼンもイマイチ伝わらない⋯

あのデザイン、いいと思ったのにな⋯


早く帰りたい。

そう思っても疲れのせいなのか、足が思うように早く動かない。

はぁ⋯もう最悪な日⋯


そう思った時だった。


ぼーっとしながら歩いてたせいか、いつもの道と違う事に気づいた。

周りが暗い。

あぁ⋯今日はとことんダメな日。

迷っちゃったかな。


スマホ⋯スマホ⋯


鞄に目線を下げようとしたその時何か光が一瞬見えた。

その光が何故か気になって、ゆっくり目線を上げる。


赤く、ほんのり明るい⋯ランタン?

その入り口は、1件の洒落た建物。

こんな場所⋯あったかな?


ふらふらと吸い寄せられる様に。

私はランタンが照らす少し重たいドアの取っ手を前に押した。


足を店内に踏み入れると入口のランタンと同じように、薄暗くも暖かい光が、店内を優しく包んでいた。

奥のカウンターには、一人のバーテンダー。

こっちに気づき、目線がぶつかった瞬間だった。


「(いらっしゃいませ。)」


えっ⋯?どうして?

補聴器、今は付けてないはずなのに⋯


バーテンダーは私を手招きして、カウンターのイスに座る様に合図をした。


足の痛みや疲れを忘れた様に、私は早足でカウンターのイスに座る。


「(ようこそ。)」

『(手話が⋯手話が、出来るんですか?私、どこかでお会いしてました?)』

「(いいえ、でも伝わりますよ。)」


バーテンダーは手話で私に伝えてくる。

伝わるって⋯どうゆう事?


カウンターの座った位置から、さっきは薄暗くて見えにくかったバーテンダーの顔がはっきり見えた。


端正な顔立ち、天使の輪が光る黒髪。

どこかのモデルか俳優かと思えるくらい『キレイ』という一言が似合っていた。


『(あの、注文って)』「(うちにはメニューは置いてございません。)」『(え?)』「(メニューを決めるのは···お客様のお話なんです。)」『(あの)』「(ココロに何か、抱えてはいませんか?)」


心臓が大きく動く感覚を覚えた。私はこの店に来たことがない。このバーテンダーも知らない。なぜ⋯どうして⋯


「(今宵お話下さった事が、あなたのココロとカラダを潤します。)」


柔らかく微笑むその表情を見た途端、一瞬軽い目眩に襲われる。


『⋯今、何もかも上手くいかなくて。』


⋯!?声が⋯出てる⋯!?


驚きと戸惑いが私を包む前にもう話が止まらなくなっていた。

ずっと私に暗い影を落としていた悩み。


まとまりのない話を話しているとバーテンダーの後ろに構えている酒棚の一部がぼんやりと光り出した。

あれは⋯グラス?


バーテンダーが光ったグラスを手に取ると、目の前のテーブルにそっと置いた。


「⋯構いませんよ?続けて下さい。」

そう言ったバーテンダーの声は耳触りがよく、どこか甘い声をしていた。


耳が聞こえないはずの私が相手の声が聞こえた理由を考える暇もなく

心に抱えていたものを吐き出してゆく。


続けて話していると酒棚に置かれているボトルが1つ、またひとつ、と光り出した。

バーテンダーはその光を集め、テーブルに並べていく。


1列に並べられた何本かのボトル。

ひとつのグラス。

いつの間にか、光は消えていた。


カシャカシャとシェイカーを振る音は、こんな音がするのね⋯

お店の雰囲気も相まってか、全てが心地よかった。


やがてグラスにカクテルが注がれ、私の前に置かれた。


「シェリー・ツイストです。

ここから導き出される言葉は[輝く心]

今宵はこの1杯が、あなたのココロとカラダを潤します。」


輝く⋯心⋯


『⋯もっと、思い切ってみても⋯いいのかな⋯』


カクテルに口をつけて、輝く心の意味を想像しながらすっきりした爽やかなオレンジの風味が、私の心を満たしていった。


あれから数日。

あの日、どうやって帰って来たか、覚えていない。

再び声も出ず、耳も聞こえなくなった。

いくら探しても、あの店に辿り着けない。

あれは⋯夢だったの?


だけど微かに覚えてる。

今も私の心を満たしてるカクテルの味。


もう一度聞きたかったのに。

あのバーテンダーの声。


聞いて欲しかったのに。

補聴器の新しいデザイン、採用されたって⋯

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