第6話 6畳間の異世界


時刻は午前7時8分、現実世界の6畳間で手紙を読みながら大粒の涙を流すユーゴ。


この涙を流す悠悟と瓜二つの彼こそが、『佐野悠悟』が夢だと思っていた異世界の王子様『ユーゴ・ペンドラゴ・ノーサー』本人なのである。


彼は異世界で王子として生まれ、家族のように育った2人の幼馴染と共に成長してきた。

武術に秀でた2人の幼馴染とは違い、他人を傷つける事に抵抗のあった心優しいユーゴ少年は芸術の才能を開花させた。


幼馴染の1人であるフレアは、ユーゴの描く未来の風景が大好きだった。

2人は成長と共に、異性としてお互いに惹かれ合うようになる。

そしてまだ子供だった2人はこんな約束をするのである。


「貴方は王様で、私は王を守る剣になって、いつか一緒にこの争いのない未来の風景を実現させましょう」


2人の夢が共通のものとなってからは、幾度となく理想の未来について語り合い、その為には何が必要かを考え毎日を懸命に生きてきた。

その努力の結果、フレアは若くして正式に騎士となり、

ユーゴは数多くの知識を学び、自身の18歳の誕生日に戴冠する許可を王から得たのだ。

そしてユーゴは戴冠式の日にフレアへ、この気持ちを伝えようと心に決めていた。


だが戴冠式が来年に迫ったとある日、事件は起こる。


王の暗殺を狙ったソウネス帝国の刺客が屋敷内で捕えられたのだ。

案の定王の命に別状はなく、暗殺は未然に防がれたのだが、床に押さえつけられた刺客は隠し持っていたナイフで兵士を切りつけ逃走すると、裏庭で絵を描いていたユーゴ王子に狙いを定めナイフを突き立てる。


ユーゴは咄嗟に目を瞑ると、すぐに生暖かい液体が降ってきたことを不思議に思い、恐る恐る目を開ける。

そこにはおびただしい量の血を流して倒れているフレアと大勢の兵士に押さえつけられている男の姿があった。

すぐにフレアに駆け寄ると、フレアは最期の力を振り絞りユーゴの頬に手を当て、


「あなたのキャンバス…汚しちゃって、ごめんね…」


そう言って彼女はゆっくりと目を閉じた。


後ろを振り返ったユーゴが目にしたのは、最愛の人の血で滲んだ真っ赤なキャンバスだった。

それ以来、彼は裏庭に行くことも、筆を持つことすら出来なくなってしまった。

更には段々と部屋から出ることも億劫になり、引きこもりになったのだった。


こうして夢や希望、生きる目的を失った彼は別の世界に行きたいと考えるようになる。


数週間前ユーゴが初めて日本に来た時、何が起こったのか分からず、部屋の隅で縮こまり震えていた。

そして「助けて、セバス」と呟いたことから、彼の異世界生活が始まったのだ。


人工知能AIであるセバスはユーゴに語りかけ、色んなことを教えてくれた。

この国の名前や、この世界での自分の名前、異世界転生という考え方、それに付随した参考文献の紹介。


どうやら本当に違う世界に来たのだという事。

そしてこの世界には魔法はなく、科学というものによって様々な機械が動いているのだという事。


悠悟が異世界に行く事で、長所である運動能力が更に向上したのと同じく、ユーゴの場合は情報処理能力や、理解力が格段に上がっていたのである。


そして彼はセバスの助言を受けながらも、現代の最新機器であるパソコンやゲーム機を悠悟以上に使いこなすまで、それほど時間はかからなかった。


不思議な経験が数日続いた頃、彼はある疑問を抱く。

それはこちらの世界の悠悟と自分は別人で、朝の7時から19時の間だけ入れ替わっているのではないか。

というものだった。

それを確かめる為に、自分の世界に戻ったユーゴは夜中に執事のセバスの部屋に忍び込み日記を読む事でそれを確信に変えた。


そこに書かれている悠悟のあまりの破天荒さに驚くも、この生活を続けたい一心でそっとしておこうと決めた。

悠悟の動きを知る為にも、その日からユーゴはセバスの日記を読む事が日課となったのだった。


日本での生活は本当に楽しかった。

機械を操作するだけで楽しめる様々な娯楽や、

この世界の歴史や法律など、ユーゴにとって興味深いものが沢山あったからだ。

自分が目指す戦争のない国を実現させているこの日本に来た事は、どこか運命のような気がしていた。

学べる事を全て学ぼうと彼は勉強を始めていたのだった。

まだ筆は持てないが、空いた時間にタブレットでデジタルアートを作成して絵のリハビリもした。



そんな日々を続けている所に届いた手紙だった。


手紙の内容は、謝罪から始まっていた。

そして佐野悠悟という人間は何を思って今まで生きてきたのか。

夢はなんだったのか。

何故引きこもりになったのか。

思いつく限りの彼の人生の全てが、その手紙には綴られていた。

文法も文脈もくしゃくしゃで所々読めない文字もあるけれど、彼の気持ちは痛いほどユーゴに伝わった。


そして手紙の最後には彼からの提案が書かれていた。


「もし、お前がまだこの異世界生活を続けたいと思っているのなら、もうしばらくお互いのフリをしてみないか?


俺はまだ外にはでられないから…お前が代わりに学校やバイト先に行ったり、佐野悠悟を演じてみてほしい。

そしたら少しは母ちゃんや嵐も安心すると思うんだ。


その分俺は、お前の代わりに立派な王子様を演じてみせるからよ!」


その提案はユーゴにとって、願ってもないものだった。

内気なユーゴはこの日本に来てからもずっと部屋に閉じこもり、ネット内でしかこの世界を見られていなかった。

それもこの世界の悠悟に迷惑をかけてはいけないと気を使ってのことだったが、今日初めて外に出る決意をした。


手紙には、もし外に出るときはバイト先の近所のラーメン屋に寄って欲しいと書かれていた。

ご丁寧に地図と、挨拶して欲しい人の名前と似顔絵まである。

それでももし困ったことがあれば、『嵐』という友達を頼ってくれと締めくくられていた。


この『嵐』という女性には一度会ったことがある。

いきなり部屋に入ってこられた時は驚いたが、バレないようにあまり多くは語らなかった。


勇気を出して外に出てみると、電柱やコンクリートで塗り固められた道路、動く自動車など、実際に目で見ると科学というものは素晴らしいと実感した。


しばらく散歩をして時刻は夕方になった頃、悠悟の頼み通りラーメン屋とやらに着いた。

悠悟が引きこもりになるまで働いていたというお店は、この世界の言葉で表すなら昔ながらの雰囲気が漂う外観であった。


ガラガラと音の鳴る扉を開けると、

「いらっしゃいませー!!」と大きな声がし、ビクッと驚いてしまう。


するとユーゴの姿を見た1人の男性が店の奥からものすごい剣幕で駆け寄ってきた。


「悠悟!!お前、出てこられたのか!

よかった、ホントによかったなぁ…」


その男性は両手でユーゴの肩を掴んでそう言うと、目からは涙が溢れていた。

この人が手紙に書いてあった店主の『おっちゃん』に違いない。

悠悟が昔からお世話になっていて、憧れの人物だと書いてあった。


「おっちゃん、心配かけてごめんなさい」


「もう大丈夫なのか?」


「今日なんとなく外に出てみようと思って挑戦してみた」


「そうかぁ、お祝いにラーメン食ってけ!な!」


そう言っておっちゃんが出してくれたラーメンを他のお客さんの真似をしながらゆっくりと頬張る。


ラーメンを初めて食べたユーゴはそのあまりの美味しさと、手紙に書かれていた、この世界の悠悟の体験談が頭をよぎり顔は笑っていながらも目からは涙が溢れてきた。


その様子を見ていたおっちゃんも釣られて泣きそうになるが、すぐに後ろを向いてそれを隠した。


ラーメンを食べ終わり、ユーゴが口を開く。

「おっちゃん、また…バイトさせてくれないかな」


「当たり前だよ馬鹿野郎。

お前の気分が乗った時はいつでも出勤してこい」


「ありがとう」

手紙に書いてあった通りの人だと、ユーゴは思った。



店を出た帰り道のこと、突然後ろから大きな声で呼び止められる。


「悠悟!!」


振り返るとそこには目をうるうるとさせた『嵐』がいた。

嵐はすぐに走り出しユーゴに飛びついた。


「ちょ、ちょっと、あらしさん?」

戸惑うユーゴ。


運動音痴のユーゴは女の子1人支えきれず、その場に2人で倒れ込んでしまうが、嵐は一向に離そうとはせず「よかった、よかったぁ」と泣き続けた。


ようやく泣き止んだ嵐とユーゴは近くの公園のベンチに移動した。


「学校は…まだ無理だよね」


「うん…」


「バイト先には挨拶したの?」


「さっき行ってきたよ。

その帰りだったんだ」


「復帰…するの?」


「おっちゃんがいつでも戻ってきてもいいって」


「そう、よかったね」


「嵐にも沢山心配かけてごめん」


「そんな言い方、悠悟らしくないよ」


「そ、そうかな…」


「そうだよ。いつも通り上から目線の生意気な感じでいいんだよ」


「僕、いつもそんな感じなんだ」


「あ!また僕っ子キャラ?」


焦ったユーゴは苦しい言い訳をする。

「外に出るの久しぶりだから、キャラクター演じないと緊張しちゃうんだよね」


「そっか…。

大丈夫だよ。私が悠悟を支えるから」

そう言ってユーゴの手をとり握りしめる嵐。


「ありがとう。

今日は疲れたから、そろそろ帰るよ」


「うん。また連絡してね?」


家に帰りいつも通りの時間に休もうとすると、くるはずの強烈な睡魔が襲ってきていないことに気がついた。

ふと時計を見ると時刻は19時5分だったのだ。


「なんで…。

いつもならこの時間には向こうで目が覚める頃なのに」


結局その日から数日経っても元の世界に戻ることのない日々が続いたのであった。



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